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第12話 筆 弐

夕さんに言われて別室にいる間に、あの和モダンの部屋に、イーゼルが設置されていた。僕が持ち込んだキャンバスにぴったり合うサイズだった。 僕が絵を描くスペースと、モデルが使うベッドのあるスペースとの間には、空間を遮るガラス戸が一枚あった。初めて入った時には無かったガラスに面食らったが、おそらく集中させてくれようとしているんだろう。 部屋に戻ると、夕さんがさっきの青い着物ではなく、薄い肌襦袢一枚の姿で待っていた。 透けて見える肌があまりに色っぽくて、僕は目を背けた。 「伊織さま…どのようなシチュエーションをお望みですか?」 「えっ…?」 「もし黙って立っているだけで良ければ、ここにいらっしゃる必要はないのではありませんか…?どんなことでも、遠慮なくお申しつけください」 「で……でも……」 「たとえば…ふたりの男が睦みあう…ですとか…ひとりで耽る…でも、何でもお応えできるのですよ」 夕さんは、上品に微笑んだ。要するに、僕の心は見透かされていた。 そう、僕が描きたかったもの、それは。 男が男を抱く。 自分の持つセクシュアリティは、なかなか現実世界で日の目を見ない。 近年、理解が進んだとはいえ、まだ好奇の目で見られることの方がずっと多い。 自覚してから10年ちょっと、隠して過ごしてきた。男性との性経験もない。 でも、分かって欲しくて描きたいわけではない。 好きなもの、描きたいもの、と言われて、思いついたのがそれだっただけ。 美しい男が美しい男を抱く。 それを自分の手で絵に著すことができたら、どんなに素晴らしいか。 今、それが実現しようとしている。 「本当にそんなこと…お願いできるんですか」 「もちろんです。ご希望のままに」 「……夕さんが…モデルになってくれるんですか…?」 夕さんは微笑んで頷いた。僕は覚悟を決めて、言った。 「ふ…ふたりで…お願いします…」 「かしこまりました、伊織さま」 夕さんがそう言ったのとほぼ同時に、部屋の扉が開いて、もう一人きれいな男性が入ってきた。 同じく肌襦袢を着た彼は、夕さんよりも少し背の高い、そして幾分若く見える美丈夫だった。長めの前髪から覗く黒目がちの瞳がきれいだ。 彼が夕さんの相手をするのだと分かって、僕は身体の中の血がふつふつと沸きはじめるのを感じた。 理想的なふたりだと思った。 「陽(あき)、とお呼びください。伊織さま」 彼はそう名乗って微笑んだ。 僕はキャンバスの前に座った。いつもの鉛筆を取り出すが、ガラス越しのふたりが気になって、手に汗をかいてちゃんと持てない。 僕がイーゼルの前に座った時には、すでに始まっていた。肌襦袢だけのなまめかしい姿で、お互いの身体に腕を回して、濃厚なキスをしている。 ポーズをとって欲しいとは頼まなかった。 彼らのイメージを瞼に焼き付けようと思っていた。 しかし、それは甘かった。 夕さんは、長い髪をほどいて、陽さんのキスに身体をのけ反らせた。 陽さんの少しふっくらした唇が、何度も繰り返し夕さんの唇を塞ぐ。そうしながら夕さんの肌襦袢が少しずつはだけていき、淡い桃色の乳首が露わになる。陽さんの手がそこを弄り始めると、夕さんはびくんと上半身を震わせた。 僕は最初、フランス映画のラブシーンを見るような気持ちで見とれていたが、我に返って、鉛筆を持つ手に力を込めた。 こんな機会は滅多にない。 性行為を絵にするなんてと批判されることなんて、気にならなかった。 僕にとっては、これは芸術だと言い聞かせて鉛筆を走らせた。 キャンバスと睦みあうふたりを交互に見ながら描いていたが、漏れ聞こえる夕さんの喘ぎ声が、僕の理性を揺さぶった。 気がつけば夕さんはすでに全裸で、陽さんも半分ほどはだけた状態だった。輪郭がまとまったあたりでベッドに視線を戻した時、僕は心臓がどくんと言うのを自分の耳で聞いた。 「くっ…っあっ……ん……」 両脚を広げた夕さんのそこに、陽さんが顔を埋めていた。太腿の内側に手を添えて、淫らな音をたてて夕さんの性器を貪る陽さんの後ろ姿が見える。夕さんは頬を赤らめ、うっとりと陽さんを見下ろしている。 そのふたりの淫らな姿態を見てしまうと、身体が火照って、手が止まってしまう。 「んぁ…っ…ふ…っんっ…」 陽さんの髪を掴み、半開きの唇から吐息が漏れる夕さんは悩ましく、見ているだけで下半身がむずむずした。鉛筆を持ち直し、仕切り直そうとしても、目がそちらに引きつけられてしまう。 僕の視線に気づいたのか、陽さんは昴ぶった夕さんの中心を掌に持ち替え、夕さんの硬く閉じた後孔に舌を這わせた。 腰を高く持ち上げられ、離れた僕の場所からも夕さんの恥ずかしい体位が見えてしまう。思わず目を背けた。 「や…あっ……っんう…っあきっ…」 夕さんが陽さんの名前を呼んだ。陽さんは夕さんの腰を強く掴んで、目を閉じて入り口を溶かしている。 僕は両足を強く閉じて、キャンバスに集中した。こうなることはわかっていたのだから、耐えなければ。高い代金を払った意味がない。 ほどなくして、陽さんは腰にひっかかった肌襦袢を脱ぎ捨て、夕さんを仰向けにした。陽さんは、胸を上下させて息をする夕さんを愛おしそうに見つめている。自分の肩に夕さんの片脚を乗せて、足首からふくらはぎにキスをする。その感触に、また夕さんの口から甘い吐息が溢れる。 なんて美しく、淫靡な、なまめかしいふたりだろう。 仕事だから抱いて、抱かれているとは思えない。 本当に愛があって自然にこうなったかのように見える。 しかし、描かれてはならない場所を巧みに隠すように身体を使うのは、おそらく僕のためだ。僕はその心遣いを感じながら、筆を進めた。 「あっん…ぁあっ……っ」 陽さんが、夕さんを穿つ。聞こえないふりをしても、どうしても響く湿った音。ベッドの軋む音も、夕さんの切ない声も、すべて陽さんの腰のリズムに支配されていた。陽さんは雄の顔をして夕さんを見下ろし、夕さんは瞼を閉じて、はあはあと息を吐き出す。 生々しいものを目の当たりにしているのに、嫌悪感はなく、逆に身体の熱がどんどん上がっていく。 「……ゆうっ…っ」 ほとんど聞こえなかった陽さんの声が聞こえた。 一度だけ夕さんの名前を呼ぶ声がものすごく切なくて、思わず僕が唇を噛んだ。 激しくなるリズムと、うわずった夕さんの声。 僕が、限界だった。 夕さんが放つ頃には、僕は身体を前屈みにしないと座っていられなくなっていた。 「伊織さま…」 下を向いて収まらない身体を隠していた僕の頭上で、優しい陽さんの声がした。 驚いて顔を上げると、肌襦袢を羽織った陽さんが微笑を浮かべて僕に手を差し伸べていた。 「お辛いでしょう。こちらへ…」 「え…」 陽さんに手を取られて、僕はガラス扉の向こうの世界へ足を踏み入れた。

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