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早坂修哉01
そんなの……
そんなの、私だって、欲しい。
私だって泣きたい。思いっきり声を上げて泣きたい。でも駄目なんだ。駄目なものは駄目なんだ。どうやっても手に入れられないものは、この世にあるんだ。分かってよ。頼むから、分かって……
「いつまで泣かせてんだ、うっせーな」「虐待って通報するぞ」……そんな怒鳴り声が聞こえてきたので、どうしようもなくなって、外に出ました。一月の半ば。その冬一番の寒さと言われていた夜のことでした。吐いた息は白く、君の顔にその息がかからないように、と思ったことを覚えています。
どこか……迷惑のかからないところ……
できるだけひと目を集めないよう、歩き続けました。繁華街の喧噪に紛れてしまえば、泣き声は気にならなくなりましたが、ぎらぎらしたネオンの明かりは赤ん坊に毒なように思えました。それに、深夜に赤ん坊を連れ歩いているひとなんていないので、悪目立ちしているな、という自覚はありました。もしこの様子を見られて通報でもされたら、養育する資格がないと、君を取り上げられてしまうかもしれません。オメガの親に対する世間の目は厳しかった。発情をコントロールできず、無計画に子どもを作っては育児放棄する、というイメージは根強くあります。実際そういった例も多かったのでしょうが、ともかくオメガは、何ひとつとしてまっとうすることができないイキモノ、と、括られて見られてしまうのです。
歯痒く思う反面、でも今の自分を見たら本当に、嫌になるくらい、典型的な、どうしようもないオメガ、そのものでした。
ぽた、と、涙が、君の、つやつやした、ピンク色の頬に落ちました。そのせいで、泣きやみかけていた君を、また泣かせてしまいました。
「あっ、ごめん、ごめんな……」と、慌てて頬に落ちた涙を拭い……でも、視界がぼやけて、手元が定まりません。今度は自分の手の甲に、冷たい感触がありました。自分の涙を拭うべきか、君の涙を拭うべきか……何を先にやるべきかもう、ぐちゃぐちゃでした。
家を出た頃より、君がずしん、と重くなったように感じました。その重みに耐えかねてうずくまったとき、カランカラン、と、軽やかなドアベルの音が聞こえました。顔を上げると丁度、クラブの扉があいて、お客さんが出て行くところでした。お客さんを見送ったあと、ふと、こちらを向いた、黒服らしきひとと目が合ってしまいました。慌てて立ち上がろうとしたところ、
「危ない」
彼に支えられなければ、あやうく転んでいるところでした。
恥ずかしかった。詮索されるのが怖かった。でも彼はなかなか、手を離してくれませんでした。もしかしたら……怪しまれているのかもしれない。こんな時間、こんな場所で、赤ん坊を連れて……。もしかしなくても、十分怪しいでしょう。どうしよう、通報されてしまったら……
謝罪と言い訳がぐるぐる頭を回る中、しかし彼は朗らかな声で言ったのです。
「わあ、ちっちゃい、可愛い」
か、わいい……?
そんな風に他人から言われるのは初めてで、とても戸惑いました。
可愛い……。普通の子なら当たり前に言われてきた言葉かもしれません。でも、親がオメガというだけで、その子どもに向けられる視線も厳しいものでした。保育園でも、他の子に対する扱いと違うな、ということは、薄々感じていました。親がオメガだというだけで、つらい思いをさせてしまう。うまれたときから背負わされたハンデ……。だからついつい、ひとの目から遠ざけるように育ててきてしまいました。
有り難うございます、と、言うのにも勇気がいりました。いつ、「オメガのくせに調子に乗って」と掌を返されるかもしれない。でも彼は、「可愛い、癒やされる」と、君をひょい、と、抱き上げてくれたのです。他のひとに抱かれた君は、とても尊い宝物のように見えました。
そんな彼だったから、「休んでいかない? 休んでいった方がいいよ」という誘いも、スッと受け入れてしまいました。
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