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第20話 道しるべ 参

口を塞いでいて良かったと、心から思った。 目の前で繰り広げられる光景に、思わず声を出しそうになったのだ。 着物を淫らに着崩した男。夕さんより少し若いだろうか。整った顔と均整のとれた美しい身体を持った彼を、50代ぐらいのガタイのいい紳士が、激しく突き上げている。 僕は男が好きだが、さっきのようなことも含め、あまり経験がない。ハッテン場に顔を出して、いいとこキスするくらいだ。要するに、ゲイにモテないのだ。身体も細く、どちらかというと女顔。ゲイの世界ではガチムチ系が、やはりモテる。 なので、他人のそういう状況など当然お目にかかったことなどない。 ネットなどで見るのとは、迫力が違う。 犯されている彼も、突き上げている紳士も、僕たちがいることなど気にしていないように、行為にふけっている。不思議に思って夕さんを見ると、すっと人差し指を前に伸ばした。 よく見ると、彼らと僕たちの間に、よく磨かれたガラスが一枚あることが解った。 夕さんはもう一度口の前に人差し指を立てて、微笑んだ。僕は口を押さえたまま、必死で何度もうなづいた。 コン、と夕さんがガラスを叩いた。 すると、抱かれている方の彼が、ちらりとこちらに視線を寄越した。 目が合った気がして、飛び上がりそうになった。 抱かれていた彼は、そんな余裕があるのか、汗にまみれた顔で微笑んだ。 立ち尽くす僕の背に手を回して、夕さんが退室を促す。 すっと襖を閉めると、夕さんが言った。 「彼は、波多野 陽。僕と同じく、ここで働く男娼です」 「あ、あの、今、その…」 「大丈夫、こちらからしか見えないので、気づかれていませんよ」 「でも、さっき…」 「こちらから見ていることを知らせるには、一度だけ叩く。そういう決まりなのです。晴登さまにご紹介する時間がなかったので…お許しください」 いわゆるマジックミラーのようなものか。そんな設備がこの上品な日本家屋の中にあるなんて、誰が想像するだろうか。 それにしても、客には決して教えないだろうことを、どうして僕に? その後も、夕さんは屋敷中を案内して回り、中にはいわゆるSMプレイに使う道具が納めてある部屋まであった。 不思議なのは、料理人や清掃をする人間にまったく出くわさなかったことだ。どこもかしこも綺麗に整った大きな屋敷が、この夕さんとさっき見た波多野さんだけで回されているはずがない。それを感じさせないのも、この宿の趣なのだろうか。 その疑問に答えるように、夕さんは最初に食事をした座敷に戻ると、静かに話し出した。 「この「臥待月」は…オーナーの意向をすべて具現化した宿でございます」 夕さんは、もうすっかり酒の抜けた僕に、物語を読み聞かせるように話してくれた。 養父が交通事故で足を負傷する少し前のことだったそうだ。 男色家。今の言葉で言えばゲイだった相楽丈一郎は、跡取りにする為に 三人の養子を迎え入れた。 自分の欲求には蓋をして、とにかく帝王学を息子たちにたたき込んだ。 13歳で引き取った長男の弓が20歳になったタイミングで、丈一郎は直接息子たちを指導する立場から退いた。 次男の亘は頭脳明晰で、弓よりも経営者向きだった。三男の晴登は平凡だが穏やかで、人と人を繋ぐ能力に長けていた。 息子たちの成長に安堵した丈一郎は、15年近く封印していた自分の性癖を呼び起こされる出来事に遭遇した。 運転手のミスで、丈一郎の乗った車が、ふらっと路地から出てきた少年を轢いてしまった。軽い怪我だったものの、すぐに警察を呼び、病院に運ぼうとしたが、少年がどうしてもそれを嫌がった。 仕方なく、仕事用のオフィスにしてあるマンションに運び手当をした。 絶対に素性を言おうとしない少年は、金をせびることもなく、怪我が治るまで黙って丈一郎の保護のもとにいた。 17、8歳に見えるその少年は、身体が治ると丈一郎の家を出て行こうとした。相変わらず名前も素性も、本当の年齢も、どこから来たのかも、どこへ行くのかも何も言わないまま、礼だけを言って。 未成年らしき彼をそのまま放り出すことも出来ず、丈一郎は仕事を与えて引き留めることにした。 食事の作り方、掃除や洗濯、パソコンの使い方、一通りのことを教え込み、マンションの管理をさせた。 そこで、丈一郎は気がついた。 この少年に対して、同情以上の気持ちを感じていることに。 息子ほど年下の、か弱い少年を光源氏よろしく、自分好みの男に育てたいと思ってしまっていた。 そこで、考えた。 まず町外れの広い土地を買い、そこに豪華な日本家屋を建てた。丈一郎好みの内装をしつらえ、一流の料理人を迎えた。そしてプロを雇い、少年に接客のメソッドを叩き込んだ。 彼は優雅な身のこなしと上品な言葉遣い、理想的な外見を手に入れた。 そして丈一郎はその間に少年の身元を調べた。 年齢は18歳、孤児だった。 日銭を稼ぐために身体を売っていたところを、車に轢かれた。 そして結局丈一郎は彼が20歳になるのを待たず、彼に男の悦ばせ方を教えた。 そして、日本家屋を現代版の陰間茶屋に見立ててオープンした。 ただし、簡単には予約の取れない、高級な娼館として。 とんでもない対価を払ってでも一晩を共にしたいと思わせる男娼と、豪華な料理。各部屋には備え付けの桧風呂。要望があれば、アブノーマルなプレイも厭わない。 一度訪れたら二度と忘れられなくなる、隠れ宿。 オープンの一年後、丈一郎は事故で足が動かなくなった。 「これが、この「臥待月」が出来た所以でございます。おそらく出来上がった頃、晴登さまはまだ中学生ぐらいでしょうか」 「そうですね…20歳になって、兄たちから聞きました。でも、そんな詳しい話は一度も…」 「…このことは、オーナーの許可がないとお話出来ません。弓さまと亘さまは、ご存じないことです」 「養父は、どうして僕に…」 「それは…もうお気づきではありませんか?」 夕さんは艶やかに微笑んだ。 もし養父が僕にこれを話せと言ったのだとしたら、一つだけ思い当たる理由は、僕が彼と同じ、ゲイであること。 兄ふたりは異性愛者で、亘はすでに妻がいる。 会社を継ぐのは次男の亘。 長男の弓は、表舞台には立たず、養父の二の腕として働く。 僕は、ただ言われたことだけをしていればいいと思っていた。 平凡で、特に取り柄のない、血の繋がりのない三男を、養父はきっと疎ましく思っている。そう思っていた。 「オーナーは、この「臥待月」を、とても大切にされています。決して妥協を許さず、いつも最高のもてなしを提供するようにと…それは、きっとオーナーが求めていたものを、実現させるため…」 養父は、他人であるはずの三人の息子を、しっかり育て、愛してくれた。 そのため、僕たち兄弟はそれぞれを尊重し互いを思いやることができた。 そんな養父が、いつ、僕の性癖を知ったのかはわからない。気がつくと兄たちも養父も、それを疎むでもなく受け入れてくれていた。 「弓さま、亘さまでは、そのオーナーの理想を継ぐことは難しいと思われたのでしょう」 「まさか、養父はここを…僕に継げと…?」 それには答えず、夕さんは微笑んだ。 僕は言葉が見つからず、しかし胸にこみ上げるものが熱くて、苦しかった。 やっと絞り出した声が震えていて、自分でも驚いた。 「僕に…出来るのでしょうか…」 泣いたのは、いつぶりだろうか。 本当の両親が亡くなったのは、まだ物心つく前で、泣いた覚えはない。 引き取られてからは、養父と、兄たちに愛され笑ってばかりだった。 何も言わず、僕が自分らしく生きる場所を与えてくれた養父の思い。きっとそれは、かつて生きづらさを経験した彼なりの、僕への精一杯の愛情なのだろうと思えた。 涙がぼとぼとと畳を濡らした。 「オーナーは……晴登さまのことは、お優しすぎて時々心配になるとおっしゃっておいででした。でもその思いやりに満ちた細やかなお心が、この「臥待月」には必要なのです」 夕さんの言葉に、途切れ途切れだった涙が一気に溢れ出た。 泣いてしまった僕をあやすように、夕さんは優しくキスをしてくれた。 そのあとの記憶ははっきりしない。 睡魔がやってきたかのように、僕は眠りに落ちた。 目が覚めると、いつのまにか浴衣をきて、昨夜食事をした座敷の布団の中 にいた。 昨日一晩、あまりにも濃い出来事がありすぎて疲れているはずなのに、妙にすっきりしている。 着替えながら、眠りに落ちる直前、夕さんの膝枕で尋ねたことを思い出していた。 『「臥待月」という名前はどこから…?』 『それは…』 夕さんは、懐かしむような口調で話した。 丈一郎が仕事を終えマンションに戻ると、どんなに遅くなった日でも少年は起きて待っていた。先に寝ていいと何度言っても、必ず起きていた。 丈一郎はそんな少年に、ある月の話をした。 新月から19日目の月は、出るのがすごく遅い。起きて待っているのは辛いから、臥して待つ。そこから臥待月、もしくは寝待月と言われる。 『起きて待っていなくても、必ず帰ってくるからと…臥待月のように。そうオーナーがおっしゃったとか…』 あの養父がそんなロマンチックなことを言うとは思えないが、それほどに少年を愛していたのだろう。 玄関には、綺麗に磨かれた僕の靴が並んでいた。 自分の顔が映り込むほどの鏡面仕上げだ。これも、喜ばれるひとつの所以か。 格子戸を開けると、門のすぐ外に養父の車が停まっていた。 僕を見ると、彼は満足そうに微笑った。 一歩踏み出すと、ざあっと風が吹いた。桜の花びらが後ろから僕の身体に降り注いだ。 振り返ると、桜の樹の下で夕さんが深く頭を下げ、見送ってくれていた。 養父の愛した少年が、夕さんなのか。そうなのだろうと思っても、なぜだか聞くことが出来なかった。 本当のことを知ってしまったら、養父に嫉妬してしまいそうだから。 もし僕が養父を越える男になった時、あなたは振り向いてくれますか。 夕さん。

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