34 / 59

7‐4

*** 『みぃ、おやすみ』 つぐみが周の家に来たばかりの頃、布団に入ったつぐみに、そう声をかけたことがあった。 それは何の他愛もない一般的な就寝の挨拶だったはずだ。 だがつぐみはトロンとしていた目を突然見開き、腕を伸ばして周の手首を掴んだ。 『あ、あまねさんも、どこかへいっちゃうの?』 追い縋るかのようなその瞳は、極度に怯えていた。 何か恐ろしいものが、背後に迫ってきているかのように。 周を掴んだ小さな手は震えていた。 『どうしたんだ、みぃ』 その様子に周は途端に不安に陥る。 当時の周は子供の世話などしたことがなかった。 周と同年代の未婚の男性なら、誰もがそうだろう。 『おやすみっていうと、いなくなっちゃうの』 つぐみは必死に周の腕を掴んだまま、そう言った。 『いなくなる……?』 『うん、みぃにね、おやすみって。そしたらね、めがさめたら、まっくらで、みぃはひとりぼっちなの。そして、ずっとずっとひとりなの』 『……っ』 それは、明らかに母親のことを話していた。 その頃のつぐみは母親の名を呼ぶことさえ、できなかったのだ。 周は布団を捲ると、つぐみの隣に横たわった。 『あまねさん……?』 つぐみが驚いたように身を引いた。 周は腕を伸ばして、その身体を思いきり抱き締める。 『みぃの目が覚めても、明日になっても、俺はどこにもいかないよ。これからはずっと、俺がみぃの傍にいるから』 込み上げてくる涙を堪え、声が震えないようわざと明るい声で伝えた。 つぐみは周の腕の中でビクリと肩を戦慄かせる。 そして、『うん』と小さな声とともにただ頷いただけだった。 しかし、周の肩口は、しだいにつぐみの涙で濡れていく。 それから、周とつぐみの間で交わされる就寝の挨拶は「おやすみなさい」ではなく、「また、明日」になった。

ともだちにシェアしよう!