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鷹取晃人04

 こんなところで言うべきことじゃないのかもしれない。うっかり他の住人に聞かれてしまうかもしれない。でも今、絶対、言わなければならなかった。 「うんでほしいんだ、子ども」  今度こそちゃんと、修哉に聞こえていたと思う。でも修哉は、何を言われているのか分からない、というような表情をしていた。手を取って、もう一度同じことを繰り返した。じわじわ、と水が染みていくように、強張っていた表情に変化がうまれる。握った手から、細かい震えが伝わってきた。 「……に、いってんの」  修哉の声も晃人と同じように震えていた。 「何言ってんの、今さら、そんな……」  絞り出すような声。それをすべて、真正面から受け止めなければならないと思った。  何か言おうとして震える唇。しかし言葉より先に、鞄から封筒を取り出し、修哉は晃人の胸にそれを押しつけた。促されるまま、封筒の中に入っていた紙を取り出す。  人工妊娠中絶同意書。 「今日……それ、貰ってきたんだよ」 「修哉……」 「丁度よかった……サイン、してってくれる?」  何で。  何でそんなことを言うんだ。何でいつの間に、そんな決意を固めてしまっているんだ。やっぱり無理なのか。何をやっても手遅れで…… 「嫌だ」  いろんな思いがぐるぐる渦巻いた結果、出てきたのはひどくシンプルで子どもっぽくて……でも、嘘偽りのないひとことだった。 「嫌だ、絶対嫌だ」  ぐしゃり、と、握り潰した同意書を、修哉の胸に押し戻す。 「……何で今さらそんなこと言うの」 「ごめん、俺、本当に……ずるくて、考えなしで……でもやっと、やっと覚悟が決まったんだよ」 「な……んっで今さらそんな、決意を揺らがすようなこと言うんだよ!」  どん、と胸をひと突きされた。 「うんでどうすんだよ。育てられないだろ。晃人ん家みたいにいいとこならなおさら……こんな、得体の知れないオメガの子どもなんて、認められるわけないだろ」 「認められるとか認められないとか関係ないし。つーか、認めさせるし……認め、させるし……!」  根拠なんてなかった。でも言葉に出していると、それが真実になるような気がした。 「無理だ!」 「何でそんな風に言うんだよ!」 「……うむのは、簡単だよ。でも俺は、そのあとのことが怖い。そのあとの……この子のことを考えると、怖い。だって絶対、思うよ。何で自分なんかうんだの、って。祝福されないのに……うまれたときから恵まれない境遇になることが分かってて、何でうんだの、って……そう言われたらどう答えたらいいいの。晃人、どう答えられる? 俺は分からないよ。どう答えていいか分からない」  何でうまれてきたの。何でうんだの。いいことなんて何もないのに……  どうしてうんだの……その問いに対して、どんな誹謗中傷も跳ね返す強い答えを用意できるまで、自分たちに決断を下す資格なんてないんじゃないか。  望まれないことの、疎まれることの、顧みられないことのつらさは、自分たちが一番よく、分かっているはずだった。どうしようもない境遇で、何をやっても報われず、必要とされないやるせなさは、自分たちが、一番。それなのにまた、同じ思いをさせるのか。命を大切にする、なんて一瞬の綺麗事に酔って、それから先の長い人生のことを考えないのか。それを背負うのは自分たちじゃない、あくまでうまれてくる子どもなのに。でも…… 「それでも……嫌だ」  胸の上で震えている修哉の拳を包み込む。 「晃人……」 「理屈じゃないよ、そういうの。大変な未来が待ってるって分かっててもさ……それでも、じゃあうまれてこない方がいいな、さよなら……って、割り切れるもんじゃないもん」

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