48 / 59
10‐3
『思い出すんだ!』
しばらく待っても、返事はなかった。山中がもう一度呼び鈴を押す。
「…………」
周と山中は顔を見合わせた。周がドアノブに手をかけてみる。鍵がかかっていた。
「誰も居ないようですね」
ふたりの間の空気が緩んだ。
「そうだね。うん、記者さんありがと。きっとどこかに預けられたんだろうね。あの子が無事なら私はそれで……」
山中が納得した表情で扉の前を離れようとしたときだった。
「カタン」
部屋の中から、小さな物音が聞こえた。
山中の顔が再び強張る。即座にバッグを弄(まさぐ)ると、鍵の束を取り出した。
「勝手にいいんですか?」
周が僅かに驚いた声を出したが、
「確かめるだけさ。留守がちな家だと空き巣も心配だしね。何事もなけりゃ、それでいいんだから」
山中は躊躇なくカチャリと施錠を外した。
「タカシナさん、開けるよ……!」
山中の大声に反して、その扉は静かに開いた。
『思い出すんだ……っ!』
途端に排泄物の饐えた匂いが周の鼻を衝いた。夕闇に浸食された部屋の中で、ひとつの影が蠢く。
「!!」
周と山中、ふたりが同時に息を呑んだ。
ごそり、と動いたそれは―……
『ガバッ』
周は掛け布団を捲り上げ、勢いよく上半身を起こした。
「はあっ、はあっ、はあ……っ」
息が切れていた。心臓はバクバクと音を立てて鼓動を刻み、脇や背中には汗が滲んでいる。
床の間の柱の時計は深夜をさしており、眠りに就いてからまだ二時間ほどしか経っていなかった。
『思い出すんだ……っ!』
その声を振り払うように周は頭を振ると、眼鏡も掛けずに布団から出て、台所に向かう。電気は点けず、手探りで食器棚からグラスを取り出すと、蛇口をひねり、水道水を注いで喉に一気に流し込んだ。
「……はあっ」
大きな息とともにグラスをシンクに置き、自分を落ち着かせるように食卓の椅子に腰かける。
『思い出すんだ……っ!』
ひとりきりで衰弱していたつぐみを見つけ出したあの日のことは、これまでも何度も夢に見てきた。その度に、自分を戒めるかのように切実に呼びかけてくるその声は、周自身のものだった。
「俺は……、思い出せなかった……。いや、思い出さなかった……っ」
込み上げてくる悔恨に、両手で頭を抱えて、声を絞る。
『周君、お久しぶりね』
鳥子と再会したことで、今夜は特に十年前の光景が匂いや音とともに、ありありと蘇っていた。
つぐみも受け継いでいる鳥子の端麗な容姿は、十年経っても衰えるどころかその美しさを増していた。
ともだちにシェアしよう!