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幕間2

 ちびがまだ『ちび』になる前は、世界を構成する要素の一部であった。  自我もなく、物質界には何ら影響を及ぼさず、人間には知覚できない、ないものと同じような存在。  それを捕まえ、肉の体を授けるというのが、黒崎芳秀の施した『錬金術』である。  それが本当に『錬金術』なのか。己は本当に『ホムンクルス』に定義される存在なのか。  きっと、判断できるものは存在していない。  真実は、神のみぞ知る、というやつなのだろう。  黒崎芳秀の人知を超えた業により、肉体という檻を得ることで、世界の一部であったときに当たり前に在った宇宙の真理は全て失われた。  徐々に形を成していく己の姿は人間のように悍ましく、また物理的な存在になることで生まれる苦痛が身を苛む。  何故、人間はこんな苦痛を背負いながら生きていけるのか。  人間になどなりたくない。  強く拒む気持ちが、何日も現世に受肉することを妨げていた。  「早く生まれちまった方が楽になるぞ」と、創造主からはエネルギーの源となる血液を日々与えられ続けている。 『(でも……怖い……元に戻りたい……)』  変化への苦痛と不安に押しつぶされそうになりながら、少しでも人工物の少ない場所を求めふらふらと歩く姿は不可視なので、誰の目にもとまらない。  倦怠感が酷く、頭がぼんやりとしていた。  ようやく辿り着いた縁側で、外気を受けてほっとする。  見上げた空は、皮肉なくらいに高く澄んでいた。 『(もう飛ぶこともできなくなってる……肉体なんか得たって、おれは決して完全な人間にはなれないのに)』  不完全な『人』としての命を生きなければならないことにぞっと身を震わせた時。  こちらに向かってくる足音が聞こえてきて、驚いて体を強張らせた。  創造主の気配ではない。  この縁側は黒崎芳秀のお気に入りの場所で、本人と掃除をする部屋住みの者以外はほとんど近付かないはずなのだが。 「…何だ、親父の奴いないじゃねえか」  鴨居に手をかけ、ひょいと縁側から庭を見渡す長身の男が姿を現した時の感覚を、なんと表現したらわからない。  知らない男だった。  万物と繋がっていた頃であれば、(自分たちに何の意味もなくとも)これがどんな個体なのか認識ができたはずだが、今はそれもできない。  ただ、領域はかなり限られているものの、創造主の知識にアクセスすることは許されている。  どうやら、創造主の息子のようだ。創造主と同じ、『ヤクザ』をしている。  しかしそうした表向きの情報以外は何もわからなかった。この人物への感情は、厳重に鍵のかかった場所に入れられている。 「ったく呼び出しといて何なんだよ…」  ぶつぶつと文句を言いながら、その男がどかっと近くに座った。  生物の親と子は、遺伝子というものによって近い個体に作られるというが、この男と創造主では随分と違うように思える。 『(……?……なんだか体が楽になった)』  観察しているうちに、倦怠感が消えていることに気付いた。  不思議に思っていると、隣の男は、突然こちらを向いた。 「おっ。お前こっち来いよ」  微笑みかけられて、ドキリとする。  それと同時に、するりと三毛猫が傍らを横切った。  何だ、猫か。驚いた。  当然だ。自分はまだ、創造主以外には見えないのだから。  そうこうしているうちに、わらわらと猫が寄ってくる。  この屋敷の庭にはたくさんの猫が住んでいるが、基本的には野良であり、黒崎芳秀の膝に乗るのは年老いた茶トラだけなのに。 「おい、いくら何でも定員オーバーだぞ」 「(……わあ……こんなに猫にたかられてる人はじめて見た)」  目の前の男には、我先にと猫が膝や肩、頭にまで登り、大きな体躯はさながらキャットタワーのようになっている。  それなりに重いだろうに、仕方がねえなと細める視線には、愛情があふれていた。  膝に体を擦りつけるようにして傍らで丸くなった黒猫を、大きな手が自然な動作で撫でる。 『(……優しい手)』  己を撫でられたように感じて、思わず目を細めた。 『(猫の気持ちわかる…なんかここ…あったかい…)』  もっと近くにいたい。  そっと距離を詰めると、人ではないものの気配に敏感な猫たちは嫌そうな顔をしたが、害為すものではないというのはわかるのだろう。  すぐに興味をなくし、存在を黙殺してくれたので、ありがとうと感謝しつつ、寄り添う。  ふと、目の前の世界が、今までと違って見えることに気付いた。  先程恨めしい気持ちで見上げた空には、ふわふわとした柔らかな雲が浮かび、太陽は穏やかにこちらを見下ろしている。  冬の間に葉を落としてしまった庭の木々には、よく見ると新たな命が芽生え始めていて、春が遠くないことを教えていた。  世界は、優しくて、キラキラしている。  人になるとは、いのちとはそういうことなのかと、『ちび』は唐突に理解した。

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