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第62話

「樋口さん…」  予想だにしなかった、というよりも、知っている人物が現れるとは思っていなかったので、ちびは驚いた。  こんなことをするのは、恐らく征一郎を煙たく思う同じ黒神会の幹部の誰かだろうとアタリをつけてはいた。  しかし、必要があれば覚えたかもしれないが、当座のところ征一郎とその周辺の人間関係のみ把握していればよかったため、ちびは幹部の顔など知らない。  知らない相手だろうと思っていたのに……。  目を丸くするちびに、ブラインドの下がった窓を背にした樋口が口角を上げる。 「随分大人しくついてきたみたいじゃねえか。あの野郎には内心愛想を尽かしてたんだろ」 「それはないです」  きっぱり。  食い気味に否定すると、左右の男二人がざわっとしたのが伝わってきた。  逆はともかく、ちびから愛想を尽かすというのはまずない。  ちびは愛玩用なので主となった人を無条件に好きになる仕様ではあるが、そんなことは関係なく、征一郎は誰よりも素敵な人だ。 「……………相変わらずだな」  樋口は面白くもなさそうに肩を竦めた。 「樋口さんは、何故おれを……?」 「征一郎の弱味を握るためだ。あの野郎、お前のためなら何でもしそうじゃねえか」  何でもするかどうかはともかく、助けには来てくれると思う。  ただ、人質は逆効果なのではないだろうか。  ちびは、いつかの征一郎との会話を思い出す。 『征一郎って、テレビはあんまり見ないんだね』  芳秀はケーブルテレビでよくアダルト作品を見ていた。  夜のお楽しみの参考にできるかもしれないと隣で見ていると、芳秀が業界豆知識的なことを吹き込んでくるので、撮影現場のことや男優女優のプライベートにばかり詳しくなったのは余談として。  ちびはテレビにさほどの興味はないが、征一郎の好きなものには興味がある。  どんな番組を見るのだろうと興味津々でいたのに、リビングにあるテレビは、一向にスイッチが入る様子はなかった。  なので、テレビを見ない人なのだろうと結論付けて聞いてみると。 『テレビは……あれだろ。動物が映ることがあるだろ』  うっかり目に入ると、アニマルが見世物にされているようで腹が立ったり、健気に生きている様子に涙が止まらなかったりしてとても疲れるのでテレビは見ないのだという。  何か恐ろしいものでも語るような様子に、ちびは少し笑ってしまった。 『もし、かわいいワンちゃんとかを人質にされたら大変なんじゃ……』 『そういうクズの風上にも置けねえようなどクズが相手なら、手加減がいらねえから楽っちゃ楽だな』  心配は無用らしい。  征一郎は、両親譲りのチートともいえる武力を、普段はとてもセーブしているのだ。  ちびは、征一郎の中でどちらかというとアニマル枠なのだろうと思っている。  だから、手加減がいらない認定されてしまうかもしれない樋口の方が心配になってしまう。  考え込んでいると、つかつかと近寄ってきた樋口に、ぐいと顎をつかまれた。 「お前もすぐに、あんな面白味のねえ奴より、俺の方がでかい男だってことがわかる」  顔を寄せられ、何か、今までに感じたことのない感覚を覚えて、ちびは眉を寄せた。 「俺の物になるか」 「いまのところ、その予定はないです」  ひとつもそんな気にはならないが、ふと考える。  このまま樋口のもとに留まれば、征一郎の負担は減るのだろうかと。   「こんな時にもかわいげのない奴だな……少しは媚びたり……」  断られて渋面になった樋口の言葉の途中で、ノックが響いた。  ちびから手を離し、樋口が応じると、黒いスーツの男性が顔を出した。 「若頭、組長がお見えです」 「……親父が……?」  想定外、というように眉を寄せた樋口に、ちびは漠然とした不安を覚えた。

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