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早坂修哉01

 旦那さま……ここではあえて、晃人と書きます……晃人と出会ったのは、中学に入ってすぐの頃でした。  家はきょうだいが多く窮屈で、ほとんど毎日、夕飯ぎりぎりまで外で時間を潰していました。最低限の宿題はとっとと終わらせ、でも予習なんてする気はさらさらなく、だからといって一緒に遊ぶような友だちもいなかった私は、その頃流行っていた携帯ゲームばかりやっていました。  ちゃんとしたゲーム機を買ってもらえる余裕はなく、夜店の景品の、ちゃちいキーホルダー型のゲームしかありませんでした。遊べるゲームも一種類だけ。モノクロの画面。今ではとても考えられませんが、でもあの頃は、それでも十分楽しめました。学校にゲームを持っていくのは禁止されていましたが、それはキーホルダー型だったので、もし見つかっても鍵をつけて「キーホルダーです」と言い張るなんて悪知恵を働かせて、先生を困らせたりしました(学校に着いたら電池を抜いておいて、遊べないんだからゲームじゃない、キーホルダーだと言い張るのです)  そのゲームはRPGのように、分かりやすい終わりがありませんでした。やってもやっても次のステージが出てきて、どこまで行ったら終わりなのか……。一度始めるとセーブ機能がないので、延々やり続けなければならない上、失敗したらまた始めからやり直さなくてはいけません。そんなわけで三十分、一時間……ピコピコし続けているなんてこともしょっちゅうでした。  そのときも近所の公園で、今日は何ステージまで行くかな、と、軽い気持ちでゲームをスタートさせていました。前半のステージは、見なくても指が覚えていました。  五~六〇ステージ行った頃でしょうか。見慣れない男子生徒がやって来たのは。  小学生以下の子どもたちが多く遊んでいる中、制服姿の彼は浮いて見えました。ということは、向こうからもこっちがそう見えていたのでしょうが、そのときはそんなことには思い至りませんでした。  初めは正直、嫌だな、と、思いました。自分だけの空間を荒らされるような気がしたからです。関わり合いを持ちたくなくて、私はずっと、小さな液晶画面に目を落とし続けていました。  先客がいるのだから、空気を読んで帰ってくれることを期待していました。でも彼は、東屋のベンチに腰を落ち着けてしまいました。  ゲームに熱中しているフリをしながら、でも彼のことが気になってしかたありませんでした。手は汗ばんで、ボタンがつるつる滑りました。ゲームオーバーになったなら、それをきっかけに顔を上げて、立ち上がることができたかもしれません。でもこんなときに限ってステージをどんどんクリアして、ついに、今まで見たことのない一〇〇ステージにまで到達してしまいました。熱中しているフリ、だったはずがいつしか、電池切れで強制的に終了させられるまで、周りのことが気にならなくなっていました。 「電池、切れちゃった」  と、呟いたとき、だからまさか彼がこっちを見ているとは思ってもみませんでした。目が合って気まずくて、取り繕うように笑ったような気がします。  いつから見ていたんだろう。そんな目で。一体どうして。  私が彼に対して思っていたように、彼も私に対して、好意的に思っていないであろうことはすぐに分かりました。因縁をつけられて絡まれたら、と、一瞬身構えました。  私は小さい頃から、学校でも家でも、何かと損をかぶることが多かった。いじめ、られたことはないと思います。クラスではいじめがあったらしく、連帯責任とやらで反省文を書かされたり、話し合いをさせられたりしましたが、誰が誰をいじめていたのか、私は知らないことの方が多かった。あとになって、こんな子がいじめられるくらいなら、私だっていじめられていておかしくなかった、と震えましたが、どうやら私は幸か不幸か、そもそもいじめっ子の視界の端にも入らなかったようなのです。  でも、相手もまさかいじめている、なんて意識していない、無意識下で、ぞんざいに扱われることは多々ありました。家の中では、たびたび誕生日を忘れられました(アピールしていたのかもしれませんが、他のきょうだいの誕生日を親が忘れたことはありませんでした)、給食はよく、私の直前で、欲しかったおかずがなくなりました。体育でペアが作れずひとりでいても、先生にも誰にも気づかれませんでした。おそるおそる手を上げると、「何でもっと早く言ってくれなかったの」と、よく言われました。すると、今言ったらまだ間に合うだろうか、いやもう遅いだろうか、また、「もっと早く」と言われるのだろうかと、行動に移る一歩手前で考えることが増えてしまい、ますます手が上げられなくなってしまいました。そんな風に私は、生命力、というか、生き抜く力、みたいなものが、小さい頃からひとより劣っているな、という自覚がありました。どれだけ勉強ができても運動ができても、それはカバーできるようなものではない、ということも。  目の前にいる彼は、自分とは対照にいる存在だと、ひとめ見ただけで分かりました。上に立つ人間、というのも、それこそやはり、勉強ができるからとか運動ができるからといった、表層的な基準で測れるようなものではないのです。正体が分からず怖いはずなのに、私は彼から目が離せなくなりました。  自分とはまったく違う、住む世界が違う……それだけだったらたぶん、そのとき限りになっていたと思います。でも彼のことをもっと知りたい、と思ったのは、まったく違う中にひとつ、共通するものがあったから。  私たちは、孤独だった。

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