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第23話
義母は珍妙な沈黙を作った後、口を開いた。「……私が黒田の姓であること、覚えてる?」。
それを聞いて、田淵は呆気にとられる。
「え? 覚えてなかった」
「大企業の黒田って、知ってるわよね」
「う、うん。多岐に事業を展開してる……」
「そうそう。そこね。私がここへ嫁ぐ前、社長してたの」
平然と言ってのける義母に、田淵はあんぐりと口を開ける。そして、義母はそんな田淵を余所に続ける。「それで、次期社長になるため経験積んでる息子がいて、今、23なのよ」。
「……っ、お、お義母さん、社長だったの?!」
「そうよ。バリバリのキャリアウーマンだったわ」
「……専業主婦に何故」
「そりゃ、うちの旦那さんと一緒になりたかったからよ」
「……え」
「あ、たったそれだけ? って顔してるわね」ジト目で田淵を一瞥する。
「女は何歳になってもどんな立場であっても、女ってことよ」
「そういうもんなのかな」
「そういうもんよ」
「黒田家は欲しいものがあるなら、何がなんでも手に入れろ、なの」と大きくウィンクをして見せた。
「肩書きもお金も捨てて、田淵家になりたかった。だからね。私は今の方が幸せなのよ。旦那の稼ぎが前の私より良くないかもしれないけど、家主として私たちを支えてくれてたじゃない?」
「……うん」
「でも、ちゃんと私にも母親の役割を与えて、一緒に支え合ってもいた」
義母は、田淵の奥に焦点を当てていった。「だから、家庭において二人三脚って初めてでね。すごく大事なこと、気付きもしないで向こうに置き去りにしちゃったんだなぁって……」。
「お、お義母さん」
「っはは、前の旦那さんも副社長として一緒にやってきたのに、一人で解決してきたって今まで思ってたから」
義母は、来客用のティーカップを口につける。
「一人で抱え込んでるつもりが、実は二人一緒に悩んでましたってオチに気づくのが遅くなってしまった……。だから、今の旦那さんにそれを教えてもらったし、そこに惹かれたっていうのもあるから、感謝してもしきれないわ」
田淵も同じようにカップに口をつける。
(……一緒に悩む——そういえば、僕と黒田君は、お互いがお互いに、自己完結……してるような気がする)
「うちの息子も黒田家の血統書付きワンコだからねぇ。筋金入りの強欲さなのよ。きっと、欲しい物のためなら、手段を問わずに手に入れてるでしょうね——いいえ、私の息子だもの、手に入れてしまってるはず」
「私のように一人で完結して物事を考えて……」義母はらしくない声色で言葉を床へ落とした。
「息子さんもお義母さんと似てる?」
「ええ、激似よ。私より人間臭くなかったのが気味悪いけど」
「あの子と時々連絡してて——心の底から私を嫌ってることだけは分かるんだけど、それ以外の心情は全く見えてこないわ。綺麗事ばかりを口先で並べて、その場を収めることに必死という感じで」と義母は床に向かって吐露する。
「正直、貴方を巻き込んでしまうかもしれないって思ってハラハラしてたのよ」
「巻き込む? なんで? 僕はその息子さん? に会わせたくないっていうこと? まぁ、僕もちょっとお断りするかもだけど」
「何言ってんのよ? 貴方、同居してる人の名前、黒田の何よ」
嘆息混じりに義母がいうので、疑問符をたくさん頭上に上げてから答える。「あ。待って……僕、知らないかも」。
「そんな人といつの間にか心を開いて同居までしてるなんて、面白い話ね。余程人身掌握術に長けてるとみたわ」
「……そんな。僕は、別に騙されたわけじゃないよ」
「——そうね。きっと何か考えがあって、貴方に近づいたんでしょう」
「少なくとも、私に用があるっていう感じだけど」手からの振動で揺れるカップ内の水面。そこへ視線を落とす義母。波紋の広がりが大きくなっているようだ。
「今思えば、私の連絡先を受け取った時点で、私も利用されてると気づかなかったのは、私が幸せボケをしてたせいよね」
「え、え? 何の話?」
「私、言わなかったけ? 息子が今年23なのって。で? 貴方の同居人は黒田で? 何歳なのよ」
田淵はようやく「——っ、2、23……」と瞳を右往左往とさせながら答える。
「私の息子が、どうも、お世話になってます、と言った方がいいかしら?」
「え、っと僕……あの」
「もっと状況証拠を上げるなら、私、あの子が高校生くらいの時に、一度再会してるのよ。偶然だけど。その時に、貴方も後からだけど、会ってるのよ」
「覚えてなくても、あれだけ人見知りしてれば無理もないのだけど」義母はいう。
「あの子は覚えてるでしょうね。あの子ともう少し話したかったから、貴方のことを話題にした記憶があるもの」
「そ、そうなん、だ」
「うちの息子が、なんて言って近寄ってきたかは知らないけど、同居してるってことは、何か接触があったはずよ」
心当たりしかなくて、どもりながらも紡いできた言葉が、ついに途絶える。
「うちの息子、きっと私を心の底から嫌いなはずだから、貴方を巻き込むのは間違ってる。今の私なら分かるわ。間違ってる」
「……本当に、僕は、利用された、だけ……?」
「ヒロキ……大丈夫よ。私が守るから」義母は田淵を抱きしめる。心なしか義母の方が震えていたように感じた。
だが、田淵には恋人同士だと言われて身体まで重ねた事実があるだけに、ただ打ち拉がれるしかない。
(出会った当初に言ってた黒田君の優しいって言われたことないって話……)
「でも、貴方このことに気づいて、帰ってきたんじゃないとしたら……本当に実家に帰ってきただけだったの?」
「私はてっきり、私の息子の飛露喜のことを知ったからとばっちりだって怒りに来たのかと」背中をさする義母は珍しく自虐を口にする。
帰ってきてからの義母は、らしくない言葉を連発している。
「……——え、飛露喜っていうんだ。僕と同じ……」
「え。そこ?!」
「あ、すごく、ショックは受けてるんだけどね」
「アッハハハ!!」
高らかに笑い出す義母は、さすっていた田淵の背中を叩いた。
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