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早坂修哉01
迎えに行くなり、飛び込んできた光景に目を疑いました。
おしめを替えてもらっているところだったのか、着替えさせてもらっているところだったのか……そのときたまたま、保育士さんが傍にいなかっただけなのかもしれませんが、君は真っ裸のまま、床に転がされていたのです。口から頬にかけてべったりと吐瀉物でよごれた状態で。その傍で、他の子たちは普通におもちゃで遊んだり、走り回ったりしているのです。
下手をすると吐き戻したものを飲み込んで、窒息する危険性もありました。同じ部屋にひとり、保育士さんはいましたが、他の子の世話に忙しいのか、こちらに気づく様子もありません。
「光輝」
おそるおそる呼びかけましたが、君はぐったりと動きません。額にふれると、火傷しそうなほどに熱かった。抱え上げたとき、廊下の方から保育士さんたちの話し声が聞こえてきました。
「また熱出したの? オメガの父親の子」
「オメガの遺伝子入ってるからかな。何か普通の子よりやりにくい感じする」
「シングルファーザーで大変なのは分かるけどさ、だったらちゃんと避妊しとけって。つがいにもなってもらえなかったくせに」
ああ……
ああ、駄目だ、ここには預けていられない……
そう思うのと同時に、
はっきり突きつけられた気がしたのです。
私に、この子を育てる資格はない。
育てられない。
実家を頼ればよかったのかもしれません。でも丁度その頃、父が胃潰瘍(のちに胃がんと分かるのですが)で入院し、母も仕事と看病とに追われており、とても頼れるような雰囲気ではありませんでした。
養護施設に預けることも考えました。赤ちゃんポストの番組を食い入るように見てしまっていたこともありました。でも手放したら最後、今よりもっと過酷な運命を背負わせてしまうことになるのは間違いない。だからといって私の傍に置いても、この先、どれだけ、つらい思いを味わわせることになるのか。きっと、乗り越えても乗り越えても壁はあるのでしょう。その途方もなさに呆然としました。
オメガの親は皆、こんな気持ちで子どもを育ててきたのでしょうか。こんなことでへこたれる私が特別、弱いのでしょうか。オメガでも子どもを立派に育ててきたひとはいるはずです。親がオメガだとしても、立派に育ってきたひとはいるはずです。そう、確か、晃人の母親もオメガだった……
そのとき私は、一度も会ったことのない晃人の母親と、心が通じ合ったような気がしたのです。ああ……そうか、だから……だから晃人を……鷹取の養子にしたのか。
親と子が離れて暮らすとか、親子の縁を切るとか、それまでまったく想像のつかない世界でした。自分はとてもそんなことはできないとも思っていました。でも今、手に取るように分かります。情とか、寂しさとか、そんなものを犠牲にしても守らなければならないものがあると。ひどい親だと恨まれても、蔑まれても、絶対、絶対、絶対、守らなければならないものがある。たったひとつ。それさえ守れたら、他の何がどうなってもかまわない。私の身体なんて、プライドなんて、命なんて、心の底から本当に、どうなったってかまわない。
だから神さま。
私はとても落ち着いた手つきで、晃人に電話をかけていました。
電話番号もメールアドレスも変え、すべてをリセットしようとしたくせに私は、晃人の連絡先はまだ残してあったのです。
受験の前日に晃人を頼ったときと、まったく同じです。
でも心持ちは、まったく違っていました。
私は、狡い人間だから。
そうだ、私は、狡い。
どうせそのようにしか生きられないのだから。
狡くて、卑怯で、利用できるものは何でも利用して、縋って、強いものに媚びて、そのためなら嘘だって平然とつく、蔑まれて当然のオメガ。
私は、そうやって生きていくと、決めたのです。
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