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第26話

 田淵は腹を括って帰宅したが、憔悴した黒田を見るなり、裏をかかれたことなどすっぽりとぬ落ちてしまった。極め付けは、田淵の存在を匂いで確かめられたのか、安心して熟睡してしまったのだ。  気を張っていたのだろう黒田は、無意識に田淵の腰に巻きつき離れない。 「それにしても、なかなか起きないな」  黒田の髪を好き勝手に弄んでみるが、何の反応もなく眠り続けている。 「あれだけ入るなって言われてた部屋に二回目の侵入も簡単に出来ちゃったんだけど。こんなことなら、入るなっていう理由聞いとけば、僕も心の準備出来たかも知れないなぁ……たられば言ってても仕方ないけど」  黒田の寝技かと間違うような力をなんとか振り解き、デスクトップのPCを起動させた。  管理ファイルのところは、過去のものから現在の全てに昨日の閲覧記録が残されている。 「という事は、僕がこのPCを触ったことを知った上で、全て確認したわけだな」  意味不明な数字の羅列のファイルは以前から手付かずであったが、言わずもがな、隠しカメラの画像である。田淵は黙考の末、ファイルには蓋をすることにした。    すると、ふとしないところから声がかかる。「ヒロキさん?」。  耳元に直接入ってくる声に肩を跳ねて振り返れば、まだまだパンダのようなクマを提げた黒田が、虚にこちらの背を覆うように立っていた。 「黒田君、ただいま」  無断外泊をしたことの後ろめたさこそあれど、互いにそれだけではない理由があることを知っている。それだけに、一つの言葉を発するのに長考して絞り出されているのがわかる。 「……ただいま?」  据わった眼を向け田淵の肩に置いた手も、捕獲する手つきで掴んで力を込められる。  「何嘘こいてんの」黒田は怒りを顕にして掴んだ肩を、後ろのベッドの方まで下げ、乱雑に投げ捨てた。 「ただいま、て。ただいまってね。またこの家に帰ってくる人間がいう言葉であって、俺だけがいう言葉で——ヒロキさんの言葉じゃない!!」  投げ捨てた田淵を馬乗りで跨がり両手を片手で束ねてしまう。 「……で。荷物でも取りに来た?」  少し人間の匂いがする黒田から、田淵を叱る言葉が矢継ぎ早に吐かれて、不謹慎にも心地いいと感じてしまった。以前の自分なら、必死で逃げ道を模索している状況だ。    田淵は努めて平静に黒田を宥める。「違うよ、黒田君話を聞いて欲しい——」。 「聞きたくない!!」  黒田は目の前の田淵さえ見据えられていないらしい。田淵とまるで視線が合わない。 「俺がヒロキさんのことを過信したのがいけないんだ。……もっと単純で操作しやすいと思ってたのに」 「操作……」  反芻する言葉とともに、黒田から腕を締め付けられ声を上げそうになる。 「聞きたくない!!」  虚なままの彼はまるで話が通じない。どんな言葉を田淵が言おうと、黒田が頑なに拒絶する。  田淵は痛む腕を叱咤し、顔を歪めながら黒田を見つめた。 「このタイミングは逃せない……。ヒロキさんいるし、俺の部屋だし、此処でいいよね?」 「ん、何が?」 「監禁しちゃうの」  平然という黒田に開いた口が塞がらなかった。黒田は田淵を見たままいう。「あーでも、拘束具はクローゼットだし、一回この手を離さなきゃならないな。——駄目だ、そんな危ないことできない」。  小言をぼやきながら、さらに握る力を強めて黒田はニヒルに笑う。 (黒田君が……焦ってる) 「抱き潰しちゃえば、解決するか!」 「く、黒田君?! そんな……ちょっと待ってよ」  田淵の制止の言葉は、ちくわのように右から左へ筒抜けている。黒田は人間の匂いをさせながら、田淵の耳を喰む。さらに、唾液を含ませて喰むので音も快感として拾ってしまう。 「黒田君! ……っ、待って、ホントに」 「……」 (何度声をかけてもまるで聞こえてないのが、すごく怖い……。どうして覚悟なんか決めて此処に帰ってきたんだろう)  性行為を手段の一つとして扱われているというのに、快感を拾う自分がみっともなくて、でも、彼の舌で嬌声を上げて黒田からの刺激に嬉々としてしまう。 (拒みたいのは山々……だけど、嬉しいし何より——)  黒田は田淵の耳を喰んだ後、「スイッチ入れてくれた?」と田淵の整理的に出た涙を舐めとって窺う。  それから、逃げる選択をしないと分かったのか、今度は田淵の唇を喰む。 (こんなこと、他の人にもさせられない……僕だけに任せて欲しい……。手段の一つだとしても、僕だけなら)  「ふふ、黒田君、とことん付き合うよ」田淵は濡れた声を出しながら黒田の腰に足を巻き付けた。組み敷かれた状況で、これが精一杯の煽りだった。   「——抱き潰されたって、這ってでも逃げられるって言いたいの?」  どうやら、大きく曲解をしたらしい。 「僕、逃げたって、逃げるところないよ」 「は、教えてくれなくても、絶対突き止めて見せるから。いくらでも逃げな?」  つい最近初体験を終えた遅咲きの田淵が、大胆な誘い文句を口にしても頑として信用しない。遅咲きの田淵が羞恥心を堪えて破廉恥な誘いをしたが、何も反応してくれないのだ。  空虚な黒田の眼には、田淵とよく似た人形に見えているのかと疑いたくなる。 「――、黒田君の・・・・・・ばか、バカ、馬鹿――馬鹿ッ!」  熱いものが目尻から垂れていった。  

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