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早坂修哉01

 晃人によって、私はどんどん暴かれていきました。  皆が知っている早坂修哉、より、晃人しか知らない早坂修哉、の方が、次第に多くを占めるようになりました。  発情期が来てからは、それがほとんど、一〇〇パーセント近くにまでなりました。私のことは晃人しか知らない。私は晃人を通じてかろうじて、外の世界とつながっているようなものでした。  オメガ、ということでこんなに生きづらくなるとは、正直想像していませんでした。手を伸ばしたところからたちどころに、パタパタパタ、と世界がひっくり返っていくのです。そして一度ひっくり返ってしまったら最後、もうそちら側へ絶対立ち入らせてはもらえない。もともと積極的ではない性格でしたが、発情期を境に輪をかけてひどくなりました。  友だちや親戚はもちろん、きょうだいや、親からも掌を返されました。自分たちは平々凡々のベータの家系。誰もが、私自身もそう思っていました。まさか、どうして、よりによって……。それは受け止めるにはあまりにも大きく、その大きさの分だけ、家族の心を歪ませていったように思います。妹たちは「いやらしい」と、兄たちは「みっともない」と、露骨に私を避けるようになりました。早く、どうやったら私を追い出せるか……毎晩、家族が、きょうだいたちが……顔を突き合わせては、ひそひそと話し合っていたのを知っています。皮肉にも、いるかいないか分からないくらいの存在だった私が、そのときだけは一番注目される存在になったのです。  侮蔑の言葉は確かに傷つきますが、傷ついたのは自分の心の問題なので、自分で何とかすればいいのです。でも一番厄介だったのは、決定的な証拠が出たにも関わらず、「まさかうちの子がそんなはずはない」と、最後の最後まで父が認めてくれなかったことです。体調が悪くても気のせいだと、根性がないからだと、無理矢理布団から引っ張り出されました。愛液がだらだら垂れ流れていても、そんな『フリ』までして学校をサボりたいのかと殴られました。どうやったら父は理解してくれるのか。父の頭の中に手を突っ込んで、考えを書き換えることができたら楽なのに。当事者の私自身が受け止めているのに、どうしてそれができないのか。父がこんなに往生際の悪い男だとは思いませんでした。抑制剤や避妊薬、そういったものの補助金の申請をしようと母と相談していたところ、目敏く見つけた父に申請書を破り捨てられてしまい、しばらくはたいして効かない市販薬しか使うことができませんでした。そんな症状を見ても父はなお、「お前はオメガなんかじゃない、甘ったれているだけだ」と言うのです。  高校入学と同時にひとり暮らしをさせられることになりましたが、追い出された、というより、そんな父から隔離する意図もあったかもしれません。一度、父に馬乗りになられ、首を絞められたことがありました。「発情期だなんてしようもない嘘をついて」「そんな息子に育てた覚えはない」「他の奴は騙せても俺は騙されないからな」  しかし必死の思いで見上げた父の表情は、そんな頓珍漢な言葉を吐いている人間のものとは思えないほど『まとも』でした。すべてをちゃんと、正しく、理解しているように見えました。その瞬間、私も理解したのです。ああ、父は、このまま、この勢いで、本当に、私を、殺そうとしている。理解できないフリをして、理解のないフリをして、激情に任せて息子を手にかけた父親、を演じようとしている。そうすることが自分にできる最善のことだと思っている。私のためだと思っている。  そのとき見た父の顔を、忘れることができません。私以上に苦しそうな顔をしていた父の顔を。幸い……というべきか……兄たちが助けに来てくれたおかげで、私は死なずにすみました。すんでしまいました。

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