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第16話
■都内某所 征一郎宅 浴室
教えた覚えもないが好みの温度の湯船の中、濡れて張り付く髪をかき上げた征一郎は、深いため息を吐き出した。
「(まったく調子狂うな……ここんとこ毎日日付が変わる前には帰ってきちまってるし……あいつの作る飯は美味いし一緒にいてもうるさくねえしいっそ居心地がいいとか思っちまってるあたり…………)」
ちびと暮らし始めて早数日。
それまで数時間眠りに戻るだけだったこの部屋に日付が変わる前に帰り、朝昼晩とバランスの取れた食事を摂っている健康的すぎる己の生活が信じられなかった。
無論、とてもありがたい。
ありがたいが、これでいいのかという気持ちが拭えなさすぎる。
『せーいちろー』
脱衣所からの声に視線を向けると、曇りガラスの向こうで小さいものがぴょこぴょこ動いている。
「どうした。なんかあったか?」
『お背中お流しします!』
……これがなければもう少し『これでいいのか』が拭えるのだが。
頭を抱えつつ、とりあえず断る。
「お流ししなくていい。向こうでテレビでも見てろ」
『……………………………………………うん……』
明らかに落胆した雰囲気に涙の気配を感じて、征一郎は大いに慌てた。
「わ わかった頼む。頼むから泣くな」
いいの?という小さな声に肯定を返す。
「…………。じゃあおれ、頑張るね!」
しばらく敢行していいのかどうかを考えていたようだが、元気を取り戻した声に、ほっと息を吐き出した。
どうにもあの少年の悲しそうな顔には弱い。
「まあ弾避けだのよりはこっちの方向で頑張ってもらった方が危険は無……ってなんでお前も全裸になってる」
開いた扉から元気よく飛び込んできたちびは、タオルを一枚腰に巻いただけの格好だった。
当然のツッコミに、しかし相手の方が意外そうな表情をする。
「えっ征一郎は着衣の方が好きなの?」
「着衣って……別に何でもいいが背中流すのに全裸の必要あるか?」
「ソーププレイでボタン当たったりしない?」
「そのオプションはいらねえ」
流石にそれは丁重にお断りする。
どんなサービスをされそうになっているのか自分は。
バスチェアに座り、わしわしと背中を擦られながら、再び『これでいいのか』と悩む。
「(ツッコミが追い付かないってのもあるが馴染んできてる自分が本当にどうかと……。こいつもどこまで本気なんだか)」
征一郎が、芳秀のように倫理観を持ち合わせていない外道だったとして、愛人のような扱いを受けたいと本当に思っているのだろうか。
そもそもそんな気はないので、考える必要もないのかもしれないが、いらん教育を施した芳秀のせいでこれが普通の会話だと思い込んでいるのなら、考えを改めさせる必要があるだろう。
ちらりと鼻歌交じりのちびを振り返る。
目が合うと、ちびは邪気のない表情でにこっとして聞いてきた。
「お客さんこういうお店初めて?」
そういうプレイもいらねえ。
冷えてはいけないからと、結局二人で湯船に入ることになった。
「(…何でこうなった…)」
水面を弄ぶ少年のつむじを見下ろしながら征一郎は内心で頭を抱える。
年の離れた弟ができたと思えばいいのだろうか。
実家には極道の屋敷らしく大浴場があり、組の男たちと風呂に入るのは日常ではあったが、これはそれとは何か違うような気がする。
「…征一郎」
「ん?」
背後の征一郎を振り返り、見上げてくるちびはとても嬉しそうににこにこしている。
「一緒にお風呂入るの楽しいね」
満面の笑顔の眩しさに、思わず目を細めた。
一緒に風呂に入るのがそんなに嬉しかったのか。
「………………あ、ああ……。……また一緒に入るか」
こんな顔をされては、それくらいのことはしてやってもいいかという気になってしまう。
「……うん!」
嬉しそうなちびを見てほっとしてしまい、征一郎はとても複雑な気持ちだった。
……引き返せない場所に向かっている気がしてならない。
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