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求め続けた母親から請われているのだ。つぐみにとってこれ以上ない幸せのはずだ。周はつぐみがすぐに首肯すると思った。 「俺……は」  だがつぐみは腕を離し、鳥子から一歩、後退った。 「……生まれてきたことで、母さんを苦しめた……」 鳥子の顔から笑みが霧散した。 「え……?」 「……俺の存在、は……、母さんの人生の、芸術の、邪魔でしかなかった……。母さんに必要とされない自分。ひとり暗闇に置き去りにされる自分。そんな自分の存在を呪ってた。生きてちゃいけないって、思ってた」  つぐみの肩が揺れ、声が上ずった。 「俺なんか……生まれて来なければよかったって、……ずっと思ってた」 「……っ」 周は息を呑んだ。訥々と語られたのは、つぐみが胸に抱えていた痛烈な自己否定。 つぐみが自分自身に向けた刃の鋭さに、周の胸までが抉られる。 「だけどね」  そこで一度言葉を切ると、つぐみは周を振り返った。涙を堪えるように必死に眉根を寄せていたが、周に向かって微笑んだ瞬間、一筋、頬へと流れ落ちていった。 「周さんだけは言ってくれたんだよ。俺が子供の頃、熱を出した時、俺をしっかりと抱き留めて、みぃが生まれてきてくれてよかったって。生きていてくれるだけで、俺を幸せにしてくれるんだよって。周さんはそう言って、俺のためにボロボロ泣いてくれたんだ……」 『俺はみぃが生まれてきてくれてよかったって心底思ってる。みぃは生きていてくれるだけで、俺を幸せにしてくれるんだよ』  薬を飲むことを拒み、自分は生きていてもよいのかと問う、小さなつぐみに周が伝えた言葉だった。 「みぃ……」  伝わっていた。  周の想いはつぐみに届いていたのだ。胸がカッと熱くなる。 「周さんは、俺にも誰かを幸せにする力があるって教えてくれた。だから、母さんに必要とされなかった自分でも、生きていていいんだって思えたんだ」  つぐみは鳥子に向き直り、頭を深く下げた。 「母さんごめん、俺、パリには行けない」  そして、顔を上げると、まっすぐに鳥子を見据える。 「俺がずっとずっと一緒に居たいのは、周さんだけだから」  周が目を瞠る。つぐみがくるりと振り返った。頬を伝う涙に春の陽射しが煌めく。 「だって、俺、周さんを愛してるからっ」 「……っ!!」  想いは同じだった。ひとりの人間としてつぐみを愛する周の想いと、つぐみの周への想いは同じものだったのだ。目頭に熱が込み上げ、喉の奥が痛くなる。 「俺と周さんはずっとずっと一緒だって、周さん、言ってくれたよね?」  周は座布団を蹴って立ち上がった。 「……ああ、そうだ。俺たちはずっとずっと一緒だ……っ!」  そう叫ぶように言った途端、つぐみが破顔し、周のもとへと走り出した。縁側を駆け上り、周の広げた腕に飛び込む。 「周さん……っ!!」  二度と触れることはできないと思っていたその身体をギュッと抱き締め、耳元で告げる。 「みぃ、俺もだ。ずっとずっとみぃを、愛してた……っ」 「やっと……、やっと言ってくれた……!」    嗚咽混じりにつぐみがそう言って、周の顔を見上げて微笑む。幸福に満ちた笑顔を目の前に、周の両目からもとめどなく涙が滴り落ちた。

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