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鷹取晃人01

「ここに来る前、母さんとふたりで暮らしていたときは、俺が買い物担当だったから」 「へえ」 「だから幾度となく、スーパーが消費者を欺こうとしている現場に遭遇してきた」 「欺くって」  修哉がふふっと笑う。この笑い方が好きだった。他の誰にも分からないことを、修哉にだけは受け入れてもらっている感じがした。  修哉と一緒に買ったものをレジ袋につめながら、ずっとこんな時間が続けばいいのに、と、ふと思った。  こういう感覚は、ときどき、不意に訪れた。一緒にゲームをしたり、買ったばかりの漫画雑誌を回し読みしたりしているときはもちろん、楽しい。毎週見ているアニメの放送日の次の日は、感想を言いたくてうずうずしている。でも本当に修哉といて『楽しい』と思う瞬間は、こういう、何気ないときに訪れる。あまりに突然で、予測していないから、ずっととどめておくこともできなくて。ああ、楽しいな……と思いながら、過ぎていく時間の流れに任せるしかない。それが少し、もったいなく思う。次、いつやって来るかも分からないから。  自転車置き場まで、買ったものを持っていくのを手伝った。前カゴと後ろカゴに入れて、「じゃあこれで……」になるかと思ったとき、修哉の動きがぴたりと止まった。サドルに跨がっては下り、跨がっては下りを繰り返して、首を傾げている。 「どうしたんだ?」 「何か、パンクしてるっぽい」 「それは……困るな」 「うん……」 「大丈夫か?」 「まあ……このまま押していけば……」 「手伝うよ」  ぐらぐらと不安定だった後ろカゴから、荷物を抜き取った。  本当は少しでも長く、修哉と一緒にいたかった。その口実を見つけて、嬉しくて飛びついてしまった。修哉は一瞬「えっ」と驚いたような表情を見せたけど、すぐに「うん、じゃあ、お願い」と頷いてくれた。漫画をあげると言ったときのように断られるような気もしたから、ほっとした。修哉も、ちょっとでも長く一緒にいたいと思ってくれているんだろうか。そうだとしたら、こんなに嬉しいことはなかった。  大きくカーブした坂を下っていく。工事現場に向かうのか、身長くらいあるタイヤのトラックが頻繁に通り過ぎていったから、そのたびに風に煽られないように気をつけなければならなかった。しばらく歩くと、眼下に団地群が見えてきた。似たような建物が並ぶ中を進むと、鬱蒼とした森の中にいるような気分にもなる。  建物と建物の間の中庭のようなところをくぐり抜けると、どこからともなく子どもたちの声が聞こえてきた。けれど姿は見えない。廊下か、階段か……建物の中からの声だろうか。マイクを通したみたいに、声がわんわんと反響している。ずらりと外壁に外付けされている室外機は、まるでひとの顔が並んでいるみたいで、夜に見たらちょっと怖いだろうと思った。  ガコガコと、よぼよぼのお爺さんみたいな動きをするエレベーター。中庭には光が差していたのに、廊下は電気が点いていても薄暗かった。ずらりと並んでいるドア。そのひとつひとつに、それぞれの生活があるという実感がわかなかった。けれど、 「うわあああんお姉ちゃんがいじめたあああ」 「あんたがゆうこときかないから悪いんじゃん!」  修哉がドアをあけるなり、よくこのドア一枚で封じ込められていたな、というくらいの音量の声がなだれてきた。声に混じってテレビの音や、走り回る足音、ジャーッと水の流れる音も聞こえてくる。  家の中って……こんなに騒々しいものだっけ。  入ってよ、と促されたものの、玄関は大量の靴で埋めつくされていて、足の踏み場がなかった。 「お邪魔しまー……す」  知らないひとが入ってきたら驚くというか、普通、少しはおとなしくなるはずなのに、修哉のきょうだいたちはまったくそんな様子がなかった。

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