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鷹取光輝01

 早坂は優しくて、物腰が柔らかくて、アルファなんかより紳士的で、声を荒だてたことなんて一度もなくて……そんな早坂があんなことを……どうして……しかも父と……  世界が、ガラガラと音を立てて崩れていく。  あれはきっと……発情期、とかいうやつだ。  セックス、と同じで、発情期、も、知識としてはあったけど、目にしたことなんて一度もない。だって今はいい薬がたくさんあって、発情期中も普段と変わらない生活を送れているひとがほとんどだ。早坂は薬が効かなかったんだろうか。いや、結局のところ発情を鎮める一番の方法は、アルファとセックスすること、とも言われている。どんないい薬でも、やっぱり『それ』には敵わないのだと。だからあえて薬を飲まず、セックスに溺れていくオメガもいるらしい。  だけど……待てよ……じゃあ……いつから……?  もしかして今までもずっと、あんな風に、父が慰めてやっていたのか? どうしてそんなことまで父がやってやらなくちゃならないんだ。あんなセックスに毎回毎回付き合わされていたら、とても身がもたないじゃないか。あんな風に欲深く父を求めて、父を食らって、それで次の日、何食わぬ顔で光輝の服を準備したり、花の手入れをしたりしていたのか。分からない。分からない。分かりたくない。どうしてそこまでして、オメガの面倒を見てやんないといけないんだ。どうして父が……  同級生の親たちの態度、従兄弟たちの態度、しつこいくらい繰り返された道徳教育……いろんなものがすっとひとつにつながって、腑に落ちた。  怒りではらわたが煮えくり返っていたはずなのに、気がつけば頬が濡れていた。手にしていた答辞の、希望に満ち溢れた文が滑稽だった。  翌朝、早坂に起こされる前に起き、早坂から渡されるより早く自分でコートを取った。あまりに不自然な態度だとバレてしまう……いや、かまうもんか。自分だけが秘密を抱え込まされて、感情をぐちゃぐちゃにかき乱されているという状況が理不尽に思えてきた。あんなに好き勝手やってたんだから、自分だって好き勝手やる権利はあるはずだ。差別はいけないことだけど、自分の父親を食い物にされて、それでも黙ってなくちゃならないのか。  それからしばらくは早坂と口をきかなかった。彼がふれたものにはふれなかったし、車にも乗らなかった。自分がどれだけ怒っているか思い知れ、というつもりで取った行動だったけれど、悲しいかな早坂も含め大人たちには単なる反抗期、としか映らなかったらしい。馬鹿馬鹿しくなってやめた。それでも前と同じように接することはとてもできなかった。  あるとき、車の中で、小さな瓶が転がっているのに気がついた。拾い上げると中には、錠剤。瓶に貼られていたラベルは英語でよく分からなかったけれど、INHIBITOR(抑制)というのは分かった。今まで実物を見たことがなかったから、思わずまじまじと見つめてしまった。これが抑制剤……  早坂が普段使っているものだ、という嫌悪感も飛び越えて、何故か反射的にそれをポケットの中に入れていた。  数日して、駐車場の周辺でうろうろしている早坂の姿を見つけた。車の下や、排水溝を覗き見たりしている。何を探しているのかは、すぐに分かった。 「おい」  呼びかけに、弾かれたように顔を上げる。  こういうところにも嫌悪感を感じる。あの現場を目撃するまでは……真実を知るまでは……そんなに萎縮しなくていいのに、と、申し訳なさを覚えると同時に、そうならざるを得なかった彼の生い立ちに思いを巡らせたりしたこともあったのに。  それが今ではむしろ、逆に馬鹿にされているように感じる。まさか頭を下げておけば、それでいいと思っているんじゃないだろうな。せいぜい卑屈な態度を取って、坊ちゃんの自尊心を満足させておいてやれと侮っているんじゃないだろうな。  自分が払っているわけじゃないから偉そうには言えないけれど、給料も、正当な労働の対価だとは思えない。すべて不当に毟り取られている。そんな気がした。住み込みだから当然なのに、トイレや風呂を使っていても、何使ってんだよ、といらいらした。一体誰の許可があって。何の権利があって。  同じ空気を吸いたくない。どこにもふれてほしくない。どこにも。ドアにも、テーブルにも、食器にも、服にも、電気のスイッチにも、何にも……もちろん、父にも。 「探してるのはこれかよ」

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