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周が中学生の頃に亡くなった祖母の葬式を思い出す。  現在、画家として世界を股にかけて活躍する鳥子だが、当時はただの美大生だった。もちろん喪服を着て葬儀に参列していたが、ひとりだけまるで真っ赤なドレスでも着ているかのように、その美貌で周囲の目を惹いていた。 『周君、お久しぶりね』  その時も鳥子は周にこう声をかけてきた。  周の母親の姉の娘。つまり鳥子は周の従姉だった。 「……身内の子供ひとり、守れていなかったというのに、何が新聞記者だっ。俺はジャーナリストとして、一体、何を伝えていたんだ……っ!」  深い後悔が周の心を今も苛む。    ――絵を描いているタカシナという名の女。  そんな山中の話を聞いても、周は鳥子のことを思い出さなかった。まさか虐待に遭っているかもしれない子供が、自分の従姉の子だとは微塵も考えなかったのだ。  その事実は、自身が新聞記者として扱った様々な事件、事故、それらをどこか他人事に捉えていたのだと痛感させられることになった。 「人々の想いを、俺は記号としてしか、扱っていなかったんだ……」  周は翌日、新聞社に辞表を出した。 ***  つぐみを保護した後、捜し出した鳥子はマンションから遠く離れたアトリエで一心不乱に絵を描いていた。十年前の鳥子はまだ駆け出しの画家だった。 『みぃ? 欲しいのなら、周君にあげるわ』    コンクリートを打ちっぱなしにした壁、ずらりと並んだ窓。絵を描くこと以外には何の機能も果たさない広い部屋。油絵の具の匂いが充満したその中央で、鳥子はキャンバスから顔を上げることもなく、何の興味もないといった声音で素っ気なくそう言った。  長い髪は無造作に束ねられ、服や両手は様々な色の絵の具で染まっていた。 『私には時間が必要なの。周君も見たんでしょ? 立派なマンション。住むところもお金も充分に与えているわ。加えて週に一度は戻ってるし』  つぐみの父親が誰かはわからなかった。鳥子は絵に専念するため、国内外問わず、多くのパトロンを持っていた。その中の誰か、ということらしかった。  鳥子がその時、どんな絵を描いていたのか、周の記憶にはない。どんなにこの世界の素晴らしさを、美しさを表現していたとしても、周の心には何も届かなかった。 『……だったら、つぐみ君は俺が育てます』  周は鳥子の背にただ一言そう告げて、アトリエを出た。二度とそこを訪れることはしなかった。

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