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『え……?』 怪訝に眉根を寄せた周をよそに、鳥子の声には興奮が加わる。 『私は美しいものが好きなの……! みぃは私のミューズになるわ。いえ、世界中の画家たちにインスピレーションを与える唯一無二の存在になれるのよ!』 鳥子は雑誌を再び丸めると、顔を上げ、腕を組んで周を真っ直ぐに見据えた。 『だから周君、早くみぃに会わせてちょうだい』 『…………っ!』 十年間、会いに来るどころか、連絡さえ一度も寄越さなかった母親からの当然のように告げられた要求。周の握った拳が戦慄く。 この人は……、あの日から何も変わってない……っ! 胸の内から湧き上がってくる憤りを、歯を食い縛って必死に押し止とどめると、周は努めて冷静な声を出した。 『……みぃは今、風邪をひいて寝込んでいるので、鳥子さんに会わせることはできません。それに、みぃ自身がモデルをやる気はないと以前から言っています。その雑誌だって俺の後輩の編集者の頼みで一度だけ……』 『ふふっ』 突然笑い出した鳥子に、周はさらに言い募ろうとした言葉をふいに呑み込む。 『……何が、おかしいんですか?』 鳥子は口元に手を当て、尚も肩を揺すりながら、訝る周を愉快そうに見やる。 『こんなに周君を虜にするなんて、あの子も大したものね』 『え……?』 鳥子の瞳が周の心を見透かすように、すっと細められた。 『周君は知らないんでしょ? 鶫(つぐみ)って鳥は悪魔の化身だという言い伝えがあるのよ? 周君は世話をするうちに、つぐみって悪魔に唆されたのよ』 「……っ!!」  周は鳥子との会話の記憶を断ち切るかのように、勢いよく椅子から立ち上がった。そのまま台所を出てつぐみの眠る二階へと向かう。 憤慨した足音が静かな家屋の中に響いた。周は自省するように扉の前で一旦立ち止まると、音を立てないよう気を付けて扉を開け、薄暗い部屋の中に入った。 つぐみの眠るベッドへと近寄り、床に跪くと、額に手のひらを当ててみる。熱はほぼ引いており、呼吸もかなり落ち着いているようだ。ホッと安堵の息を吐く。 「ん……?」 微かに身動ぎして、つぐみが薄く目蓋を開いた。 「周、さん……?」 手のひらを離すと、キョトンとしたつぐみの瞳が周の姿を認め、すぐに嬉しそうに弧を描く。 「すまない、起こしたか」 「ううん。……どうしたの? 俺ならもう平気だよ?」 「みぃ……。俺、は……」 言葉が、溢れ出しそうになる。 つぐみの眼差しを、吐息を、心を、すべてを、自分のものにしてしまいたい。 想いを、伝えたい。 誰にも、渡したくはない。

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