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High Hope

どんなに高望みしたって。 手に入らないものは、手に入らないワケで。 「あぁ。あの時、こうしておけばよかったな」とか「あんなことしなきゃよかった」とか。 頑張れば、頑張るほど。 欲を出せば、出すほど。 願望はこの手をスルッとかわして、逃げてしまうんだ。 お祭りで売られている、金魚みたいな。 その先は繋がっていない、千本くじのような。 だから、いつからか。 ………夢は、叶わないものなんだ……と、認識せざるを得なくなるんだよ。 「………ポリ公を犯せるなんて、思いもよらなかったぜ」 ………だから、最初に言ったじゃないか。 所詮俺は平凡な人間だから、こんなの無理だって。 普段は一介の巡査で、交番勤務で。 「どうせ暇だろ、特捜手伝えよ」って鬼先輩の一言で、非番日にも関わらずマル暴の特捜に組まされてさ。 世間一般の皆様は、働き方改革で24時間以上の勤務なんてしてないんだよ。 公僕だからって、元々は一般ピープルだし。 昨夜は酔っ払いの保護事案があったから、基本的に寝不足で頭もロクに回らないってのに。 マル暴の組事務所を張り込み中、対立する暴力団同士の抗争が始まった。 近くにいた俺と先輩は、当然の如く巻き込まれてしまって……。 あれだけ丸腰はダメなんじゃないかって、言ったじゃないか……先輩。 目の前にいた先輩が、マル暴のバカが発した流れ弾に被弾した。 体が波打つように宙に浮いて、地面に倒れるまで、スローモーションのように見えて。 その体を、支える余裕すらあって………。 俺の体にのしかかった先輩の体は、力が思いっきり抜けて死体のように重たかった。 「……せ、先輩っ!!」 その瞬間、右のこめかみに。 金属が燃えるような熱い感触が伝わって、鼻腔を火薬の匂いが掠める。 「よう、ポリ公。こんなとこで何してんだよ」 いつの間にか、俺と先輩はマル暴の一人に背後に回られていて………。 先輩どころか、俺の命まで危うい事実を突きつけられたんだ。 そのまま、俺と先輩は無理矢理、黒いワンボックスに乗せられて、今、なぜか俺ん家にいる。 玄関先には、腹部から血を流してピクリとも動かない先輩が横たわっていて………。 そしてなぜか、俺はソイツに………オカマを掘られている。 抗争で使われた火薬の残り香が燻る拳銃を突きつけられて、先輩の命も握られていて。 ………腐っても警察官なんだよ、俺は。 警察官なのに、マル暴に縛られて、後の孔から突っ込まれて………。 何、サレてんだ……俺。 「いい目してんな、お前。ヤりがいがあるってもんよ」 「………やめ……!……ろ」 「………オレを匿ってくれたら……。おまえのいうこと聞いてやるよ」 「………クソッ……!!」 「早く匿うって言えよ。早くしないとそっちの犬も、そろそろヤバいぜ?」 いつ暴発するかも分からない銃口を胸に突きつけられて。 筋肉のついた、いい体のそのマル暴の肩口から背中にかけて鮮やかな刺青が、チラチラ見えて………俺の中の奥深くまで貫く。 二択に一択。 この憎たらしい、マル暴の言うことを聞くか。 一か八か、抵抗するか。 ………でも、考えている時間がない。 時間が、ないんだ………。 「………っあ…!」 「ほら、早く決めねぇと…!!……やべぇんじゃねぇか?」 「………か…た。……わかった」 「分かった?」 「………匿う…。匿う……から……。だから……先輩を、先輩を病院に………」 「じゃあ、交渉成立だな……!!」 「……っあ“!!」 ………一瞬、何が起きたか分からなかった。 銃口を突きつけられて、恐怖と絶望の中。 ソイツが突っ込んだモノから、俺の中に一気に熱いのが溢れ出して満たしていく。 奥まで飲み込んで、体がグッと膨らんで。 そのショックか、衝撃か………。 不可抗力で……俺は………イッてしまった、んだ。 病院に先輩を連れて行って、それから職場に連絡をして。 報告書を書いて、副署長の事情聴取に始まり、監察課の事情聴取に終わり。 家に帰り着いたのは、午前2時を回っていた。 玄関のドアノブに手をかけて、俺はそのドアに鍵を差し込むのを躊躇った。 今日は当務明けの非番日で、あんまり寝てないんだ。 心も体もなんの感情も保たないくらい、疲れていて、これが……現実なのか、夢なのか。 その境界が曖昧になるくらい、クラクラしていて。 ………夢、であれば………いいのに。 このドアを開けたら、いつもの俺の部屋で。 ………先輩が撃たれたこととか、マル暴にヤられたこととか。 さらにそのマル暴に弱味を握られて、匿っていることとか。 ………全部消えて、無くなれっ!! 勢いよく鍵を差し込んで、素早くドアノブを回した。 「よう、おかえりポリ公。………時島中央署地蔵寺交番勤務の、前田千陽巡査」 静かに深く響く声が、俺の部屋の六畳間の和室から届く。 ………ほら、みろ。 願望は、そうやっていつも僕の手をすり抜けていくんだよ。 決してHigh Hopeじゃないのに。 こんな些細な願望でさえ、叶わない。 目の前の鮮やかな刺青を施したマル暴が不敵な笑顔を見せて、俺は全身の血が逆流したんじゃないかってくらい体が熱くなった。 「おう、いい目すんじゃねぇか」 「用は済んだだろ、出てけよ」 「何言ってんだ。今俺は、マッポにも黒葛野組にも追われてんだよ。熱りが冷めるまで匿えよ、千陽」 「気安く名前を呼ぶな!!俺はお前の情夫になった覚えはないぞ!!」 ガタンッー。 言い訳をするつもりはない。 寝不足だし、体力も気力も限界だし。 油断をしたと言えば、油断をしたのかもしれない。 俺の部屋に居座るマル暴が、俺を玄関のドアに叩きつけて腕を押さえつけると、強引に唇を重ねてきた。 「……っ!!」 強くて、痛くて………熱を帯びて。 ………ロクに抵抗できない。 「……ヤられた時点で。俺の情夫のなんだよ、お前は」 「………好き、勝手言うな!!」 「お前がオレにヤられてる、すげぇかわいい動画、管轄の住民にばら撒いたら、どうなるかな………?」 「お前っ!!」 思わず拳に力を込めて、憎たらしいマル暴にくり出した。 「おっと、歯向かうなよ。動画や画像は、サーバーに隠してあんだ。………下手な真似してみろ。お前、社会的にも生きていけねぇよ?」 「…………」 「母子家庭で育って、随分と苦労したんだろ?せっかくいい職場に入ったのに、あんな恥かしい姿、誰にも見せらんないじゃねぇのか?」 「………クソッ!!」 〝奥の手を見せるのなら、さらに奥の手を持て〟 コイツは、俺がいない間に俺のことをコソコソ調べて、俺を歯向かわせないようにして………。 用意周到に、俺をがんじがらめに束縛する。 ………悔しいけど。 今は何も、抵抗できない。 そう考えたら、勝手に体の力が抜けていた。 「やっぱりお前は賢い奴だと思っていたよ。もう2度とオレに歯向かわないように。もう一度ここに、たっぷり注いでやるよ」 そう言ってソイツは俺の後ろの孔に、間髪入れず指を押し込んだんだ。 「……っく、はぁっ!!」 「………いい声、出るじゃねぇか。千陽」 「……る、せぇっ!……今に、見てろ………お前なんか、ブタバコにぶち込んでやるっ!!」 「やっぱいいな、その目。犯しがいがあるってもんだ」 玄関ドアに貼り付けになっていた俺は、そのまま床に叩きつけられると、馬乗りになったソイツに後ろから一気に貫かれた。 ………いつか、近い未来。 俺はコイツが握っている俺の弱味を全てクリアにして! 捕まえて、2度とシャバを歩けないようにして! ………それは、絶対に叶えなきゃいけない。 俺のHigh Hopeー。 指定暴力団、藤桜会・若頭 須田摩耶。 有名私大卒のインテリ系マル暴で、藤桜会の息がかかったスナックやソープ等の風俗店の経営を一手に引き受ける、言わば金庫番だ。 有名私大卒だし、タッパもあっていい体してる上に顔だっていいのに。 普通にしていたら、何だって手に入っただろうに。 願望なんて、あっさり叶うはずなのに。 なんで須田はそっちの道に足を踏み入れたんだろうか。 肩口から背中にかけて彫られた赤い彼岸花の刺青を施す覚悟があるくらい、須田に一体何が起こったというんだろうか。 終わりの見えない副署長の事情聴取の間。 黒葛野組と藤桜会の組員の面通しの写真を見ながら、俺は俺ん家に居座るあのマル暴の顔を思い出していた。 ………思い出すと、ムカつく。 そもそもアイツらが白昼堂々、住宅街のど真ん中で拳銃なんかぶっ放すから。 貴重な週休日に、こんな不毛なことをしていて。 先輩だって、俺だって、二進も三進もいかない状況になっているのに。 しかも、俺なんか………!! 昨夜も今朝も、好き放題しやがって………!! ………須田っ!!……あのヤロウっ!! 思わず資料を握る手に力が入った。 「よう、ポリ公。お早いお帰りだな」 「………何、やってんだよ。須田……」 「何って、晩飯作ってんだよ」 「何で晩飯、作ってんだよ」 「腹減ってるからに、決まってんだろ」 「………材料は?」 「昼間に、宅配来たからよ」 「宅……配………?」 「千陽の母ちゃんから、白菜やらサバ缶やら、米やらな」 「………受けとったのか…?」 「置いてったんだよ、玄関先にな。宅配屋は適当だからな」 どうせ「ピンポンピンポン、うっせぇな!さっさとそこに置いてけ、ゴラァ!!」とか脅して、宅配屋にキチンと仕事をさせなかったんだろ………。 「だから、白菜サバ缶鍋作った」 「…………」 「早く手ェ洗ってこいよ、千陽。冷めないうちに早くな」 「…………」 ………調子……狂う。 あんだけ、俺を力でねじ伏せて抱き潰しておきながら………。 なんで、こんなことするかな………。 しかも、めちゃめちゃいい匂いがするし。 この上なく疲れていて、この上なくムカついているのに。 ………グー……。 腹は正直に反応してる。 ………クソーッ!!なんなんだよ、俺っ!! 体までいいように扱われて、胃袋まで支配されるなんて……!! 「どうだ、うまいか?千陽」 「………うまい」 「お前、痩せすぎてるからな。抱き心地が悪ぃから、いっぱい食え」 「……ゲホッ!ゲホッ!……お、おまっ!」 「何やってんだよ、お前ェ」 「い、いきなり!変なこと言うからだろ!!」 抱き心地が悪いから食えとか、信じられねぇ。 でも、食べ物には罪はないし。 食わなきゃ勿体無いし。 別に須田に顔を立てるわけじゃないんだけど、俺は目の前の鍋と炊き立てのご飯をかき込んだ。 久しぶりに、腹一杯食べた気がする。 腹一杯になったら、蓄積された疲労がズシッとのしかかって、瞼がこの上なく重たくなった。 2日で3時間しか寝てなかったんだよな、俺。 仕事で忙しかったし、須田は寝かせてくれないし。 明日は、日勤だけど………終わったらまた、本署で事情聴取だろうし。 ………あぁ、面倒くさいなぁ。   何もかも、やる気が起こらないくらい………眠たい。 ………腹一杯だし、めちゃめちゃ眠ぃ……。 あぁ、眠ぃ………。 「………ん」 枕元の目覚ましが、午前2時半と言う時刻を暗闇の中に青白く浮かび上がる。 ………あ、あれ?俺、寝てた……? ちゃんとベッドに寝ていて、ちゃんと着替えてて。 飛び起きたいのに頭も体も重たくて、ベッドに貼り付けられたみたいに動けなかった。 「まだ、寝てろ。6時になったら起こしてやるから」 後ろで須田の声が響いて、暗闇と静寂を静かに破る。 「…………」 「今日は何もしてねぇよ。いいから寝とけ」 ………調子……狂う。 なんで、優しくすんだよ。 これが、お前らマル暴の手ェだって分かってるんだよ。 厳しい借金の取立ての中に、時折見せる優しさをチラつかせて、さらに雪だるま式に借金を膨らませる。 それと一緒だって………分かって、んだよ。 分かってるのに………今は、その優しさに甘えたかった。 俺は今、何もかも忘れてしまいたくて。 弱味を握られている相手の優しさにでさえ、つい手を伸ばしてしまうくらい弱っていて。 だから、須田の声に流されるように。 俺は、深く意識を沈めたんだ。 「藤桜の須田が行方不明らしいぞ。組にも店にも出入りしてない」 その辺をフラフラしてたら地域巡査に職質されそうなくらいマル暴チックな二課長が、眉間にシワを寄せて言った。 鋭い眼光が余計、鋭くなって会議室にいる捜査員をひと睨みする。 「嗾けたのは黒葛野組だが、返り討ちにしたのは恐らく須田だろうな。須田を探せ!」 ………須田は、俺ん家にいます。 朝飯から晩飯、挙げ句の果てには弁当まで作ってもたせるくらい器用なヤツで。 見かけによらず几帳面で、家事全般得意なんですよ? ………なんて、言ったら。 犯人隠避罪で、俺が逮捕されんだろうな、多分。 「おい、前田!」 「は、はいっ!」 眼光鋭い二課長から不意に呼ばれて、俺は挙動不審この上ない返事をした。 「見たこと、思い出したら全部報告しろ!いいな!それから、副署長の事情聴取はもう終了だ。明日からまた交番勤務に戻れ!」 「はい!了解です」 役不足になったからか。 もしくは、俺を泳がせる気か。 とにかく、二課の考えることはいつも分からない。 分からないから、二課長の言葉ですら疑ってかかる俺がいる。 ………だから俺は、そういうの向かないんだよ。 騙し騙されるのは、性に合わない。 というか、今まで生きてきた経験から、そういうのが大嫌いなんだ。 まぁ、でも。 副署長のねちっこい事情聴取から解放されて、俺は少しホッとしてしまったんだ。 「前田」 ………まだ何かあるのか、二課長は。 「はい」 「春の人事異動で、交番から引っ張ってやるからな。その腹積りでいろ」 「はい」 咄嗟に。 ほぼ条件反射的に、短くいい返事をしてしまったけど。 二課長のその鋭い眼光は、偽物なんじゃないかと疑ってしまった。 こんなに嫌がってるのに、顔に出てないはずないのに。 ………どうせ、しばらく動けない先輩の代わりとなる、体がいいコマ使いが欲しいんだろうな、なんて。 心のどこかで。 二課長に対しても、組織に対しても、小さく軽蔑している俺がいた。 「……弁当、ありがと」 とりあえず、礼は言わなきゃと思って。 俺はすっからかんになった弁当箱を流しに、持っていって水につけた。 そんな俺を、須田はタバコをふかしながら余裕綽綽な表情で観察している。 「それだけ、か?」 「〝それだけ〟って、なんだよ」 「三食作ってやった人件費。どうやって払う?」 ………やっぱ、そういうつもりかよ。 だいたいは、想像していたとおりの須田の言動。 俺は須田に近づくと、自らキスをした。 口を開けて舌を絡めると、メントールのタバコの香りがスッと口の中に伝わる。 「おい!千陽!火ィ!」 火のついたタバコを右手でキープしていた須田が、めずらしく慌てた様子で言葉を発した。 「人件費、払ってやってんだろ?火ィ、気を付けろよ」 「………んのヤロォ。やるじゃねぇか」 俺は再び須田に唇を重ねると、須田のシャツのボタンを外して、ズボンのベルトを緩める。 「やられっぱなしは性に合わないんだよ。ジッとしとけ、須田」 ズボンのチャックを滑らせ、下着をずらすと、須田の半勃ちになっていたナニを口に含んだ。 ………もちろん、初めてだよ。こんなこと。 ただ、純粋に。 やられっぱなしが嫌だっただけで、少しでもムカつく須田を支配したくて。 俺は半ばヤケクソで、須田のを口に含んで舌でシゴく。 「………まぁ、初めてにしてはうまいじゃねぇか。努力をかってやるよ、千陽」 「……んっ……ぐっ」 喉に擦れている須田のナニがだんだん大きくなって、熱くなって。 ………一瞬で、俺の体内に須田の液体が注がれた。 苦笑いをした須田は、胸ポケットから転がり落ちた携帯灰皿にタバコを押し付ける。 「…….ははっ。気持ち……良かったんだろ、須田」 「まぁな。三食分には、足りねぇけどな」 「っ!!」 須田は俺の体をグッと抱え込むと、あっという間に組み敷いて衣服を剥ぎ取った。 「昨日はシてねぇからな。たまってんだよ、千陽」 「………早漏しないように、せいぜい頑張れよ」 広げられた足の間に、須田のナニが押し当てられたと思ったら。 次の瞬間には、後の孔から体を貫くように突き上げられた。 「……っんあ!」 「お前も、女みたいに尻だけでイッてみろや」 「……や、れるもんなら………やって、みろよ」 突き上げられるたび、置いてある三段ボックスに頭をガンガンぶつけて。 それを庇うように、須田の手が俺の頭に回される。 ………そうだ、俺にハマれよ。須田。 俺にハマって抜け出せなくなって、二進も三進もいかなくなって。 その時に、捕まえてやる。 性に合わないことまでやってんだ……!! だから……俺に、溺れろ!!須田!! 俺と須田のセックスは。 なんというか動物みたいだ。 ガタンー。 壁に背中を叩きつけられて、背中がジワっと痛くなる。 「………っ!!馬鹿力だしてんじゃ、ねぇよ!……須田ぁ!!」 「……っるせぇ、よ!」 須田は壁に押し付けた俺の太腿を持ち上げ、その足の間にナニをねじ込んで突き上げた。 「っあぁっ!!」 「そろそろ、尻だけでイケよ!オラッ!」 「………んのヤロォ!!……誰が、イくかっ!!」 ………つーか、なんでこんな。 馬鹿みたいに激しいセックスしてんだよ、俺は。 静かに、ベッドの上で。 なんてほとんどない。 だいたい、ねじ伏せられて抱き潰されるか、俺が須田を挑発して上に乗るか。 要は二人とも、負けず嫌いなんだと思う。 主導権を、握りたい………ただ、それだけ。 須田を俺に溺れさせて、須田を支配したかったのに………。 それが多分、須田の何かに火をつけたらしい。 最近では、どちらかが先にイくまでこの調子だ。 この時ほど、一階の角部屋でよかったと思ったことはない。 〝ギシアン〟ならぬ〝ドタアン〟で、いつ苦情が来るかも分からないからな……。 下からガンガン貫かれて視界が揺れるなか、俺は須田の左手で奥襟を掴んで首を引き寄せた。 もう片方の手は、須田の乳首を強くつまんで。 歯がぶつかるくらい勢いのあるキスをして、強引に舌を絡ませる。 須田からほのかに香るメントールの味も、もう慣れた。 ………逆に、こうじゃなきゃ……面白くねぇよな? 「イケ……よ!……千陽!!」 「お前が……先だ!!………あぁっん」 壁に押し付けた俺の両方の太腿をグッと持ち上げた須田は、さらに俺の奥にぶち込んで。 俺はたまらず体を反らせて、重量を回避しようとする。 「須田ぁ……!!……深…ぃい……!!」 「お前も………締めすぎ……!!」 俺の中心がブルッと震えて、その中身がお互いの腹を濡らして。 と、同時に。 差し込まれてた須田の中身が、熱を帯びて俺の中に一気に広がった。 「っ……はぁっ……!」 「………あ…ガッつき……すぎ」 「お前も、だろ………」 そのまま、壁に2人分の体重を預けて。 息を切らした俺と須田は、ズルズルと床に体を沈めていくんだ。 「お巡りさん、さようならぁ!!」 「さようなら!気を付けて帰ってね」 近所の小学校に通う小学生が2人、照れた様子で俺に手を振った。 ………道端に落ちていた10円を届けるなんて。 すげぇ、純粋だよな。 拾得物の事務処理を終えて、チカチカ光るスマホに目を落とした。 〝明日、卵と牛乳、クリームシチューの素を買って帰って来い〟 この人使いの荒さ、母さんかよ。 須田は、自分のスマホは使わない。 位置情報でバレることを恐れて電源すら入れず、もっぱら俺のパソコンを駆使して、情報収集や子どもの使いのようなメールを寄越してくるから。 俺は思わず苦笑いをしてしまった。 「お?前田、彼女か?」 思わず苦笑いした矢先、交番長である上司がニコニコ………いや、ニヤニヤしながら話しかけてきた。 「………まぁ、はい」 「気の強い子だろ」 「え?……そう、ですね」 俺が怪訝な顔をしていると、交番長はニヤけたまま人差し指を自分の首筋に当てて、「シャツをもうちょっと上にあげなよ」と言った。 ………ひょっとして。 唯一覚えがあるとすれば、昨日、須田が吸い付いて………。 須田っ!!あんのヤロォ!! 「よっぽど、前田のことが好きなんだろうなぁ」 「そんなことない!です!」 「独占欲の強い女には、気を付けろよ。知らない間に、足元を掬われるからな」 「………はい。ありがとうございます。気を付けます」 ………こういう。 交番長みたいなタイプが、実は一番厄介だったりする。 何気ない視線で、柔和な笑顔を浮かべて。 相手の一挙手一投足を、じっくり観察するタイプ。 二課長の表面に張り付けた凄みより、こっちの方が背中がゾクゾクするくらいの怖さがあって。 ついその笑顔に絆されて、心の内を曝け出したくなるけど。 ………それが、交番長のやり方。 職質でも、部下の身上把握でも。 危険なものを嗅ぎ分けて、いち早く摘み取る………。 そんな人だ、この人は。 「いいなぁ、若いってのは」 「交番長は、本署への希望はないんですか?」 「交番の方が面白いに決まってんだろ、そんなの。でも、お前は若いんだから、なんでも経験しろ。そして、それを糧にしろ。若いヤツが上に行きゃいいんだよ」 「交番長……」 「前田ぁ。エラくなったら、俺に優しくしてくれよなぁ」 交番長は出っ張った腹をさすって、テレた様子で相談事案の書類作成のため、パソコンに視線を移す。 俺が交番で当務の日、須田は俺の部屋で一人で過ごしていて。 その間俺は若干、気が気じゃない。 何かのひょうしに須田が、俺の家にいることがバレたら? 何も言わずに、俺の前から消えていたら? それが、一生会えない事態になったら……? いつの間にか。 俺の心は、須田に支配されているようだった。 俺が、須田を支配しようと思っていたのに。 強引に俺を抱く須田とか、ヤクザとは思えないくらい屈託なく笑ったりとか。 やたら家事能力が高かったりとか、さ。 俺は一人っ子で、家族は母親しかいないかったから。 兄貴がいたらこんな感じなのかな、って……。 それ以上に、俺を強く抱く腕や体に、つい安心してしまったり、なんて。 ………俺、どうしたんかな。 相手は、マル暴なのに。 決して、仲良くしてはいけないのに。 だんだん、俺の中で強くなっていく………。 どんどん、どんどん、深みにハマっていく………。 俺は一回深呼吸をして、古い帳面を手に取った。 「交番長、巡回連絡に行ってきます!」 「おう、気ィつけてな。前田くん」 「はい」 俺は無線のスイッチを入れると、公用自転車に跨って、強くペダルを踏み込んだんだ。 風を切る。 警察官の制服の下は、防刃チョッキなんか着込んでフル装備だから。 その風が頰を掠めるだけで、気持ちがいい。 それだけじゃない。 きっと、今の状況が………そうさせてる。 「お巡りさん」 人通りの全くない、昔からの狭くて小さな市道に入る直前の自転車の速度が緩んだその時、ふと背後から呼び止められる声がした。 「はい。……っ!!」 振り向いた瞬間だったから、その人の顔とかもロクに見てない。 口を覆った布から、鼻と喉を刺すような鋭い刺激臭がした。 間隔を置かずに………視界がボヤけて、頭がグラッとして。 目の前が、急に真っ暗になった………。 ✳︎✳︎✳︎ 『まさか、ポリ公のとこに隠れているとは思わなかったぜ、須田』 見ず知らずのメールアドレスから、千陽のパソコンにメールが届いた。 心が、ざわっとして。 頭が冷や水を浴びせられたように、冷たくなって。 心拍数が、速くなる。 指が………勝手に………。 圧縮加工された添付ファイルを、クリックした。 〝あぁっ!!あっ……やめっ………やめ、ろっ!〟 いつの間にか最大ボリュームになっていたパソコンから、よく耳に馴染んだ喘ぎ声が響く。 「………ち、千陽…?」 他人の空似だと思いたかった。 オレとは全く関係のない、小生意気で、いい目をするアイツじゃない………千陽じゃない、と。 ………思いたかった。 引き裂かれた、警察官の制服。 右手首と右足首を、自らに貸与された手錠で繋がれ。 背中に刺青が入った数人の男に、輪姦わされて。 懸命に抵抗はしているものの、自分よりひと回り大きな数人の男に敵うはずもなく。 力づくで押さえつけられて、後ろの孔に突っ込まれているのは………。 紛れもなく、千陽………。 千陽、本人に間違いようもなかった。 〝はな……せっ……!!………んん……ぁあっ〟 〝オラ……もっとよがれよ、ポリ公〟 〝あ……ん、あぁっ〟 千陽のハメ撮り動画を見せつけられて、オレは全身の肌が泡立つのを感じた。 普段のオレなら、多分、何も感じねぇ。 敵に捕まってバカなヤツだな、とか。 隙を見せるとか、頭沸いてるだろ、とか。 容赦なく切り捨てたり、自己責任だと見てみないフリをしたり。 この世界にいれば、そんなのは当たり前で。 ………しかし、今回ばかりは。 初めて、自分自身以外の他人を愛おしいと思った。 初めて………後悔して。 初めて、怒りが込み上げてきたんだ。 オレはパソコンの送信画面をもう一度確認して、トイレタンクの中に隠していたゴツい拳銃を取り出した。 「………これを機に。静かに足を、洗うつもりだったのによ」 オレは独り言のように呟くと、千陽の部屋をぐるっと見渡して、拳銃を靴下に隠して部屋をでた。 昔から、連むのが苦手だったんだ、オレは。 父親や母親、兄ですら。 本心を見せることを、躊躇うくらい。 父親は、医者で。 母親は、看護師をしていた時に父親に見染められて。 兄は、父親似でいけすかなくて。 そんなんだから、いつも居場所がなかった。 父親と兄が絶対で、母親はそれに逆らわない。 それでも、認められたい時期がオレにもあって。 勉強でも、スポーツでも。 兄貴より出来が良かった時も。 やはり、オレは。 決して、認められることはなかった。 この世界に足を踏み入れたのは、高校生の頃。 大学受験も適当に済ませて、これから先、イージーモードで生きて行こうと思っていたあの頃。 若頭………前の組長と出会った。 チンピラの女をとったのとらないので、絡まれたオレを胸糞悪いチンピラから助けてくれたんだ、あの人は。 そんなこと、初めてだった……。 家族ですら、オレに手を差し伸べたこともなかったのに………。 オレに接するその態度や、たまに見せる笑顔が。 父親以上で、兄以上で。 だから、オレはこの人について行こうと思ったんだ。 若頭から組長へ。 出世したあの人に、早く着いていきたい。 早く、役に立ちたい。 そう思っていた矢先、組長は銃弾に倒れる。 どっかの雇われのチンピラが、ぶっ放したバカみたいな弾の起動に………あっけなく。 だいたいの検討はついていた、今の……藤桜会8代目組長・瀬崖正之助。 全部アイツが、裏で糸を引いていたんだ。 その内輪揉めに、黒葛野組が首を突っ込む形で抗争が勃発する。 店の経営なんかは、既に他の若頭や若頭補佐に任せてあったから。 このままユルユルと、フェードアウトするように組から抜けようと画策していた矢先の銃撃戦。 本格的に、消されるんだと確信した。 その場にいた見るからに半人前の千陽を脅して、姿を晦まして、そのうち千陽の前からも逃げる予定だったのに………。 オレは、千陽に……心を奪われた。 力でねじ伏せられて、ズブズブに犯されているにも関わらず、挑むような屈服しない目でオレを睨んでは、負けずに対抗してくる。 ポリ公のくせにかわいい顔してさ。 それでいて、気も強くて感情がストレートで。 ズルズルと一緒に居続けた結果が、これだ。 オレ一人ならまだよかったのに、心の中の9割を占める千陽まで巻き込むなんてよ。 だから、オレは。 ………いつも、オレは。 いつも誰かに邪魔をされて、いつも満たされず、いつも不満なんだ。 『こんな世界に引き摺り込んで悪がなったなぁ、須田。俺に義理立てなんかすんな。お前ぇはお前ぇが、やりたいようにすりゃいい』 結果として最後となった、組長と交わした言葉をふとオレは思い出していた。 要は、前の組長にかわいがられていたオレが気に食わねぇから。 どっからかオレが、千陽の所に身を隠していることを掴んだんだろう。 こんな卑怯なやり方をすんだよな、瀬崖は。 ………瀬崖に義理立てするつもりなんか、毛頭ねぇ。 組にだって、未練すらねぇ。 なら、今が〝オレがやりたいようにする〟時なんじゃないだろうか。 「………親父っさん」 オレは小さく呟いて、足早に千陽のいる場所へ向かった。 ✳︎✳︎✳︎ 体が………熱い。 抵抗しているのに、あっさり殴られて、呆気なく制服が引きちぎられた。 腕に注射を打たれた瞬間から、体が熱くて、後ろの孔が疼いて………妙な高揚感に支配される。 暴れる俺は、力の限り押さえつけられて、刺青のヤツらに何度も突っ込まれた。 「……っぅあっ。………あ、やめ………やめ」 「まだ抵抗できるたぁ、すげえなぁ。お巡りさんよ。そんなに元気があるなら、上の口でもご奉仕しろよ」 「んぐっ……!!」 間髪入れず、別な男が俺の顎を押さえつけて、口の中いっぱに熱くて太いモノが入ってくる。 歯も立てる余裕すらないくらいに、上も。 足を無理矢理広げられて露わになった下も。 快楽に溺れさせるように、ガンガン犯されて。 さらに痛いくらいに勃った俺の乳首に、歯を立てるヤツもいて。 ………おかしくなる。 打たれた何かのせいで全身が過敏になって、異常なまでに感じて………。 「……んんっ」 声が、漏れる。 腰が浮き上がる。 今なら、分かる………。 ………須田、は。 動物かってくらい、セックスは乱暴だったけど。 ………その手は優しかった。 俺に触れる手は、本当に優しかったんだ。 おかしくなる前に、もう一度……須田に会いたい。 ………おかしいよな。 俺は警察官で、まず組織のことを考えなきゃ行けないのに。 拳銃をとられた、とか。 警察官なのに、ヤクを打たれて犯された、とか。 そういうのより先に、まず須田のことを考えてしまうなんて………。 俺は、どうかしている。 そう思うと、妙におかしくなって笑ってしまった。 「おい、こいつ笑ってるぜ?」 「もう、ラリってんのか?」 そうかもな。 俺、おかしくなってんのかもな。 ………大丈夫。 須田が、来てくれる………大丈夫。 須田は、そんなヤツだ。 ✳︎✳︎✳︎ 日も沈みかけて、人の顔も判別できないくらい、あたりが薄暗くなった。 外国船籍が立ち寄る港の、倉庫の一角。 その暗さに紛れ込むように、オレはその倉庫の勝手口を開けた。 暗い倉庫の中。 二階の奥に灯りが見えて、媚を含んだ艶かしい声が反響している。 その声の主の、姿がありありと想像できるくらい、オレは毛穴が泡立った。 オレがメールを受信してから、既に2時間。 その前からヤられていたとしたら、最低でも3時間はこの状況下にいることになる。 瀬崖のことだ。 アイツは、クスリの密売まで手ェ出してるから、千陽に打ったに違いない。 千陽が普通の状態で、ヤられてるハズもない。 極力、足音を響かせないように、鉄骨で組まれた階段を、ゆっくり登る。 左手で拳銃の柄を握りしめて、徐々にその視界が明るくなっていった。 「……ぁあ、あっ……あ……んぁあっ」 「オラ、まだ限界じゃねぇだろ、ポリ公。もっと腰を振れよ」 「……や……やぁ……」 いつもオレがあれだけ抱き潰しても、決して折れることなく強い目でオレを見返していた千陽が。 顔も体も紅潮させて、微睡んで視線のあわない目つきで、嬌声をあげる。 それでも千陽は。 力の入っていない左手で、必死に抵抗して。 押さえつけられている体を捩っては、その苦痛から逃れようとして。 ………こんなこと滅多にないのに、オレの体が……動かなくなった。 後悔と怒りで頭がサーッと冷たくなって、生唾を飲み込む音が、やたらと大きく響く感じがする。 「………す…だぁ………すだ……」 その時、うわ言のように千陽がオレの名前を呼んだ。 体の強張りが一気に解け、ほぼ無意識に拳銃を構えてたオレは、引き金をひいた。 ーパァン。 「ぐぁっ!!」 千陽の中に、必死こいて突っ込んでいた般若の刺青をした男が、大きくのけ反って地面に倒れる。 「っ!!……誰……だっ!!」 「オレだよ。決まってんじゃねぇか」 オレは拳銃を構えたまま、階段を登り切って答えた。 「よう、待ってたぜ?須田」 「オレはもう、お前ェになんざ用はないんだがな、瀬崖」 手首まで鮮やかな刺青を施した男が、静かに、威圧するように声を発する。 いけすかない、蛇のような目をした男……瀬崖だ。 瀬崖は千陽の背後にまわると、その華奢な体を抱き起こして無理矢理に千陽の足を広げた。 引き裂かれた警察官の制服。 腹には白濁した液体がかかって……。 止めどなく、終わりが見えずに、犯されて、イかされて。 その目は、快楽に打ちのめされたようにトロンとしているのに、微かにその表情を歪める。 「………ぅ……あ」 「ほら、何て言うんだ?ポリ公。さっき教えたろ?お前がうわ言で、呼んでただろ?ほら、言えよ」 そう言った瀬崖は薄笑いを浮かべて、千陽の太腿をさらに広げて、紐で先の方を固く結ばれたペニスをしごいた。 「………あぁ……や…やぁ……」 「何て、言うんだ?ポリ公」 瀬崖の右手には、警察官の千陽に支給された回転式の銃が握られ、その銃口が右胸に当てられる。 千陽の体が小さく、震えた……。 「……は…はや……く。入れ…てぇ………。こ…こに……デカい………チン……ポ………入れて……」 涙を……流して……。 苦しそうに、切ない顔で、千陽が言った。 気が強いのに、ちょっとやそっとじゃ折れないヤツが………クスリを使われて、不本意な形で支配されて。 ………でも、その目の奥は……まだ……。 千陽の強い面影があった。 パァン……! 倉庫の静かな空気を、乾いた軽い音が引き裂く。 瀬崖はよく、オレの拳銃を馬鹿にしていたなぁ。 「若頭のくせに、オモチャみてぇなチャカ持ってんな」って。 瀬崖の言うとおり。 オレの銃は軽いから、殺傷能力はほぼ皆無だ。 ただ、真芯に当たれば………軽くても十分なんだよ、瀬崖。 オレの放った銃弾は、真っ直ぐな軌道を描いて、吸い込まれるように瀬崖の右目を貫いた。 「がぁっ!!」 弾かれるように瀬崖の体が後ろに倒れ込み、その反動で千陽の体が横っ飛びに吹っ飛んだ。 よかった……。 これで、千陽を地獄のようなこの状況から救える。 「ゴラァ!テメェ、須田ぁ!!お前ェ、組長になんてこと!!」 背後から怒号が聞こえて、瀬崖の側近の若頭がオレの胸ぐらを掴んで殴りかかってきた。 「……アイツが、この組継いだ時点で終わってんだよ!!この組は!!」 「ンだと、ゴラァ!!」 「終わらせんだよ!!こんな組!!その辺のゴマンといる組と同じだ!いらねぇんだよ!!」 啖呵を切った、その瞬間。 脇腹が、熱を帯びたかのように熱くなった。 鋭い刺激が、急速に広がって………オレの中から、エネルギーが溢れ落ちる感覚がする。 オレは、視線をその方向に向けた。 ………しくったな、ヤラれた。 刺されちまった………。 「勝手なコト抜かしてんじゃねぇぞ?!あぁっ?!」 そいつが大きく振りかぶった手の先には、倉庫の僅かな灯を反射した短刀が握られている。 ………やべぇ、無理だな。 ちゃんと、千陽を救い出せなかった……な。 でも、どうか………。 神様がいるか分からない。 いなけりゃ、親父っさんでもいい。 今まで真っ当に生きたことはないけど。 人生で、たった一度だけ。 今、この瞬間……願いを叶えて欲しいと思った。 叶うことは、ないくらい無理な高望み。 高望みだけど………。 ………千陽を、助けて欲しい。 …どうか、どうか………どうか………!! パァン……。 背後で破裂音がして、ほぼ同時に。 目の前にいた若頭が、大きく弧を描いて弾き飛ばされた。 額には赤い傷があって……一気に血が吹き出す。 「………千陽っ!?」 「………あっ……あぁ」 振り返った先には、拳銃を握って震える千陽がいた。 打った衝撃で、体の震えが止まらないのか。 恐怖の残像が消えずに、怯えているのか。 小さく早い呼吸が、千陽の不安定さを物語っている。 たまらず、千陽に駆け寄った。 左手が強張って、中々拳銃が手から離れない。 オレは強引に拳銃をその華奢な手から剥がすと、その震える体を強く抱きしめた。 抱きしめてないと、千陽が壊れるんじゃないか、って。 崩れて、無くなってしまうんじゃないか、って。 そう思って、キツく強く、腕に力を込める。 「………す、だ……俺……。すだぁ……」 オレの腕の中で、小さなガキのように、泣いてオレの名前を呼ぶ千陽が、ひどく弱く感じた。 ………オレにだけ、見せた……弱い、千陽。 もう………2度と、その体を離したくなかったんだ。 「オレと、逃げようか……千陽」 「………うん………うん」 千陽が2度と、こんな顔をしないように。 オレは千陽のために、すべてを捨てようと決心した。 ✳︎✳︎✳︎ 小さな、小さな家の窓からは、エメラルドグリーンの海が見渡せる。 だいたいの日は、ビックリするくらい平和で。 この海のように凪いでいて。 俺は、海からの潮風を体中で感じて、スーパーカブのエンジンをふかした。 舗装もまばらな道を、ハンドルをとられないように、カーキ色のカブを走らせると。 あっという間に、島で唯一の雑貨店にたどり着く。 「マヤ!配達ある?」 その店の奥には、ガッツリ日焼けをしたヤクザのヤの字も感じさせないくらい変貌した須田の姿があった。 髪が伸びて、それを一つに束ねて。 Tシャツにサンダルというラフな格好でさ。 もともと堀の深いイケメンな須田は、パッと見、現地の人と変わらない。 「オレリアさんとこに、パンとハチミツを持ってってくんねぇか?」 「了解!!」 「ハル。いい加減そのクセ、やめろよ。いつまでもポリ公みたいじゃねぇか」 「ごめん、ごめん。じゃ、行ってくる」 俺は須田から荷物を受け取ると、カブの荷台にそれを詰め込んだ。 「気ィつけろよ」 「分かってるよ!」 そう言うと、俺は再びカブのエンジンをふかして、風を切って走り出す。 刺青のヤロー達に輪姦わされて、俺は死を覚悟していた。 ………終わることなく、次々に犯されで。 もし、生きて帰れることがあっても、まともに生きていけるか………正直、不安だったから。 混乱、混濁する意識の中。 須田の声が聞こえて、感情の渦に溺れていた俺の視界が、急にクリアになった気がした。 ムカつくマル暴に、馬鹿みたいなことを言わされても。 突きつけられた俺の拳銃の銃口が、狂いそうになるくらい冷たくても。 妙に……安心して。 〝きっと、須田が助けてくれる〟って………変な自信があったんだ。 そう思った瞬間、乾いた音が響いて。 俺を辱しめていた男が、俺の体から弾かれるように飛んでいく。 頭はグラグラするくせに、視界は妙にクリアで。 俺は、須田が安心したように顔を崩して笑う姿を確認していた。 その背後に、別なマル暴が現れたのも………。 無我夢中で。 須田と男が取っ組み合ってるのを、止めなきゃって必死で。 俺の後ろでぶっ倒れている男の手から拳銃を取り戻すと、膝の上に左手を固定して………なんの躊躇もなく、引き金をひいた……。 後にも先にも、人を殺したのはあの時だけだ。 打った弾丸は、目印でもついていたかのように、その男の額に命中して。 ………鮮血が舞い散る。 震えが止まらない俺を、傷を負ってキツいのにもかかわらず。 須田は俺を強く、強く、優しく、あったかく………。 抱いて、抱いて………包んでくれたんだ。 「オレと、逃げようか……千陽」 その言葉が、どんなに嬉しかったか………。 人を殺して、警察官としての支えを失った俺を。 輪姦わされて、身も心も無くしてしまった俺を。 須田は………俺に残された、最後のHigh Hope。 その時、今まで叶うことのなかった、唯一叶ったHigh Hopeとなった瞬間だった。 それからの須田の行動は、とてつもなく早かった。 あっさり外国船籍を手配すると、俺を連れて船に乗り込んだ。 途中、支給された警察官の証をダンボールに詰めて、人伝いに返却して。 俺たちは長い時間をかけて、この小さな南の島にたどり着いた。 元々は有名私大卒の須田は、語学も長けていて、あっという間に小さな雑貨店を開業する。 俺はと言うと、店の手伝いで配達をしたり、サーフィンを始めたり。 日本にいる時とは、180度異なる生活をして………。 隠れて生きているはずなのに、かなり充実して生きている。 たまに、母さんのことが心配になるけど……。 ニ課長の鋭い眼差しや、交番長の柳のような物言いも。 全てが、昔のことのようで。 夢の中の出来事、みたいで。 俺は、後悔なんかしていない。 今を、須田と一緒に生きる。 ただ、それだけで………。 俺は、すべての高望みを凌駕するんだ。

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