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第71話
寝室に足を踏み入れると、ちびは出て行った時と全く同じ態勢で寝ていた。
そのように報告を受けてはいたが、一切目覚めた様子のないことに征一郎は落胆を隠せず、ため息を吐きながらベッドサイドに腰掛ける。
手を伸ばし、そっと額に触れた。
……それでも、熱は下がっただろうか。顔色もそれほど悪くはない。
不在の間付き添っていてくれた月華も、ただ目覚めないだけで具合が悪そうではなかったと言っていた。
だからといって、心配なことに変わりはない。
征一郎は、己が罪深さに項垂れた。
樋口の隠れアジトらしきビルからちびを救出したのは二日前のことだ。
男たちの心無い所業のせいでエネルギーをすり減らしたちびに望まれるまま、また征一郎も止まることが出来ず与え続けた結果、何度目かで意識を失い、ぐったりと横たわる姿を見下ろしてようやく我に返った。
「(やっ……てしまった……)」
己の失態にそれまでの興奮によるものとは違う滝汗が流れる。
パニックになりかけたが踏みとどまり、呼吸が正常なのを確かめると、とりあえずちびを洗いシーツを換えてからベッドサイドで一人反省会をした。
……もう二度と、我を忘れません。
真面目に生活して、部下と仲間と家族(親父除く)をより一層大切にします。
しかし誓いや祈りも虚しく、ちびは翌日も目覚めなかった。
熱も出ていたので、芳秀に半狂乱で電話をしたのに「眠いんだろ。寝かせとけ」とのありがたすぎるお言葉を頂き、怒りのあまり端末を握り潰すところだった。
すんでのところで圧死を免れたスマホの画面に、月華からの着信の通知を発見し、ひとまず外道への怒りは置いて、留守電を再生する。
『片付いたから一応連絡。とりあえず、征一郎には何してもいいけどちび太にだけは手出ししないように誓わせといたから。安心して』
そんな、いろいろとツッコミどころしかない内容だった。
まだ折檻の最中だったのか背後に何か悲鳴のような音が入っていた気がするが、黙殺することにする。
月華が目覚めるにはまだ早い時間だったが、一応折り返すと、繋がった。
少しは相手の生活時間帯考えてよね、とぶつぶつ言いながらも、応じてくれる月華は偽悪的な言動に反してお人好しだ。
「後始末を全部任せちまって悪かったな」
『基本的にはちび太のためにしたことだから、そんなに感謝してくれなくて大丈夫』
月華らしい物言いに、苦笑が漏れる。
「まあ、なんでもありがたかったからいいけどよ」
『……ちび太、大丈夫?」
「……………………」
『えっちょっと黙らないでよ。大丈夫じゃないの?』
全てを話すわけにはいかなかったが、うっかりやり過ぎて熱を出したことを話し、電話での芳秀の対応を愚痴った。
月華は征一郎のことを断罪することなく、『心配だね』と珍しく労るような声音で呟く。
『これは推測でしかないけど、命や健康に別状はないから、会長はどうでもいい感じの対応だったんじゃないかな。駄目そうだったら、絶望する征一郎の様子を直接見にくると思うし』
最悪な推測ではあるが、的を射ている。
話したら少し落ち着いてきて、礼を言って通話を終えた。
その後もちびは目を覚ますことなく、翌日は外せない用事があったため、月華に再び連絡をして、ちびを見ていてもらえるよう頼み、今まで外出していたのである。
ちなみに、ちびが気にしていた猫は、葛西が見つけていた。
親猫がいたらしく、他の子猫も一緒に寄り添う写真が送られてきて、ちょっと泣いた。
目覚めたらちびに見せてやりたい。
頭を撫でながらじっと見ていたが、ちびは微かな寝息を立てるばかりで動く気配がない。
征一郎は、急いで帰ってきたので夕食を摂っていないことを思い出し、とりあえず何か作るかと腰をあげた。
組長という立場であれば、普通は舎弟に命じて作らせたりするのだろうが、征一郎は身の回りのことを他人に任せるのは好きではない。
美食に興味がないので凝ったものは作れないが、料理はちびと同じ芳秀仕込みである。
できる限り己に父の遺伝子を感じたくない征一郎ではあるが、料理が爆発するところだけは母に似なくて良かった。
何もなくても米と塩くらいはあるだろうと考えながら、一瞬だけ振り返ったちびが微かに動いたように見えて、征一郎は足を止めた。
「………………ちび?」
呼びかけに応えるように「ん………」と微かな吐息を漏らし、ちびの瞼が、ゆっくりと開いた。
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