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、(侑side)
優が席を離れていってしまった。それをみて、しまった、と思う。
いま、ここにいるのは俺と、会社のトップ。気まずいったらありゃしない。
けれど、と少し思い直す。
「あの」
「はい?」
「神田社長って…」
「会社じゃないし、社長はやめてください」
そういって困ったように笑った。少し緊張がほぐれる。
「じゃあ、神田さんで…あ、敬語やめてくださいね、神田さんの方が年上ですし」
「んー…分かった。それで、なに?」
「なんで、優なんですか」
そう言った瞬間、神田さんの目がすうっと細められる。値踏みするような視線に、びくっと身体が反応するけれど、怯まずに背筋を伸ばす。神田さんはふっと笑みを浮かべると、柔らかい雰囲気に戻った。
「そうだな…最初は、俺の一目惚れだったんだけど。努力家なところも、笑顔も、感情を隠さずに全身で全てを伝えてくれるところも、俺の弱さを受け止めてくれるかっこいいところも、全部好きだから…かな」
けれど、優を語るその姿は、柔らかくて。この人なら大丈夫だ、となんとなく悟った。
「優を泣かせないでくださいね」
「その約束は出来ないけど。全身全霊でまもるつもりだよ」
今度こそ。そう口が動いたような気がしたけど、気付かないふりをした。
「じゃあ、よろしくお願いします」
くす、と神田さんが笑みを浮かべる
「一一ありがとう」
唐突にそう言われ、グラスを手にしたまま首を傾げた。
「優を、大切にしてくれて。こういう、男同士っていうことを伝えるのって、思った以上に難しいんだ。けれど、優は、それを君に伝えて、君はそれを受け入れてくれた。それは、優にとって、かなり嬉しい事だったと思うんだ。だから、ありがとう。これからも、優と仲良くしてほしい」
そう言って神田さんは頭を下げた。
慌てて、顔をあげてくださいというと、少し照れたように笑みを浮かべた。
俺より年上の男が、しかも会社の上の上、まさにトップの人なのに頭を下げる。自分の地位に驕らず、1個人としてきちんと頭を下げられる。それがどんなに凄いことか。
一一俺たちの上にいる人は、この人なんだ。
そう思うと、明日からの仕事を更に頑張れるような気がした。
呑気な顔をした優が帰ってくる。神田さんの誠意を見たあとのその顔は、なんだかとてもイラッとして、1回だけ舌打ちをした。
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