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第31話

 疼く腰の痛みに目を覚ませば、隣にいて欲しい人がいない。寂しさに負けて、冷たいシーツを触った後、のそのそと黒田の部屋を出る。田淵は全て覚えている。 「おはよう! ——と言っても、お昼だけど」  穏やかに笑む黒田の姿に安心する。それに釣られて田淵も微笑み返す。   「ご飯できてるよ、食べよう」  あいも変わらず美味しいご飯にありつける田淵。食卓の向かいに座る黒田に、腹の底から満足感を味わう。 「——昨日はご飯どうしたの?」  昼からガッツリ飯を食う田淵を、見つめる黒田はいう。これはさながら、奥さんの飯を食いながら浮気や不倫等の事情聴取をされる、家庭内ヒエラルキー最下位の旦那の気分だ。差し出される飯も、「カツ丼」の役割を果たしているのだろう。  だが、田淵は昨日の田淵と一味違う。 「ああ、昨日は実家に帰ってたんだよ」  多少の疑念をこちらに送る黒田に、臆することなく飯を食い続ける。堂々と食っていれば、伝わるはずなのだ。清廉潔白な田淵自身を信じてもらうために。  「実家?」という黒田の瞳は黒さを増している。 「そうそう、僕、ここに帰ってくるつもりだったし。外に出たのは、ケジメをつけたかったから、ていうだけ」  そして、飯を美味いと連呼しながら黒田にいう。「黒田君のことをよく知らないから、怖いと思って距離とって当たり前じゃん、て思ったら気が楽になって、ここに帰ったら、たくさん教えてもらおうと思ったんだけど」。 「義理とはいえ、兄弟だったとは……言ってくれたら良かったのに」 「……あんまり義兄弟なんて、言いたくなかったんだよね。勝手に兄気分になられても困るし」 「……た、確かに。兄弟っていう関係性は壊したくないタイプだけど!」  「僕を産んでくれたお母さんは別にいるから、親戚のしの字もないんだけど! 黒田君ばかりずるい気がしない?!」と頬を膨らませる。田淵は黒さをひた隠しにしていた黒田の前で、尚も臆さない。 「黒田君だけ全て知ってる上で、この関係まで漕ぎ着けたって——策士にも程があるね!!」 「それは……ゴメンね。でも、俺らちゃんと一回会ってるからさ」 「……覚えてないから、それはこっちがゴメンというか」 「だろうね。ヒロキさん、人見知り激しくて、お義母さんにも未だ懐いてないって感じだったから、相当人間不信だったのかな」  意気揚々と進んでいた箸が止まる。「カツ丼」と嫁ポリスこと黒田ポリスに絆された犯人が、ぽつぽつと自供する。「……そうだね。お恥ずかしい話だけど、お母さんと違って、今のお義母さんは気が強くて我が道を突っ走る人だから、苦手意識をもったままの日常がすごく苦痛だったよ。嫌いになるほど何かされたわけではないんだけど、一緒にいるとストレスを感じるからさ」。 「そのおかげで、俺はヒロキさんを守ってあげなきゃ、て思えたし、ひとまず復讐を休止することにしたんだよね」  今度は嫁ポリスが身の上話をして、にんまりする。自供は既に終わっているが、延長で続く会話は、火曜サスペンスの取調室ではあるあるだ。「この人も母に振り回されてるんだ、て思えたから、今があるんだ」。 「今でも、お義母さんのこと嫌い?」 「諸悪の根源はその血筋を作った祖先かもしれないけど……」  嫁ポリスの身の上話に、犯人自らが食いかけの「カツ丼」を差し出すような雰囲気でいった。「聞かせてよ」。 「黒田君の名前すら知らない僕が、好きとか口走っちゃってさ。黒田君の好きと度合いがまるで違うって思われるの嫌なんだよ」 「ヒロキさん……もう、大好きだよ。なんでそんな細かいとこ気付いてくれるかなぁ……」  嫁ポリスこそ、憑き物がとれたように「くだらない嫉妬とか、独占欲とか、どっかに飛んで行っちゃった」困り顔を見せる。  それから互いに育った環境から、心境まで吐露し合った。   「……ねぇ、黒田君のお父さんの顔見たいんだけど」 「いいよ、これなんだけど」  スマホの画像を田淵に見せる。「あ、この人見たことある!! 僕の家にあった写真と同一人物だよ」田淵は黒田にいう。 「昨日実家に帰って仏壇の棚からちらっと見えちゃってね。お義母さんが僕に通帳を渡してきて、お父さんが少しづつ貯めてきたものだからってくれたんだ」  「その時に、イケオジの写真が入ってて、浮気か?! って思ったけど、そういえば、うちに来たのも理由が理由だから、あんまり気にしないようにして帰ってきたんだけど……黒田君のお母さんって、本当に読めない人だよね」眉尻を下げて笑う。 「ヒロキさんがそんなんで、少し気が紛れたよ。それにしても、昨日の帰り際にまた何か言われなかった?」 「言われたよー、100万でも持って帰ってきなさいだってさ! 僕は嫌ですって言ってやったさ!」  「強くなったんだね」黒田が頭を撫でる。 「それにしても、イケオジっていう感想が……っツボなんだけど」 「黒田家は両親揃って美男美女だから、黒田君がこんなにカッコイイのは素晴らしい遺伝をもらってるからなんだね! いいよね」  「俺、カッコイイの?」きょとんとする黒田に、田淵が呆気にとられた。  そうして、内心で思ってきた事が口に出た瞬間であった。  幸せを感じると、口から出てくる言葉の検問もゆるゆるになるらしい。 「あ、えっと……今のナシ、でいい?」  「無理でしょ」ニヒルに笑う黒田が、何故か黒田らしい、そう思ってしまった。

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