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第10話 夕と陽
新城 夕(あらしろ ゆう)。
俺が知っているのは、夕のフルネームだけ。
それだって、本名なのか源氏名なのかもわからない。
俺が源氏名をつけることを勧められなかったことから考えると、本名なのかもしれない。
夕は多分、俺よりも4、5歳上なんだと思う。
2年前、俺がこの「臥待月」に来たとき、全ての接客のノウハウを教えてくれたのが夕だった。
客の迎え方、送り方、閨での言葉遣いに、和服の着方。客のニーズに応えるやり方、滅多にないことではあるが、トラブルがあったときの対応や身の守り方も。
見た目は華奢で中性的な美青年だが、俺に接客の仕方を教えてくれる夕は言葉に無駄が無くクールで、仕事の出来る男だった。
ひととおりの業務内容をたたき込まれると、ある日、オーナーだと言う、車椅子に乗った初老の男がやってきた。ロマンスグレーの、スリーピーススーツを着こなした渋い男だった。
「新人というのは、君か」
オーナーは、俺に下から値踏みするような視線を浴びせた。
夕に言われたとおり、深く頭を下げて俺は名乗った。
「波多野 陽(はたの あき)です。よろしくお願いします」
「…髪が、よくないな。夕、襟足を短く刈ってやれ。顔立ちは悪くない。前髪は長めに残せ」
夕は、車椅子の後ろではい、と答えた。オーナーはまだ険しい顔で俺をねめつけている。
「どっちだ、タチか、ネコか」
「タ…タチです」
すごみを効かせた声で尋ねられ、俺は少しどもってしまった。
「ただ今準備いたします。陽、ちょっと…」
夕が俺を手招きして、隣の部屋に連れて行った。
ドアを閉めると、小声で夕は言った。
「話したとおりにやれば、大丈夫。頑張りや」
「は…はい」
オーナーのチェックに合格すると、翌日から客を取れる。新人を好む客が、一定数いるらしい。
チェックの内容は、オーナーの気分によって内容が違うそうだ。
今日言われているのは、オーナーにフェラをするということ。
脚は動かないが、そこは通常通りに機能するらしい。
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オーナーを載せた黒塗りの車が見えなくなるまで、俺は夕と並んで頭を下げて見送った。
顔を上げると、勝手にため息が出てしまった。それをみた夕が、くすっと笑った。
「合格おめでとう」
「あ…ありがとうございます」
オーナーはとりあえずイってくれたが、若干険しい顔をしていた。
「あれで…良かったんですか」
「…まあ、改良の余地はあるわなぁ。練習させろって言われとるから」
「練習?」
夕は、少し微笑んで、先に屋敷の中に戻った。俺は黙って後に続いた。
いわゆるスタッフルームのような部屋へ、夕と俺は入った。
部屋は、宵の間と言われていた。
客室からは決して見えない場所に、宵の間はある。
仮眠のためのベッド、ガラス張りのバスルーム、着物だけでなく、洋服も保管してあるクローゼット。冷蔵庫やキッチンまでついている。
そこで暮らすことも出来るほどの設備のととのった部屋。
俺が合格したので、これからは夕と交代にこの部屋を使う。
新月から、満月の前日にあたる小望月までは、夕。
満月から、新月の前日にあたる三十日月までは、俺。
ただ、新月から19日目にあたる臥待月だけは、客をとらない。
臥して待たないとならないくらい月の出が遅い、という意味があるらしい。休みの日の月の名前を宿に付けているのは何故なのか。
その一日だけを休みとして、予約が入ればほとんど毎日稼働することになる。
夕は宵の間に入ると、大きなベッドの側に立って、俺に向かって笑いかけた。
「練習…してみよか」
「え…っ…」
夕はベッドに腰掛け、格子柄の着物の合わせを崩した。
立ち尽くして動けない俺を誘うように、夕の脚は左右にゆっくりと開いた。
夕の両脚の間にあるそこに、俺は目を奪われた。
同じ性、同じセクシュアリティを持つ者同士、この仕事を選んだ。
でもそんなことを全て取っ払っても、俺はそのとき、ただ見とれた。
剃毛されている夕の性器は、すでに勃っていた。
白い太股に挟まれたそこは、充血して、触れられるのを待っていた。
自分にもあるその器官を、美しいと思ったことなどなかった。
俺は吸い込まれるように、夕の前に跪いた。
気がつけば手は震え、汗が背中に滲んだ。この感情が何という名前なのか、考えもせずに俺は夕のそこにそっと口づけた。
「…あ…っ…」
一度唇を寄せてしまってからは、もう制御が効かなかった。
「ん…ふっ……そ…もっと…強く…」
俺の髪に指を絡ませ、夕は顎を持ち上げて喘いだ。言われたとおりに、強く吸い上げる。
「あっん……いい…っ…あき…っ」
名前を呼ばれて、自分の身体が興奮していることに気づいた。そのまま無我夢中で、俺は夕を咥えた。唇の端から、唾液と混じった愛液が溢れ出す。
「そこ…っあっ…やぁ…っんん…っ」
夕の脚ががくがくと震え出した。見上げると、頬を赤らめ、俺をとろけるような瞳で見ている夕がいた。
ぞくぞくした。
俺の髪を掴む夕の手に力が籠もる。
「あっ……イくっ……うっん…っ」
全身を震わせて放った夕の精液を、俺は飲み込んだ。
俺を見下ろして、半開きの唇で荒い息をする夕は、このうえなく色っぽかった。
口の回りを拭いて、夕の言葉を待った。
夕は、微笑して言った。
「…じょうず……」
「夕さん…」
夕は、俺をそこに残して、ゆらりとバスルームに向かった。
ドアを開けたところで振り返り、俺に向かって微笑んだ。
「明日からよろしうね、陽。僕のことは…夕でええよ」
多分、俺はこの時から夕のことが好きだった。
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