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「野崎は副編になったそうだな。有本さんが言ってたよ。すごいじゃないか」 周の声に、心の中に湧き起ってくる黒い感情をぐっと押し込んだ。 周は湯呑の白湯をシンクに捨て、急須でお茶を注ぎ始めている。 「え、ええ。ですが、編集の仕事やるからには、僕はもっと上を目指してます」 野崎は毅然とした表情でそう答えた。現在は文芸誌を編集している。 編集長という立場に立って、自身の思い描く雑誌を創ることが夢だった。 そしていずれは独立も視野に入れている。 今の年齢で副編集長というのは、野崎の考える人生設計においては遅いほうだった。 佐和田さんだって、本当はこんなところに居るような人間じゃないのに……。 内心で呟きながら、焦りと苛立ちとともに視線を落とした。 テーブル上には使い込まれた犬の絵柄のマグカップが置かれている。 冷蔵庫には周の字で何か走り書きされたメモが貼りつけられていた。 その生ぬるい生活感を振り切るように野崎は周に顔を向けた。 「佐和田先輩」 緊張のあまり、呼び方が思わず、学生時代のものに戻っていた。 「あ、いえ、佐和田さん。実は今日、お伝えしたいことがあって」 野崎は慌てて言い直す。 もちろん今日は坂下の助力になるのが第一の目的だったが、野崎には個人的に周に話したいことがあった。 「僕の知り合いの居る新聞社が、記者の中途採用を募ってるそうなんです。佐和田さん、新聞記者に戻る気は、ないですか?」 「…………」 急須を持ったまま、周が固まる。その瞳には戸惑いの色が浮かんでいた。 「はっきり言って今の佐和田さんの仕事は、僕にとって惰性にしか見えません」 「ははっ、惰性とはひどいな」 周は肩からふっと力を抜くと、苦笑いした。 「俺はどの仕事もひとつひとつ丁寧にや……」 「僕、佐和田さんの記事がまた読みたいんです! 佐和田さんはみんなに尊敬される立派なジャーナリストでした!」 野崎はきつく握った拳を力強くテーブルに置き、周の言葉を遮った。 僕が聞きたいのは綺麗事なんかじゃない! 野崎の知る学生時代の周は、何もかもが抜きんでていた。 聡明で、公平な視点を持っていて、かつ誰にでも優しく人望も厚い。 その周りにはいつもたくさんの人が集っていた。 周と同じサークルに所属していた野崎は、この家の和室で、先輩たちに混じって夜更けまで酒を呑みながら、読んだ本のことや哲学、成し遂げたい仕事について、盛り上がったものだ。 周は自ら熱く語ることはないのだが、輪の中心に居るのが常だった。 大学卒業後はジャーナリストを目指して新聞社に入社し、まもなく、周が特集した記事は地元記者協会の賞を獲った。 「……いつまで、つぐみ君の犠牲になるつもりなんですか?」 野崎は苦々しい声で周を問いただす。 「犠牲……?」 目の前の周の顔から笑みが消えた。 「だって佐和田さんは、あの子のために何もかもを捨てたじゃないですか!? つぐみ君の生い立ちには同情します。でも僕はつぐみ君が許せません。つぐみ君は佐和田さんの夢を潰し、この家に縛り付けている!」 「野崎……」 周が深い溜息を吐きながら眼鏡を押し上げた。

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