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第84話――黒田裕子――

 昼下がりの家内は、全体が微睡みを重たくさせる雰囲気がある。裕子は、お気に入りの花柄ソファに横になる。  更年期に差し掛かっていることもあり、眠気に弱くなる――。  そこで気を張り詰めさせるインターホンが鳴った。裕子には未だに黒田の敵が数えきれない程いる。くわえて、飛露喜が起業したことで、妬みや嫉みの画策が裕子宅まで及んでいる。  だが、玄関ドアを開けて唖然とする。  荷物をまとめた今の息子が立っていた。  「どうしたの?」と聞くまでもなく、別居を決断したのだろう。裕子は「1泊1万円よ?」にんまりして言ってみる。 「お義母さんが迫る額にしては少ないね」  クス、と笑った田淵は裕子の冗談が通じていたようだ。 「落ち着くまで居ていいのよ」 「・・・・・・ありがとう。スマホすら今持ってなかったから、まずスマホの確保からしないといけないんだ」  中へ招き入れながら、田淵は案外打算的なのではと感じる。 「スマホを置いてきたの? 忘れてきたの?」 「・・・・・・置いてきた」 「アンタも隅においとけないわねぇ。まぁ、だからこそあの子と上手くいってたんだし、無理もないわ」  「あ、別に今貴方たちが抱えている問題に私が関係していないのなら、少しも関与してやらないわよ。自分らでどうにかしないさいよ」裕子はため息をひとつ溢していう。 「荷物持って帰ってきたんだよ?」 「そうね? 暫くはウチに雲隠れでもするつもりでしょ?」 「そ、そうだけど」 「だから、通信機器は手放して来たわけでしょう? そこから先のことは貴方が決めなさいよ」 「――0からやり直そう、て思ってる」 「1からじゃないのね」  裕子はもう一人の愚息がやりすぎたのだとすぐに察した。自分がこれだけ周りを見ずに行動してきたのだから、腹を痛めて産んだ飛露喜には、それが色濃く似ていていることくらい、容易に予想できてしまう。  だが、目の前にいる小さくなった30を越した男もまた、裕子の息子である。 「大丈夫よ、通信機器を置いてきたのなら、ある程度は誤魔化すから安心して家にいなさい」 「ありがとう」 「あ、ねぇねぇ、早速だけど、お酒飲む?」 「え?」 「だぁって、息子と晩酌できるのは親の楽しみでもあるのよ? お父さんがもうすぐ帰ってくるはずだから、三人で仲良く飲みましょ!」  息子を100%の味方でいることはできない。もう一人の愚息も裕子の大事な息子だから。 「それで、此処から仕事は通勤するの?」  「社会に出だして私はびっくりしたわ、経験するという意味では稼ぎよりも勉強しに行くって感じなんだろうけど」裕子はいう。  すると、肩を多少跳ねさせて「辞めた」という田淵を見て分かってしまった。  「数年働いたし、今度はどこの会社に勤めようかと思ってたところだから、この辺で探すのもいいかな」という田淵の八の字眉が似合いすぎている。 (この子も飛露喜を悪者にしないように言葉を選んでくれているのね・・・・・・手がかからないとは思っていたけど、此処まで自己犠牲することはないのよ)  喉まで出かかったが、口にすることはできなかった。 「ありがとう」  まだ、飛露喜にチャンスをあげたい。親心が邪魔をして田淵に「飛露喜を忘れてしまいなさい」と言ってあげることはできない。

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