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第9話
シンクに小さな虫が、たくさん飛んでいる。部屋の中のいたるところに虫が飛んでいる。そりゃそうだろう、シンクの中は、洗っていない食器が山積みだし、ごみ箱からはあらゆるゴミが溢れている。
床にはゴミの詰まったコンビニ袋が所狭しと転がっていて、中から汁が零れているものもある。テーブルなんて、今は物置でしかなく。
唯一ゴミに埋もれていない場所は、俺がベッド代わりに使っているリビングのソファくらいだ。部屋からの悪臭に、日に何度も大家が怒鳴りにやってくる。それを俺は、ただソファの上で聞き流していた。
風呂には、お湯の出し方が分からなくて暫く入っていない。数回冷水のシャワーを浴びたが、真夏でもない今は流石に寒くて嫌だった。それなら入らない方がマシだ。
貴春が返ってこなくなって、一ヶ月が経った。大学には、あれから怖くて行けていない。
俺が大学に行かなくなっても、誰からも連絡は来ない。あれほど貴春をネタに一緒に楽しんできた、友人だと思っていた奴らは、あの日俺から目を逸らしたまま、音信不通になってしまった。
貴春に頼り切っていた生活は、貴春がいなければ何も上手く回らなくなった。自分ではやかんで湯を沸かすのが精一杯で、それ以外なにもできない。日に日に増えていくカップラーメンとコンビニ弁当のゴミを、いつ出せばいいのかすら分からない。
隣人に聞いてみようと思っても、今までの俺の態度が悪すぎて誰も相手にしてくれなかった。
貴春が隣からいなくなったら、俺の側には誰もいなかった。誰も、いなかったんだ。
――――ダンダンダン! ダンダンダン!!
「ちょっと! 嘉島さん! 居るんでしょう!? ゴミ、いい加減にしてくださいよ! 本当に追い出しますよ! 嘉島さん!!」
そうこうしているうちに、大家が怒鳴りに来るようになった。そのうち、俺はここを追い出されるんだろう。
「きはる……うっ、うぅぅぅ…」
貴春に腹を立てていられたのは、最初の一週間だけだった。腹は減るし、人恋しいし、できないことだらけでイライラして、腹立たしいままに暴れればまた、部屋は汚くなる。
自分がいま何のために生きてるかも分からなくなって、でも死ぬ勇気すらない。
毎日コンビニで買い食いしているから、手持ちの金もそろそろ底をつきかけている。でも、俺の口座には一円も入ってはいない。今までずっと、貴春に金をもらっていたからだ。バイトなんて、したことはない。雇われる勇気もない。
「うっ、うぅっ、ぅうぁあああぁ、うっうっ」
二週間目から、毎日毎日無駄に泣いている。悲しいのか、ムカつくのか、どうしたいのかも分からなかった。
貴春の存在が、こんなにも俺にとって重要だったなんて知りもしなかった。いつも勝手に身の回りの世話をしてくれる、便利な存在としか思っていなかった。俺の、都合のいいオモチャだと思っていた。
そのうえ更に深刻なのが、あの日酷く抱き潰された三日間で、俺は完全にケツで感じる体になってしまったということ。
やることもなく、イラついてオナニーをすれば、どうしてかいつものようにスッキリしない。まさかと思って後ろに手を持っていくと、俺の体は驚くほどに熱を持った。
「ひぃぃ、やだ、ぃやだぁあぁ~ッ!」
俺の後ろは奥の方まで開発されているようで、自分の指では慰められなかった。持て余した熱もそのままにするしか術はなく、ただ泣きながら自分の体を慰める。だが、それももう限界だった。
相手をしてくれるゲイを探そうにも、あの辺一体出禁にされてしまっては、どうやって相手を見つけたらいいのか分からない。男専用のデリヘルと頼むにも、金がもうない。
「貴春…きはるぅぅぅッ!」
自分からは、絶対に連絡したくなかったけど。どうしても、それだけはしたくなかったけど。もう、そんなことも言ってられない。電話は怖かったから、俺は震える手で貴春にアプリで連絡を取った。
『たすけて』
その一言を打ち込むのに半日かかった。だが、それを送ると意外にも貴春からはすぐに返事が返ってきた。
『芝生においで』
どこの事かはすぐに分かった。時刻は16時50分。まだまだ人が多い時間帯。だけど、そんなこと気にしている場合ではない。もう、心も体も、生活環境の全てがもう限界なのだ。
俺は着の身着のまま、部屋を飛び出した。
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