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第42話――黒田――
「交渉はまた明日此処へ来る時にやらせてもらっていいかな」
「――へへ、その低姿勢、分かってるねー。おっけ。明日の19時此処に集合だ」
「ありがとう」黒田は頭を垂れて出ていった。
外へ出れば、秘書が出待ちしているわけでも、タクシーが呼び寄せられているわけでもないエントランスを確認して、くつくつと腹の底で煮るように笑ってやった。
(やっぱり、俺の人生はイージーモードかもな!!! あの秘書には驚かされたが、あの女がむしろいい仕事をしてくれた! 馬鹿女のあっと驚く顔も楽しみだが、廣田のヤツ・・・・・・アイツは社長の言う通り、経営者には向いてないな)
念の為に最寄り駅まで無言で歩いて、そこからタクシーに乗り込む。
ようやく口にしたのが田淵の待つ自宅の住所だった。
そしてすぐさまスマホを取り出し、田淵に連絡を入れようとする――しかし、外を見ればもう夜更けだ。決算書を読みこむのに時間がかかったせいだ。
きっと田淵は寝ている。
取り出したスマホを再度戻して、お詫びの品でも買ってから帰宅することにした。
あれよあれよと時間は過ぎ、渋滞に巻き込まれながら帰宅する。
時刻はもうお昼すぎ。「ただいま!」と玄関から元気よくいっても返事はない。
朝帰りならぬ昼帰りに怒り心頭なのか、無視を決め込まれているらしい。迎えにも来ない。
寂しさを感じつつ、部屋着に着替えるために自室のドアに手をかけた。
――黒田は胸を打たれた。
着替えようとしていたスウェットは田淵が腕を通し、自分の服は床に無造作に放置されている。しかも、田淵は自分のPCをもって、此処で作業してそのまま眠ってしまったのだ。
ベッドでぱっかりと口を開けて眠る田淵に愛しさしか出てこない。
「なんでアラサーがこんなに可愛いかな――スマホで部屋の状況見なくて良かった。こんなサプライズ最高」ゆっくりと近づいて、空いたその口に自分の舌を入れてみた。
抜けた声が口の端から漏れ出す。寝ていても快感は拾ってくれているようだ。
しかし、寝ている相手に無茶をすると、呼吸の確保が難しくなってしまうので程々に止めて頭を撫でた。
「・・・・・・――ん、ぅ黒田、君?」
「おはよう、昼寝しちゃってたのかな?」
「・・・・・・」
「――ごめんね。昨日は抱いてやれなくて」
「期待して帰ってこなかったから機嫌悪いって思ってる? それ、僕を甘く見てるの?」起き抜けにしてはやけにハッキリと物を言う田淵。
此処に住みだしてから、コミュニケーションの向上は目覚ましいが、今日はとくに饒舌だ。
(あれ・・・・・・? ここは照れながら否定するかと思ったんだけど)
「・・・・・・連絡できなくて、ごめん」
「なにそれ。LINEで一文字も打てないくらい忙しかったの? 移動の間も忙しくて携帯すら触れなかったと」
「――そうだね。あの状況では触れなかったんだ」
「分かったよ。黒田君、いつもちょっとだけ汗臭いけど・・・・・・今日は一段と臭いね。激臭。早く風呂に入ってきて」視線は合わせてくれるものの、それが痛く突き刺さる。
至近距離での鋭利的な視線に戸惑いを覚えながら、大人しく田淵のそれに従った。
(あとでデスクトップの隠しカメラで確認しよう。早く答え合わせしなきゃ、このまま本当に抱かせてもらえない)
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