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『みぃ、おやすみ』
つぐみが周の家に来たばかりの頃、布団に入ったつぐみに、そう声をかけたことがあった。
それは何の他愛もない一般的な就寝の挨拶だったはずだ。
だがつぐみはトロンとしていた目を突然見開き、腕を伸ばして周の手首を掴んだ。
『あ、あまねさんも、どこかへいっちゃうの?』
追い縋るかのようなその瞳は、極度に怯えていた。
何か恐ろしいものが、背後に迫ってきているかのように。
周を掴んだ小さな手は震えていた。
『どうしたんだ、みぃ』
その様子に周は途端に不安に陥る。
当時の周は子供の世話などしたことがなかった。
周と同年代の未婚の男性なら、誰もがそうだろう。
『おやすみっていうと、いなくなっちゃうの』
つぐみは必死に周の腕を掴んだまま、そう言った。
『いなくなる……?』
『うん、みぃにね、おやすみって。そしたらね、めがさめたら、まっくらで、みぃはひとりぼっちなの。そして、ずっとずっとひとりなの』
『……っ』
それは、明らかに母親のことを話していた。
その頃のつぐみは母親の名を呼ぶことさえ、できなかったのだ。
周は布団を捲ると、つぐみの隣に横たわった。
『あまねさん……?』
つぐみが驚いたように身を引いた。
周は腕を伸ばして、その身体を思いきり抱き締める。
『みぃの目が覚めても、明日になっても、俺はどこにもいかないよ。これからはずっと、俺がみぃの傍にいるから』
込み上げてくる涙を堪え、声が震えないようわざと明るい声で伝えた。
つぐみは周の腕の中でビクリと肩を戦慄かせる。
そして、『うん』と小さな声とともにただ頷いただけだった。
しかし、周の肩口は、しだいにつぐみの涙で濡れていく。
それから、周とつぐみの間で交わされる就寝の挨拶は「おやすみなさい」ではなく、「また、明日」になった。
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