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早坂修哉01

 鷹取晃人、というひとを私なりに解釈するなら、『ぎりぎりの縁のところで立っているひと』とでもなるでしょうか。私は彼がいつも、ぎりぎりの縁のところで立っている背中を見続けてきました。時折谷底から吹き上げる風にぐらつく身体を支えようかどうか迷って、でも必ず彼は自分の足で踏ん張ってみせるのです。  誰もが知る有名企業のトップの養子だとか、通っているのは超名門校だとか、聞けば聞くほどドラマのようで現実味がありませんでした。親しくなればなるほど、嘘じゃないかと思えてくるのです。同じクラスにいたとしても何もおかしくない。教室で後ろにプリントを回すとき、一瞬、机に俯せていたクラスメイトの頭頂部が、晃人のように見えたことがありました。晃人が同じ学校だったら、と思ったことは何度もあります。でももしそうだったら、初めから別の人種だと線を引いて、深入りすることはなかったかもしれません。  学校の友だちが、晃人と一緒にいる私を見たら、別人じゃないかと疑ったでしょう。自分の中にこんな自分がいたんだ、と、気づかされることがたびたびありました。そしてそれは、晃人も同じだったのではないかと思うのです。私に見せている姿は、家とか学校とか、他のひとには見せていない。私と会っているときの晃人は、私だけの晃人。そう密かな優越感とともに、噛みしめることがありました。

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