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鷹取光輝03
喋っていた連中は訝しがりながらもすぐに出て行った。
延々この苦しみが続いたらどうしようかと思ったけれど、徐々に熱が引いてきた。効いたのか……薬が。よかった……。ほっとして、でも同時に、絶望した。効いてしまったんだ、薬が。だったらこれって……これって……
一応体調は快復したようだが、流石にあと二時間耐えられる自信はなかった。それに、においが消えているのかどうか分からない。自分のにおいは自分では分からないのだから。
英語の先生はテスト前、テストに出そうなところのヒントをくれる。だからどうしても授業に出たかったのだけれど、諦めざるを得なかった。なるべくひとと接したくなくて、うつむき加減でぼそぼそと体調不良であることを担任に告げると、その態度からよっぽど具合が悪いのだと思われたらしく、「大丈夫か、親御さんに迎えに来てもらった方がいいんじゃないか」と、過剰にいたわられてしまった。
校庭では他のクラスが体育の授業をしていた。見つからないよう小走りに通り過ぎる。ホイッスルの音と歓声が、いつまでも聞こえてきた。その輪の中に、もう二度と入れないような予感がした。
校門から、幹線道路に続くなだらかな坂を下っていく。一歩足を進めるごとに、もう二度と、上へは上がれない……元には戻れない気がする。下っていくのはこんなに簡単なのに。ふりむいて、上がるのには、倍じゃすまないくらいのエネルギーを費やしそうだ。次第に、そもそも自分がちゃんと歩けているのか、ただ落ちていっているだけなのかも分からなくなってくる。もういっそ、延々、こうやって坂をただ、落ちていきたい。ここからどこへも行きたくなんかない。同じ場所でずっと同じことを繰り返していたい。ファンタジーなんかでよくある、延々、同じ出来事がループする一日。それでいい。だっていいことなんて、何もない。明日が来たって、いいことなんて何も、ない。未来に夢も希望もない。全部消えた。
視界がぼやける。重力に従うまま涙が落ちそうになった、そのとき、
「坊ちゃん」
いよいよ自分は、ファンタジーの世界に紛れ込んでしまったかと思った。だって、あまりにもタイミングがよすぎた。これ以上ひとりでいたらどうにかなってしまう、そのぎりぎりのところで、壊れてしまう寸前のところで……すくい上げられた。
光輝のいる反対車線に車を止めた早坂が、こっちに向かってくるところだった。光輝が無視して行ってしまうんじゃないかと思ってか、焦っているのが分かる。ガードレールを乗り越えるその動きは、どう見ても運動神経がよさそうには見えない。みっともない、見てられない……いつもならそう、ふりきっていたはずだ。それなのにその場でじっと、早坂を待ってしまっていた。
「早退されるって学校から連絡があって……」
「……ひとりで、帰る、って言った」
「ええ……ですが、何かあってはいけないと」
その瞬間、手からどさり、と、鞄が落ちた。鞄も持てないほど、憔悴していたわけじゃなかった。それなのに何故か手が、そのように動いた。何も言わず早坂が拾い上げてくれる。丁寧に。
「ちょっと待っててくださいね。今、そちら側に車を回しますから」
再びぎこちない動きでガードレールを乗り越え、車に乗り込む。空いているスペースでUターンさせようとしているが、切り返しが多すぎる。いつもならすぐに当たり散らしていた。でも、いつまででも、待っていられた。何時間でも、待っていられた。
何か、言わなければならないのは分かっていた。でも、今の自分の状態を説明する言葉がなかなか見つからなかった。
ずっと車に乗っていたい。それなのにこんなときに限って、信号に引っかかることなく快調に進んでいく。
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