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「……ああ」
周は淡い笑みを頬に滲ませ、頷いた。するとつぐみは僅かに緊張した面持ちになり、コクリと小さく唾液を呑み込んだ。自身の身体を肘で起こしながら、周の首の後ろに腕を回す。視線を絡めたまま、その腕に導かれるようにしてお互いの顔が近づいていった。
「……ん」
唇が、重なる。
鼻腔に届く、微かに甘い、つぐみの肌の匂い。
「俺も……周さんが大切……、すごくすごく、大切……っ」
唇を触れ合わせたまま、つぐみが囁く。その切ない声音が熱となって周の胸に広がった。
「みぃ……っ」
言葉を余さず呑み込むかのように、周は唇の角度を変え、繋がりを深める。
これがつぐみとの最後のキスとなることを、周はわかっていた。
***
和室の襖を開ける。月が出たのか、障子がぼうっと白く照らされていた。薄明りの中で、捲れた掛け布団がそのままになっているのが見える。
周は桟に掛けていたコートのポケットから財布を取り出し、中から一枚の紙片を取り出した。
「チョウコ・タカシナの世界」
鳥子から強引に手渡されていた個展のチケットだった。裏返すと、鳥子の携帯電話の番号が走り書きされている。
『個展の会期が終わるまで、日本に居るわ』
周は布団の傍に置いていたスマートフォンを手に取った。深夜だが、朝まで待つと決心が揺らぎそうだった。
画面をタップする指先は冷え切っている。耳に当て、目を閉じた。
終わりの始まりを告げる呼び出し音が、周の耳元で、鳴り続けている。
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