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鷹取光輝03

「坊ちゃん……」  さっきまで「光輝」と言っていた口で、そんなことを言う。今さら繕ったって遅いのに。今さらそんな茶番劇、付き合えるとでも思っているのか。 「あんたが、俺を……うんだって……?」  父は天を仰ぎ、ぐしゃぐしゃと前髪をかき乱している。おそらく「そうだ」と父が言おうとするより早く……早坂が声を上げた。 「何を仰ってるんですか、坊ちゃん」  その表情には、さっきまでの戸惑いはまったく見られなかった。 「そんなこと、あるはずないじゃないですか」 「でもお前さっき……」 「何か、聞き間違えられたんじゃないですか」 「誤魔化してんじゃねえよ!」  荒げた語気とは裏腹に、縋るように父を見てしまった。でも父は光輝から視線を逸らすと、すべてを委ねるようにその視線を早坂にやった。 「坊ちゃんは確かに旦那さまのお子さまですよ」 「そんなの分かってんだよ! 俺をうんだのはお前かって訊いてんだよ!」  今思えば、不自然なことはいくつもあった。母のことになると父を始め、親戚連中は不自然なほど口を閉ざす。名前も知らない。写真の一枚も残っちゃいない。鷹取の名に相応しくないあばずれ女だと勝手に思いこんでいたけれど、そういう女と父が付き合っていたとは想像できない。オメガの血を徹底的に排除する家柄なのに、何故かオメガの早坂は重用して傍に置いている。傍に置いて、あんな……主人と使用人の関係を逸脱した行為をしている……  そんな不自然なことが全部、説明がついてしまうじゃないか。  光輝が、どこか父に及ばないところがあるのも、身体がこんな風になってしまったのも、理屈じゃない反抗心を早坂に抱いていたのも、赤の他人のはずなのに早坂があんなに甲斐甲斐しく面倒を見てくれていたのも……  思えば思うほど、自分は早坂に似ているような気がしてくる。  父の目は切れ長の一重だが、早坂はくっきりとした二重。父は身長一八〇センチ以上あるが、早坂は一七〇センチあるかどうか。他にも、肌の白さとか、くせ毛なとことか、視力が悪いとことか、猫舌なとことか……そういったすべてが、早坂から受け継がれたもののような気がしてならない。 「存じ上げません」 「ふ、ざけ……っ」  まさかこんなに堂々と嘘をつかれると思わなかった。ナメられてる。まだ子どもだから、言いくるめられると思っている……でも……  でも、早坂はこんなに堂々と嘘をつけるような奴だっただろうか。そんな器用さも、大胆さも、こいつにはなかったはずだ。いつもびくびく、影に隠れて……。正しいことを言っていても、自分が間違っているんじゃないかと常に疑って、一歩進むたびに後ろを振り返っているような奴だった。なのに……  そんな早坂だからこそ、その言葉には重みがあった。絶対口をひらかないという、覚悟が見えた。 「存じ上げませんけれど、でも、私の……私なんかの子でないことは、はっきりしています。坊ちゃんみたいに優秀で、頑張り屋さんで、優しくて、どこへ出しても恥ずかしくない方が、私なんかの子であるわけないじゃないですか」  静かで強いまなざしに押し返されて、何も言うことができなかった。  このときほど痛切に、自分が子どもであることを意識させられたことはなかった。でも皮肉なことに、何も知らない子どものままではいられなくなってしまったということも、また、同時に悟った。  真実と引き換えに、光輝が一体どれだけの対価を支払えば、それは早坂の覚悟に見合うのだろう。ふたりが払った犠牲に、重ねた歳月に見合うのだろう。  それを思うと眩暈がして……  自分の絶望より深くて……  だから、何も言うことができなかった。

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