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鷹取晃人03

 それはセンター試験を翌日に控えた日のことだった。  今さらじたばたしても無駄だろう。でも、何かしていないと落ち着かない。責められているような……もう諦めたのか、と、嘲笑われているような感じがする。  諦めていた。  そんなの、とっくに。  でもじゃあ本当にいいんですね、と、生命維持装置を切るボタンに指を伸ばされたら、「待ってください」とやはり延命を望んでしまう。  同級生の中には、テスト前日が一番楽、と言っていた奴がいた。もうやることがないから……らしい。テストが近づけば近づくほど楽になって、その代わり、テストが終わった瞬間から勉強を始める……そんな超人的な奴が、学校にはごろごろいた。でも自分がそんな奴のフリをしたところで、それはもうただの諦め。足掻くだけ足掻いて、英単語の一個でも詰め込んだ方がいいことは分かっていた。でもいざ単語帳をひらくと今度は、お前ごときが今さら頑張ったところで無駄なんだよ、と声がする。  単語帳をひらいて閉じ、またひらいたところで、携帯が鳴った。修哉からだった。  電話なんてめずらしい。いつもは『今何してる?』とか『今から行っていい?』とか、ほとんどそんな、短文メールのやりとりなのに。  何故だかすぐに電話に出ることができず、『修哉』と表示される画面をじっと見つめてしまう。ランプの点滅がいつもより弱々しく見えた。手を伸ばしかけたとき、音と振動が止まり、ランプがしゅん、と消えた。何だったんだろう……。折り返すべきか。折り返した方がいいんだろうけど。でも……  そんな逡巡を見透かしたように、また、携帯が震え始める。  通話ボタンを押し、耳に宛がう。 「修哉?」  でも返事がない。 「修哉……だよな」  修哉からの電話だから、そうに決まってるのだけど…… 『……き、と』  漏れ聞こえた声に一瞬、本当に修哉かと疑ってしまう。荒い息がぼわぼわとうるさく、何を言っているのか分からない。 「修哉……か? どうしたんだ、一体……」  こんなときに。  と言いそうになる寸前で思いとどまる。修哉がどこの大学を狙っているのか、国公立なのか私立なのか、そもそも本当に受験するのかどうかは分からないけど、流石に今日がセンター前日ってことを、知らないわけじゃないだろうに。 『……す、けて』 「え?」 『たすけて、晃人』  声だけなのに。  ぎゅう、としがみつかれたみたいだった。  この感覚は、覚えがある。  一気にあの頃に引き戻されてしまった。あの頃。修哉を初めて抱いた、あの頃。一点の曇りもなく、何の躊躇いもなく、修哉を守らなければと思ったあの頃。  何でそんな。  何でまた、今さらそんな風に名前を呼ぶんだ。  ちりちりと焼き切られそうになる。 「どう、したんだよ」 『……また、来ちゃって』 「来た、って……」 『その、あれ、が……』 「薬は……」 『飲んでる……でもいつもより、きかなくて……』 「そんな……」 『何か、最近、ずっとそんな感じで……安定、しなくて……』 「病院は? 病院行った方がいいんじゃないのか」 『こんな状態で……外になんて出られない……』  そんなことは分かっていた。でも何故あえてそんなことを訊いてしまったのか。  分かる。修哉が何を訴えたがっているのか。  それを直接口に出して言われることを……何故、自分は恐れているのか。 『晃人、お願い……』 「お願い、って……」 『お願い、抱いて』  その言葉を聞いた瞬間、思わず目を閉じ、天を仰いでいた。  何か言わなければと思った。でもうまれるのは、沈黙ばかり。沈黙の中に混じる、修哉の荒い息。ざあざあ、ざあざあ、と思考にかかるノイズ。この沈黙を、修哉はどう聞いているのだろう。  求めてほしかった。  自分だけを必要としてほしかった。頼ってほしかった。修哉が一番困っているときに傍にいるのが、自分でありたかった。でも……それが何故、今、このときなんだ。 「……って、言われても……」  自分の声じゃないみたいだった。そのひとことで修哉が晃人の心中を察したのが分かった。修哉は何も言わなかったけれど、晃人は察した。お互いがお互いのことをどう思っているのか、悲しいくらいお互い、正確に察した。

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