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『みぃの、ほんとうの、なまえ?』
つぐみは褐色の大きな瞳をパチパチと瞬かせ、高い声で不思議そうに呟く。
周は新聞広告の裏にボールペンで「つぐみ」と、もう一度大きく書いてみせた。
『そうだよ、つぐみって、こう書くんだよ』
『つぐみ? みぃは、みぃじゃないの?』
『ははっ、みぃはみぃだけど、つぐみのみぃなんだよ』
周が微笑みながら答えると、つぐみは自身の名が書かれた紙をまじまじと見つめた。
つぐみはもうじき八歳になろとしていたが、自分の名前どころか、ひらがなひとつさえ書くことができなかった。
『つぐみ!』
つぐみは紙面から顔を上げ、まるで宝物を発見したかのような、眩しいほどの笑みを見せる。
こけていた頬はやっと子供らしい丸みを帯びていた。
その表情を見ると、周の胸はじんわりと温かくなった。
『じゃあ、みぃが自分で書いてみようか』
『うん、書く!』
つぐみは嬉しそうにボールペンを握り、覚束ない手つきながらも一生懸命に自身の名前を書いていく。
『み』の円の部分が逆になってはいたが、何とか書き終えたつぐみを『よくできたね』と褒めてやる。
するとつぐみはおずおずと顔を上げた。
『ねぇねぇ、あまねさん。もうひとつ、おしえて?』
『ん? 何かな?』
『あのね……、あまねって……、どうかくの?』
そう訊ね、つぐみは頬を染めてはにかんだ。
***
「大学の四年間がなんだ」
言いながら、周はノートパソコンをパタリと閉じた。
「周さん……?」
そんな周の様子に、つぐみが困惑した声音で名前を呼ぶ。
「みぃは忘れたのか? 俺たちは、これからもずっと一緒に居るんだろ? だったら四年ぐらい、大したことないじゃないか」
「…………!」
つぐみの目が見開かれる。
周は手を伸ばし、つぐみの髪をくちゃくちゃっと撫でた。
『俺はどこにもいかないよ。これからはずっと、俺がみぃの傍にいるから』
かつて小さなつぐみに言ってやった自身の言葉を、心内で繰り返しながら。
「……忘れてなんか、ないよ!」
一瞬の間のあと、つぐみは光が差し込んできたかのような安堵した笑みを目尻に滲ませた。
「うん、そうだね、大したこと、ないね! 周さんと俺は、ずっと、一緒にいるんだもんね!」
頭を撫でられながら、噛み締めるように周の言葉を繰り返す。それを聞いて、周はホッと小さく息を吐いた。
「わかったんなら、ちゃんと模試受けろよ? でも息抜きに、晩飯の買い物にでも一緒に行くか」
手を離して立ち上がると、つぐみも勢いよく立ち上がった。
「うん、行く!」
そして周の隣に嬉しそうに並んだ。
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