20 / 133
鷹取光輝03
昼休み。
購買にパンを買いに行こうと財布を取り出したとき、鞄の奥にあのジッパー袋が入れられているのを見つけた。
あいつ……!
恨み言を声に出しそうになったが、慌ててこらえる。
あいつ、何だ、ほんっとに、超うぜえ……!
本当はとっとと捨ててしまいたかったが、その現場をうっかり誰かに見られてしまったらおおごとだ。抑制剤を持っているということがバレてしまったら、どんな噂を流されるか分かったもんじゃない。
冷静に考えたら見つかったところで、これが抑制剤だと普通のひとは気づかない。でも、いつバレやしないか……もしかしたらもうバレているんじゃないか……と、気が気じゃなかった。抑制剤を鞄の中に入れている、ということで、オメガの性に引っ張られていっているような感じもした。
「光輝、何やってんだ、早く来ないと売り切れるぞ」
友だちに呼ばれ、慌てて購買に向かう。出遅れたせいで、購買にはすでにひとだかりができていた。何とかかき分け、目当てのパンを手にしたとき、後からやってきた奴に強引に割り込まれ、バランスを崩してしまった。
「ってえ、押すなよ」
「あ、悪い悪い」
軽いな、おい……
ふりむくとそいつは、つい最近性別検査を受けてアルファだと認定された奴だった。何だよ、アルファだって分かったとたん調子づいて……
そのとき突然、ぞくり、と悪寒が走った。
くらくらする。息が上がる。寒気がするのに……それなのに身体の芯は熱い。こめかみから、首筋から、冷や汗が伝う。気持ち悪い。気持ち悪いのに……
つっ、と、太ももから膝裏まで一気に……汗ではない……おぞましい液体が伝い落ちる感触がした。
駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だ……!
一旦確保したパンを戻し、急いで教室に戻る。友人に声をかけている暇はなかった。
駄目だ。畜生、何でこんなところで……こんなところで絶対、なっちゃ駄目なのに……!
震える手で鞄をあけ、錠剤を取り出す。昼休みで、教室にいるひとが少なくて助かった。しゃがんだまま、見つからないよう急いで口に含む。でも、飲んでもすぐに効くわけじゃない。後ろの穴はまるで意思を持ったイキモノみたいにひくつき、はしたない液体を吐き出そうとしてくる。
ひとの少ない旧校舎の、一番奥のトイレに駆け込む。パンツは湿っていたが、幸いズボンにまで被害は及んでいなかった。ぱた、ぱた、と便器に垂れる音が響く。誰か入ってくる気配がするたび、水を流して誤魔化した。
一体どれくらいそうしていただろう。予鈴が鳴った。授業が始まるまであと五分。でも五分で快復するとはとても思えない。スマホを取り出し、『腹痛いから保健室行く。先生に言っといて』とグループラインにメッセージを送る。1、2、と増えていく既読を確認し、画面を閉じる。
目を閉じながら本鈴の音を聞いたそのとき、バタバタと数人がかけこんできた。「やべー遅れる」「もう遅れてるって」
用を足してすぐに出て行くと思った。しかしそのうちのひとりが、
「なあ」
と、嫌な感じに声をひそめて囁いた。
「何か変なにおいしねえ?」
「変なにおい? そりゃ便所だからにおいもするだろ」
「いやそうじゃなくって……何かくらっとするみたいな……変な……つーか、いい……つーか」
「あー……そう言われてみればそうかも」
心臓が縮み上がりそうになった。
発情したオメガからは、アルファに強く働きかけるフェロモンが発せられ、独特のにおいがするらしい。そんなにおい、今まで一度も気にしたことはなかったけれど、もしかしたら今、そんなにおいが自分から出てしまっているのだろうか。今まで一度も気にしなかった……そう、発情した早坂を目の前にしても何も感じなかった……そのことがオメガであるということの何よりの証明なんじゃないか。
ぎゅっと自分で自分の身体を抱く。そうすることでちょっとでも変なものが漏れ出さないようにと願ってしまう。
ともだちにシェアしよう!