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鷹取晃人02
その頃が、たぶん、一番幸せだった。
一番孤独で、傷つきやすくて、前も後ろも上も下も何も見えなくて、漠然とした不安があって、でも、はっきりとした絶望はなくて、幸せだった。
中学三年の夏頃になると、修哉と会う機会が減っていった。エスカレーター校の晃人と違って、修哉は高校受験を控えている。だから今までのように遊んでもいられないのだろう。寂しかったが、入学した当初とは違って、瑛光でもそれなりに気心の知れた友人ができていた。修哉がいなくても平気……そう言い聞かせようとして、でも、修哉がいなくても平気な自分……は、何だかとても寂しい、と思った。
二学期の中間テストが終わった頃、久しぶりに会うことができた。
一年のときは公園でだらだら時間を潰すことに何の違和感もなかったのに、三年になると流石に、はしゃぎ回っている小学生たちの中にいるのは、居心地が悪かった。
初めて会ったときと同じに、修哉は東屋にいた。でもあのときと違って修哉はすぐに、晃人が来たことに気づいてくれた。片手を上げた修哉に、同じく片手を上げ返す。テトリスはいつからかやらなくなった。
顔を合わせたとき、微かな違和感があった。
あれ……修哉、って、こんなだったっけ。
でもどこが変わったと訊かれても明確には答えられない。髪を切ったから? 少し痩せたように見えるから? 頻繁に会わなくなった……とはいえ、ひと月前にも会っているのに。そんなに印象って変わるもんだろうか。やっぱり受験勉強、大変なんだろうか。
でも表情が動いて喋り出すと、ああ、いつもの修哉だ、と思う。考えすぎていたのかもしれない。
他愛ない話をした。
数学、ヤマ張ってたところが全然出なかった、とか。化学は化学反応式が分からなさすぎて全部丸暗記したとか、だから応用がきかないんだ、とか……そういう、何てことない話。
でも話しながら、こんなことを話してていいのかな、という違和感が、靴底からじわじわくる雨水みたいに染みこんできた。その違和感は、修哉も同じように感じているみたいだった。
「あのさ」
そんな風に話を切り出されたことがなかったから、どう受け止めていいか分からなかった。修哉の声音は、それまでより一段階、低かった。
「実は最近会えなかったのってさ、ちょっと今、うち、バタバタしてて……」
「うん……」
「晃人に言うことじゃないのかもしれないけど……」
そのあと修哉は、「こんなところで言うべきじゃないかもしれないけど」「言っていいのか分かんないけど」「言われたら困るかもしれないけど」と、同じようなことを繰り返したあと、
「妹がさ、性別検査を受けて……」
と、続けた。
「うん……」
「……オメガだった」
何も、言うことができなかった。
どんな慰めを言ったところで、それが少したりとも修哉を救わないことが分かったからだ。実際に何かを動かす力もなければ、希望を与える力もありはしない。修哉の望むものが分からない。いや、たぶん、修哉は何も望んでいない。
何を言っても否定される、のは、もう慣れっこのはずだった。何を言っても受け入れられない。自分の言葉は相手に届く前に落ちていく。でもそのむなしさを、修哉に対しても感じる日が来るとは思わなかった。
前に、修哉の家で晃人が号泣したとき。あのときの修哉も、今の晃人と同じように沈黙していた。ただ、傍にいただけだった。修哉も、表面上は平然としながらも、内心では今の晃人のように慌てふためいていたのかもしれない。でもあのときの修哉のような優しさを、自分も醸し出せているとはとても思えなかった。
「妹、って……孝子ちゃん?」
「……うん」
「そう、か……」
「どう思う?」
「どう、って……」
「率直に言ってくれていいよ。気持ち悪いとか、関わり合いたくないとか。晃人んとこって、そういうの厳しそうだもんな。オメガのきょうだいがいる奴と仲良くしてる……って、白い目で見られるんじゃないの。……晃人に嫌な思いをさせたくない」
「そんなことない……!」
「気を遣わなくていいから。無理して付き合われる方がつらい」
「どうしてそんなこと言うんだよ。今まで仲良くしてたのに、急に嫌いになるなんてそんなことあるわけない! それに……それにそういうことさ、修哉が言っちゃ駄目だよ。妹、なんだから。オメガのこと貶めるような、そんな……」
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