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野崎の当惑した顔をつぐみはキッと見据える。
「周さんの後輩で、仕事でもお世話になっているあなたからの依頼を断ったら、周さんの立場を悪くすると思って、俺は、引き受けただけですから」
「え……?」
野崎は、子供だと思っていたつぐみの想像以上の視野の広さに驚いた。
佐和田さんの立場を配慮して、これまで断り続けてきたモデルの仕事を引き受けたというのか……?
「そんなことより、俺のいない間、周さんに何を吹き込んでたんですか?」
「……っ」
その厳しい視線に、野崎は胸を抉られるかと思った。
……先ほどの短い会話だけで、僕と佐和田さんとの間に、敏感に何かを察した? ……まさか。
だが、野崎と周が話していた間、つぐみは撮影中だったはずだ。
撮影が終わり、つぐみが周の元に駆け寄ってきたときも、そんな疑念を抱いているとは微塵も感じられなかったというのに。
もしや……、この子はいつも、佐和田さんの前では心配や不安は見せずに、自分を抑えている……?
「いえ、やっぱりもう結構です。でも、野崎さん、」
野崎が逡巡していると、つぐみがじれったそうに言葉を放つ。
そして、周とつぐみ、ふたりだけの家の前に立ちはだかるかのように、背筋を伸ばして、拳を握った腕を身体の両脇に広げた。
「もう二度と、この家には来ないでください」
「……!!」
野崎はつぐみの言葉に面食らって目を瞬かせた。
つぐみはその背に、きっと周を庇っているのだろう。
自分の力だけで大事なものを守ろうとしているその必死な姿は、野崎にはまるで物語に出てくる小さな騎士のように見えた。
『わかってる。俺に対するつぐみの想いが、どんな種類のものであれ』
野崎の中で周の言葉が蘇る。
「ふはっ」
野崎は思わず噴き出していた。
野崎に向けられたつぐみの激しい敵意や嫉妬は、恋人のもの、そのものだったからだ。
「何がおかしいんですか?」
目の前のつぐみが怪訝な顔で言い募る。
「ごめんごめん」
顔を覆うようにこめかみに手を当て、肩を揺らしながら野崎が謝る。
「僕のことなら、心配しなくても大丈夫だよ。佐和田さんには見事に振られたからね」
「え……っ」
「野崎さーん、そろそろ出ますよ!」
つぐみが驚きの声を上げたと同時、駐車場の方から、坂下の大声が響いた。
「ああ、わかった」
野崎は坂下にそう叫んで答えると、つぐみに視線を戻す。
「雑誌は十部ほど送るよう手配するよ。じゃあな、つぐみ君」
「…………」
無言のままむすっとしているつぐみに、野崎は苦笑しつつ背を向け、駐車場に向かって歩き出す。
しかし、ふいに振り返った。
そこにはまだこちらを睨み続けるつぐみが立っている。
若さゆえもあるだろうが、つぐみの率直な言動やまっすぐな愛情表現が、野崎の目には眩しく、そして羨ましく映った。
「つぐみ君、また来るよ!」
野崎はにやりと口角を上げ、敢えてそう付け加える。
「な……!」
みるみるその顔が怒りに染まっていくつぐみを尻目に、また肩を揺すって笑った。
野崎は暮れていく冷えた空気の中に居て、この家に来るまでにはなかったはずの温かいものを、胸の中に感じていた。
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