32 / 59
7‐2
「あ、でも周さんがキスして起こしてくれたら、俺すぐに飛び起きるかも!」
膨らんだ頬を弾かせ、つぐみは嬉々とした声を出した。
周はそのコロコロと変わる表情に思わず噴き出す。
「ああ、わかったから、早く寝ろ」
「え……」
自分で提案しておきながら、思いもよらなかったのだろうか。
周の返答につぐみは驚いて目を瞠る。
「ほら、目を閉じて」
周は見つめられているのが恥ずかしくなり、つぐみの目元を手のひらで覆った。
つぐみの高い体温がじんわりと伝わってきて、周の手を温める。
「約束だよ? 周さん」
手のひらの下から、つぐみが少しだけ不安そうな声を漏らした。
「ああ、約束する」
周は手のひらを頬に滑らせ、現れたつぐみの褐色の瞳に頷いてみせた。
するとつぐみは安堵したように目を細めて、周の手に自身の手のひらを添えた。
「また、明日な、みぃ」
周が小さな優しい声をかけてやる。
「うん、周さん、また、明日……」
つぐみがゆっくりと目蓋を閉じる。
やはりかなり眠たかったのか、つぐみはすぐに規則正しい寝息を立て始めた。
その手のひらが周の手からするすると布団に落ちる。
つぐみが寝入ると、風の音が急に大きく感じられた。
ひゅうひゅうと電線のしなる音や、庭の木立の葉擦れの音が聞こえる。
周はつぐみの柔らかな前髪を撫でたあと、音を立てないよう椅子からそっと立ち上がった。
つぐみの部屋は、勉強机やベッド、暖房器具など必要最小限のものしかなく、学生の部屋にありがちなポスター類や雑貨などは一切なかった。
本棚も、周が昔買ってやった図鑑や文学全集などがあるだけで、漫画や雑誌などは並んでいない。
つぐみが何かを収集したり、執着したりすることはなかった。
執着するのは、俺に、だけだ……。
そのことに、周は気づいていた。
だけど、それは……。
続く言葉を咄嗟に呑み込む。
周は居たたまれないような気持ちになり、部屋から出ようと踵を返す。
だが、ふいに可愛らしい絵柄の背表紙が目に入り、立ち止まった。
子供の頃のつぐみに周がよく読んでやっていた、男の子がどんぐりを探しに行くというあの絵本だった。
それは、本棚ではなく、机の前に教科書や参考書と一緒に立てて並べてあった。
「どうして、これだけ、こんなとこに……」
有本から絵本執筆のオファーを受けたときに思い出したのもあり、周は懐かしく思いながら手に取ってみる。
何度も何度も読んでやったので、表紙の角は擦り切れていた。
……もう一回だけ、って何度もせがまれたよな。
周が頬を緩ませてページを捲ると、手元から何かが滑り落ちた。
「ん……?」
腰を屈めて、拾い上げる。
紙片だった。
贈答品のお菓子か何かを包んであったらしい、綺麗な花柄の包装紙を手のひらくらいのサイズの長方形に切り取ったものだ。
しかし、一度丸められたのか、たくさんの皺が付いている。
裏の白い面には覚束ない字が並んでいた。
周にはすぐにわかった。
覚えたての頃の、つぐみの文字だった。
「これは……」
文面をなぞる周の瞳が、途端に戸惑いに揺れた。
ともだちにシェアしよう!