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すると、運動神経もよく、快活な久遠が一緒にいることで、つぐみへのちょっかいは次第になくなっていった。
だが、当初は久遠もつぐみの扱いには苦労したものだ。
家が近所だということもあり、つぐみと初めて下校したときのことだった。
『どこから引っ越して来たんだ?』
『…………』
『逆上がりできる?』
『…………』
『アニメ何が好き? 俺、ドラえもん! 今日テレビあるよな!』
『…………』
三年生だというのに真新しいランドセルを背負ったつぐみは下を向いたまま、久遠の問いに対して一言も答えない。
なんなんだよ……。
さすがの久遠も諦めに肩を落とす。
しばらくして、通りから路地へと入る角を曲がった。
その先につぐみの住む一軒家が見えた。
『あれは……?』
門の前には、俯いて同じ場所をそわそわと何往復もしている男性の姿があった。
黒縁眼鏡を掛けたその男性は顎に手をやり、心配そうに腕時計に目をやっている。
次の瞬間だった。
『あまねさんっ!』
隣で声が上がった。
『えっ……?』
久遠は最初、明るく澄んだその声が、つぐみのものだとはわからなかった。
咄嗟に横顔を見た。
茶色の瞳は喜びに見開かれ、口元からは白い歯が零れていた。
初めて見た、つぐみの笑顔だった。
『みぃ……!』
つぐみの声に気付いて顔を上げた男性は、瞬時に口元を綻ばせると、両腕を広げる。
『おかえり、みぃ!』
その腕の中に飛び込んでいったつぐみの後ろ姿を、久遠は呆然と立ち尽くしたまま見つめ続けたのだった。
ふたりの抱き締め合う様子に、久遠は子供ながら胸がざわついたのを覚えている。
高階の佐和田さんへのあの態度の変わりようを、女子たちにも見せてやりたいぜ……。
先日あった高校の卒業式で、つぐみの第二ボタンをもらいたい、あわよくば告白したいという同級生や後輩の女子はかなりの数にのぼった。
なぜ久遠が知っているのかというと、式が終わり、保護者席にいた周の元に飛んで行ってしまった隙のないつぐみに、直接接触することを諦めた女子から、『これ、高階君に必ず渡しといて!』とたくさんの花束やプレゼントを押し付けられたからだった。
なんで佐和田さんしか見えてないこいつがモテて、ウエルカム状態の俺がモテないんだ!
心の内で悪態を吐いていると、何かに気付いたようにつぐみが鼻先を上げた。
同時に、久遠の鼻にも沈丁花の甘ったるい匂いが漂ってくる。
「……久遠は、大学でも野球続けんの?」
つぐみが気持ちよさそうに深呼吸しながら振り返った。
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