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鷹取晃人04
死亡届を出してすぐ、出生届について考えることになるとは思わなかった。
うまれてきた子どものことを考えながら、でも、届出関係とか遺品の整理とか、そういったものもまだほとんど手がつけられずにいた。
母が住んでいた場所の片付けに出かける間際、「ああ、ひとつ片付いたと思ったらまたひとつね……」と、義母が聞こえよがしに言った。
母はまだ、晃人とふたりで住んでいたときと同じアパートに住んでいた。三階建ての二階。階段を上がってすぐのところの部屋。正直もう、記憶は薄れかかっていた。玄関のドアはモスグリーンだが、果たしてこんな色だっただろうか。記憶違いか、それともペンキを塗り替えられているのか。
鍵穴に鍵を差し込み、何の気なしに表札を見る。紙にマジックで書いて、プレートに差し込んだだけの表札。紙はもう薄茶けている。『皆川』……その母の文字を見た瞬間、それまでどこを探しても見当たらなかった……静まり返っていた記憶が、一斉にうわっ、と、津波のように押し寄せてきた。
母がマジックで書いた下に、鉛筆で書いた『あきと』の文字が見える。あの頃は何でも母の真似をしたがった。自分も文字を書けるということを示したかった。ちょっと怒られたような気もするけれど、でも、母は晃人が書いた文字を消さなかった。『あ』の文字がひっくり返っていたけれど、「すごいね」と言ってくれた。
頭のてっぺんから突き立てられた芯が、思い出によって、ぐらぐら揺らされている。丸いドアノブに手をかける。ああ……これは、こんな感触だったっけ。小さい頃は、もっとつかみにくいような気がしていたけれど。
時間が止まったような部屋に、一歩、二歩、踏み入れる。
母の覚悟が表されたような部屋だった。衣類や食器、日用品の類いは限りなく少なかった。すべてを削ぎ落として、削ぎ落として……極限まで削ぎ落として、母は亡くなった。
生活感が感じられるものが、ほとんど残されていない部屋。でも、あるひとつのダンボールの中だけは違っていた。
名札の縫い付けられた体操着、赤白帽、お道具箱、シューズ袋、スケッチブック、日記帳、絵のコンクールで貰った表彰状、徒競走で三位だったときのメダル……
晃人の、小学校を卒業するまでの十二年間の思い出が、そこにぎゅっと詰め込まれていた。
ひとつひとつ、取り出していく。
覚えているものもあれば、すっかり忘れているものもあった。
もしかしたらこれと出会うために、今自分は、ここに来ているのかもしれなかった。
自分だったら捨ててしまいそうなものまで、母は残しておいてくれていた。
大切に残しておいてくれていた……と、愛情を感じると同時に、母の中にある自分はこれがすべてなんだ……という、せつなさも感じる。母の思い出から、今の自分は閉め出されている。
手が、指が、首が、頬の筋肉が、すべてが縫いとめられたみたいに動かなくなった。
ようやく動き出せた頃には、部屋の中が暗くなっていた。
とりあえず大事なものは運び出しておかないと。印鑑とか通帳とか。
電話が置かれていた台の下。木製のチェスト。確かあそこに、母は大事なものを入れていたはずだ。
引き出しをあけると、ふわっと古い木のにおいがした。
年金手帳、保険証券、通帳……
ふと気になって、通帳をめくる。残額は五万ほどだったが、毎月定期的に振り込みがあった。その額三十万。月初めに必ず振り込まれている。一年……二年……遡っても変わらず。振込人名義は、タカトリイサオ。義父の名だ。
親指が汗ばみ、ページに皺が寄った。三十万……。社会に出たことのない、ひとり暮らしもしたことのない晃人には検討がつかなかったけれど、おそらくこれだけあれば、ひとりだったら十分暮らしていけるんじゃないか。三十万……。晃人が引き取られてからだとしたら、七年間で二五〇〇万弱……
これはもしかして、慰謝料、だったんだろうか。
嫌な予感がする。
地中深くに埋まっていた真実。この根っこをひとたび引いてしまったら、もうすべて出しきるまで止められないんじゃないか。
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