8 / 14

sunrise 1

※総代→同期の代表。 空が高い。 春だというのに、高く澄み切って。 今日という日にすごく、ふさわしい。 新しい一歩を踏み出す若いコたちの顔は、みんな期待と不安で、キラキラしてて。 体になじんでない、似合わない制服に身を包んでいる。 青い空や若い生命力を肌で感じて。 僕は、〝生きている〟って、感じがするんだ。 「メグム、そろそろ講堂に行くぞ。入校式が始まる」 「うん、わかった」 半田の制服姿が、まだ見慣れない。 小さいからカッコいいけど、かわいいというか....。 そういう僕も、キチンと制服なんて着たの、何年ぶりかな? 制帽も白手袋も、なにもかもがチグハグしてて。 変な気分だ。 僕が制服を着た姿。 シャインが見たがってたな、そういえば。 僕は、今、警察学校の教官をしている。 一時期、病気で死にかけてて、休職してたから。 奇跡的に回復して、週に一回、病院に通院するまでに良好になって、念願の復職が叶ったんだけど。 左腕に透析のシャントがはいったままだと、警察官として組織に迷惑をかけそうで....。 警察官を辞めるか、事務職に切り替えるか。 めちゃめちゃ悩んでた時に、半田が上に掛け合って、人事まで動かしてくれて。 今、〝教官〟として、新人の警察官を育てる仕事についている。 教官なんて、こそばゆい....。 そのとばっちりというか、なんというか。 まさか、半田まで警察学校の教官になっちゃうなんて思わなかった。 「メグム、キツいとこないか?」 この人は、いつも僕に気を使ってくれるから。 ....たまに、いたたまれない。 ....ごめん、半田。 本当は、こんなとこでぬるくすごすより、一線で活躍したかったに違いないのに。 僕のせいだ....。 「ここは、過労もストレスもないし....。 おんなじ組織の一つなのかな?って、たまに疑問になるくらい平穏だよ。 だから、心配しないで半田」 「分かったよ。でも、無理すんな」 今の僕にできる唯一のことは、半田に心配をかけないようにすることだけだ。 僕たちが講堂に入ると、新人の警察官たち...学校生がピシッと座って入校式に備えている。 なつかしいなぁ....僕も緊張してたよな....。 ここはどんな世界なんだろう....楽しいかな?怖いかな?って、ドキドキして座ってたなぁ。 ふと、高卒で入った長期入校の学校生の総代に目が止まる。 ....息が、とまる....かと思った。 あの顔、あの目....体つきまで。 そこに座っているコは、シャインそっくりだ....。 思わず、見入ってしまう....。 なんで? まさか....こんなとこにいるハズない。 だって、シャインは....。 僕の異変に半田が気付いて、僕の肩に手を添える。 ....ハッとした。 「あの長期の総代、そっくりだよな。 あの時の警護対象者のシャインに。俺もビックリしたよ」 「似てるって、もんじゃない....本人みたいだ」 僕は、その学校生に見入ったまま呟いた。 空は、高く澄み切っているのに。 若いコたちが、期待に胸を膨らませてキラキラ輝いてるのに。 僕の心の中はザワザワしてきて....苦しくなってきて....僕一人だけ、暗く沈んでる気がした。 ✴︎ =警察学校寮、長期B号室= 「また、お前と一緒かよ、弘海」 それは、こっちのセリフだよ、稔。 小学校からずっと一緒。 クラスもずっと一緒。 武田って名字まで一緒。 さらに、就職先まで一緒。 さらに付け加えれば、寮の4人部屋も一緒。 そして、個室も隣同士。 嫌がらせとしか、思えない。 「だいたい、なんで警察官とかなっちゃうんだよ!稔は海猿になるんじゃなかったのかよ!」 「なろうと思ったんだよ!なろうとしたんだ!ただ....」 「ただ、何?」 「カナヅチだって、忘れてたんだよ」 「........バッカじゃないの?」 「ま、ということで。よろしく、弘海」 ....何が、よろしくだよ。 なんで10ヶ月も、さらに距離が近くなった状態で暮らさなきゃいけないんだよ。 ....なんだよ....勝手な....なんて、勝手なヤツなんだ。 いつも無自覚に俺を振り回して、無意識にその気にさせて。 でも鈍感だから、俺の気持ちには気付かなくって。 それが苦しくて、耐えられなかったから。 稔と違う就職先を選んで....警察官の採用試験に受かって....ワクワクしながら、警察学校にきたら....。 コイツ、稔が。 のん気に八重歯なんか見せて、ヘラヘラしながら俺に手を振ってきて。 愕然としたんだよ、俺は。 あぁ、先が思いやられる....。 これから10ヶ月。 俺たちは、警察官になるために。 四六時中一緒にいて、たくさんの経験をしていく。 ....10ヶ月。 俺は、この能天気な稔に耐え切れるだろうか? 「早く、風呂入りに行こうぜ!22時までだろ?23時には、点呼があるから。さっさとすまそうぜ、稔」 ほら、やっぱり。 悩んでる俺なんてお構いなしで。 やっぱり、俺を振り回す。 「はぁ....」 キラキラした俺の警察官としての第一歩は、コイツのせいで、前途多難の様相を見せてきた。 ✴︎ =警察学校寮、長期D号室= 早く仲良くなりたくて。 僕は、精一杯の笑顔で声をかけた。 「....よろしく。僕、山口大輝です」 「.................よろしく、木村倫太郎です」 「え!かわいい!リンリンって、呼んでいい?」 「.................いやです」 背が高くて、頭良さそうで、キレイで。 なのに、無表情でとっつきにくい....。 僕の仲良くなるとってもナイスな提案も、けんもほろろに冷たく拒絶してくるし。 寮の部屋が一緒で、隣の個室だから。 仲良くなりたいんだけどなぁ。 なんか、バリアがあるみたいに、阻まれている。 「大輝は、何しにここにきたんですか?」 「え?....警察官になるためです....」 僕より背の高い倫太郎が、だんだん圧を強くして。 僕を壁際に追いやって....。 ードン。 ....僕は、警察官だ。 警察官になった、ハズなんだ。 確かに、小さいし、細いし。 まだ中学生みたいだね、って言われるけど、 ちゃんと、今日、警察官の制服を着たし。 なのに....同じ警察官に壁ドンされてしまった。 そして、圧のあるキレイな顔を僕に近づけてくる。 僕は、思わず身構えた....。 「警察官になるためですよね? 友達ごっこをするためじゃないんです。 大輝。早くお風呂に入らないと、もうすぐ点呼です。こんなことしてたら、初日で教官に怒られてしまいます」 ....ごもっとも、で、ゴサイマス。 でもさ。 そんなにギスギスしてたら、何にも楽しくないじゃない? この時、僕は思ったんだ。 ここですごす10ヶ月の間。 卒業して、警察官になって。 一線署に配属されるまでに。 絶対、仲良くなってやる! 絶対、リンリンって言ってやる! ドキドキして、ドキドキしまくって、心臓が口から出てきそうなくらい、不安な警察学校の1日目。 倫太郎のおかげで、不安なんかどっかいっちゃってさ。 むしろ、楽しくなってきたんだ。 ✴︎ =警察学校寮、長期C号室= 「警察官ってさ、ごっつい人想像してたんだけどさ。警察学校の教官って、みんなスタイル良くって、カッコいいよね」 寮の同じ4人部屋の、隣の個室になった海斗が、俺に恥ずかしそうに言った。 華奢でキレイな顔してて、まさかこのコが、警察官だなんて、言われても全く想像つかない。 今日から俺たちは、10ヶ月間。 ここに住んで、仲間と暮らして。 切磋琢磨して。 立派な警察官になるために、たくさんのことを学ぶ。 今日の入校式ー。 気合いの入った教官の覇気のある声が、講堂いっぱいに響いて。 浮ついた俺の気持ちも引き締まって。 〝よし!頑張るぞ!〟って、心に決めた。 けど、寮に入ると。 今日一日の緊張の糸が切れてしまって....ついつい、みんなでふにゃふにゃしてしまう。 もうすぐ、点呼もあるってのに。 ....そろそろ、ちゃんとしなきゃ。 「昴の班の担当教官って、誰?」 「菊水教官。海斗くらい華奢な、優しそうな教官だよ」 「あぁ、あの人!キレイで目立ったよね」 「海斗の担当教官は?」 「....神園教官」 海斗が、さらに恥ずかしそうに言った。 なんだ、好きなんだな....。 一目惚れってヤツ? 素直すぎ。 確かに目元が涼しげで、スラッとしてて、優しそうで....あんまり警察官って感じがしない。 そういう俺の担当教官も、華奢で、儚げで。 警察官って感じが全くしなくて....。 そして、入校式の間、俺をじっと見つめてた。 ....とても、驚いた顔をして。 あの表情が、気になって、気になって。 式の間中、俺は、ずっとソワソワしていたんだ。 「昴は、術科何とるの?」 「俺は、柔道かな?高校でちょっとやってたし」 「すごいなぁ、じゃあ、もう段位も持ってるの?」 「うん」 「僕、まだ剣道か柔道か迷ってて....」 「海斗は、剣道が似合いそう」 「ホント!?剣道にしようかなぁ....だって....」 「だって、何?」 「神園教官が、剣道の術科師範なんだよ?」 なんだ、背中を押して欲しかっただけなんだ。 なんか、かわいいな。 海斗。 「神園教官と、早く仲良くなれたらいいね」 俺の言葉に、海斗は恥ずかしそうに笑った。 俺は....俺も、菊水教官と、仲良くなりたいな....。 「初任科長期第152期、総員20名、現在員20名。事故なし!番号!」 警察学校に入って、しかも初日で。 総代としての初めての仕事が、コレ。 俺が今までにないくらい、とっても必死になって覚えた点呼の号令。 その号令の後、俺の横に並んでる学校生が、すぐに番号を1人ずつ発していく。 「初任科長期第152期、異常なし!」 そして、覚えたての、初心者まるだしの敬礼をした。 今日の当直教官が、俺にビシッと敬礼を返す。 その姿を見て、少し、ホッとした。 ....よどみなく、ひとまず、言えてよかった....。 「当直教官の仲村です。 初日、ものすごく緊張してると思うけど、今日は早く寝て、明日に備えること。 明日は、朝6時起床。6時5分グランドに集合。 ちなみに体操後、グランド10周を早速走るから、いつまでも学生気分で夜遅くまで、わちゃわちゃしないこと。 あと、明日から君たち学生も当直業務についてもらうから、そのつもりで」 たんたんと、有無を言わさない仲村教官の声が、俺の胸にのしかかる。 ....グランド、10周。 あんなに広いグランドを10周....。 しかも、寝起きで。 多分、みんなの頭の中に恐怖ワードとしてインプットされたハズ。 その恐怖ワードを思わず「グランド10周かよ....」って、口に出したヤツがいた。 あちゃー....ヤバイぞ。 仲村教官が、目線をあげる。 「その声は、僕の担当学生の武田稔巡査だね?そんなに走りたいなら、君だけ明日、プラス10周」 「えーっ!!」 「プラスもう10周」 「.............」 「て、いうことになるので、上官の話を聞くときは、私語をつつしむこと。以上!おやすみなさい」 『おつかれさまでした』 ....インパクトのある、初日の点呼だったな。 きっと一生、忘れない。 でも、俺は、なんかさ。 ワクワクしてきたんだ。 初めての場所で、初めての経験をすることはさ。 緊張して、怖いかもしれない。 泣きたくなるくらい、不安かもしれない。 でもさ、それは今だけで。 こういう経験が、何年かあとになって。 笑って話せるんだって、確信したから。 だから、ワクワクしてるんだ。 ✴︎ 4月の朝は、まだ寒い。 緊張....この俺が、久々に緊張して。 あんまりよく眠れなかったし、起床時間より早く起きてしまったから。 体が冷えてしまって、一刻も早く動きたい。 総代の昴の号令で、みんなで掛け声をあげて、足並みを揃えて。 隊列を崩さず、それでも結構な速さでグランドを走る。 声を出すから、走るのがキツいと思ってたけど。逆に声を出すから、上手く呼吸のリズムが整って、意外と楽にペースを合わせて走ることができた。 横をチラッと見ると、弘海が少し苦しそうな顔をして、懸命に掛け声をあげて走っている。 無理しなきゃ、いいけど。 ガキの頃から、そう。 すぐムキになって、必要以上に頑張って、倒れたりして。 手がかかる、というか、目が離せないというか。 気になって仕方がない。 カナヅチとかなんとか、言い訳してたけど。 海上保安庁を蹴ってまで。 ....俺は、弘海と同じ場所にいたかったんだ。 「ラスト1周ーっ!全力で走れーっ」 仲村教官のハリのある声に、みんな一斉に駆け出す。 10周....みんなは、ラストだけど。 俺はあと20周、走んなきゃ。 ....なのに。 10周走り終わった弘海が、俺について11周目を走ってついてくる。 「おい、何やってんだよ!弘海、お前走んなくていいだろ!」 「稔が寂しいかと思って.....どうせ、寂しくて、泣きながら走るんだろ」 「うっせーな!誰が泣くかよ!っていうか、弘海やめろって!」 「やめない!」 「なんなんだよ!」 ....まるでガキのケンカだ。 ごちゃごちゃ言い争いながら走ってたら、俺たちの前に仲村教官が立ちはだかる。 やべ....また、怒られる....! 「気合いが入ってんのはわかったよ、稔巡査。弘海巡査も友達思いってのは、わかった。今日はもういい。つぎはちゃんと気をつけろよ」 仲村教官は、そう言って俺たちの頭を軽く叩いて笑った。 ....教官って、怖くて、厳しいだけじゃないんだ。 なんていうか、愛情を感じるというか。 俺たちを導くために、常に一所懸命なんだ....。 ナメてたな、俺。 あと....。 ただそばにいたいって、思ってただけの弘海の存在が、こんなにも大きくて愛おしかったんだって。 初めて感じた。 ✴︎ ※特練→全国大会に出場する選ばれた警察官が、特別な訓練をすること。 「美里はもう、ベテランの教官だから、何も心配することなんてないんじゃない?」 人事異動で初めて教官になったメグムが、苦笑いを浮かべて言う。 そんなことはない。 毎年、毎年。 学校生が心配でたまらない。 夢や希望にあふれて警察学校に入ったのに、自分の理想と直面する現実のズレが大きすぎて、ちゃんとした警察官にならないまま、辞めていく学校生を何人も見ている。 そんな学校生を、多く出したくない。 ちゃんと夢を叶えさせてやりたいんだ。 特に今年は、線の細いコが多い気がする。 山口大輝とか....。 僕の担当学校生の........佐川海斗とか。 だいたい、初日の点呼から翌朝のグランド10周までの間に、なにかが切れてつまずくコが多い。 だから僕は、毎年、今朝の学校生の様子が、心配で心配でたまらない。 「今年の長期は、みんな気合いが入っててイイね!駆け足もみんな最後まで、ペースを落とさずに走りきったよ」 仲村の言葉に、僕はホッと胸をなでおろした。 よかった....海斗も大丈夫だったんだ。 ....こんなことは、いつもは思わないんだ。 特定の学校生が気になる、とか。 でも、昨日。 海斗に会ったとき、海斗の恥ずかしそうな笑顔を見て。 僕の心の柔いところに、針がチクチク刺さったみたいになってしまって。 ずっと、ずっと、目で追ってしまうんだ。 いけない....ちゃんと、しなきゃ....。 教官なんだよ、僕は。 「そういえば。メグムは、けん銃特練にいたんだよね?」 「うん。1年間だけだっけど」 「じゃあ、けん銃のプロじゃない。授業、座学からだね。頑張って」 「......だから、焦ってんだよ。 〝人に教える〟ってこんなに難しいことなんて、思わなかったよ。 僕が教えたことが、あのコたちの、これからの警察官としての基礎になってしまうし、責任重大だよ。 ちゃんと教えられるか、理解してもらえるか心配で.....美里、助けて〜」 「大丈夫だよ。メグムは、僕の助けなんていらないよ」 「そんな〜」って、メグムは情けない声を上げて、教養資料に再び目を落とした。 「神園教官!!.....美里!ちょっといい?」 僕は、事務職員の香川に声をかけられた。 「美里の担当学校生の佐川海斗の入校関係書類がまだ出てないんだ。早く出すように言ってもらっていい?」 「わかった、言っとくよ」 よりによって....海斗か....。 その時から、実感はしてたんだ。 僕の心が、乱れはじめてたのを。 僕は多くの学校生から、海斗の姿をすぐに見つけた。 「佐川......海斗巡査」 僕の声は、空間を突き抜けて、いち早く海斗の耳に届いて....。 その声に反応して、ジニョンは振り返って、満面の笑みを僕に向ける。 「はい!神園教官!」 乱れた僕の心は。 いくら誤魔化しても、その笑顔とその声に、クラクラしてしまうんだ。 ✴︎ 緊張の入校式の記憶が、かなり前のことのように思ってしまう。 学校生活もアッと言う間に1週間がすぎて。 色々慣れてきたところに、初めての当直業務がやってきた。 しかも、菊水教官とだなんて。 しかも、しかも、二人きりだなんて。 ドキドキが止まらない。 だってさ。 担当教官の菊水教官は、いつも穏やかに笑って優しい。 この間、俺たちの班が、やらかしてしまった時も。 「失敗は誰にでもあるから。 次、同じことで絶対失敗しないように、今日の失敗を覚えてて。 もし、これが人の命に関わることだったらって、ちょっと想像力を働かせて考えてみてごらん。 どう思う? 君たちは優秀なんだから、分かるよね?」 って、諭すように叱る。 怒鳴られるかと思ってたからさ。 だから、余計、胸に突き刺さる。 こんな警察官もいるんだ....。 だから、俺は。 キレイで、儚げで、穏やかで、それでいて....芯の強い....菊水教官に惹かれてしまう....。 「ベルトの上から帯革つけて。....そう。けん銃入れを....あれ?....岡田昴巡査の制服、小さい?」 菊水教官の一言に、俺は慌てて鏡を見た。 制服の上着は、ジャストサイズだ。 ただ、警察官特有の装備品が、腰回りにごちゃごちゃ引っ付くと、俺の制服は不格好に裾が広がっている。 「制服合わせの時に、1サイズか2サイズか、大きいのを選べって、言われなかった?」 「その時は、大きかったハズなんですけど....」 「....体を動かしてるから、筋肉がついたのかな?装備係に支給品の交換申請をしとくから....しかし、キツそうだね。僕の上着、かなり大き目だから。しばらく僕の上着着てて」 菊水教官は、自分が着ていた制服を脱いで、俺に渡す。 い....いやいやいやいや....。 「だだだいじょうぶです!!」 「いいって。僕、ロッカーにもう一着入ってるから」 そう言って菊水教官は、俺の上着を脱がして、自分の上着を俺の肩にかける。 ....しょうがなく、あくまでも、しょうがなく。 俺はその上着に袖を通した。 甘い、いい香り。 制服からも香る、いい香り....。 菊水教官の香りに触発されてしまって。 俺の心臓が、バクハツするくらい鼓動している....。 「あっ!階級章!!」 菊水教官が、俺の胸あたりに引っ付いている警部補の階級章に手をかけて、はずす。 ....距離が....近い。 キレイに揃ったマツゲとか、白くてなめらかそうな肌とか....。 鮮明に見えて、余計鼓動が激しくなる。 「袖章はどうにもならないから、岡田巡査はしばらく、岡田警部補だね」 菊水教官が、俺を見てにっこり笑う。 その笑顔も、心臓に悪い....。 集中....集中しなくちゃ。 その時、当直中に置いてある無線機から、けたたましいブザーの音が鳴り響いた。 【●●本部から各局。◇◇署管内で強盗事案が発生。場所は◇◇市◎◎町△△。同宅に包丁を持った2人組が侵入。在宅中の被害者から現金を奪って逃走したもよう。なお、被害者の怪我等の状況について詳細は不明。2人組の特徴はいずれも、黒色のニット帽に黒色のジャケット、その他については不明。被害者宅から◎◎駅方向へ逃走中。目撃者からの通報。巡回中の各局は、2人組の捜索にあたられたい。繰り返す。●●....】 リアルに聞いた、こんなの....。 事件の第一報を知らせる、無線。 この指令で、全ての警察官が動くんだ。 臨場感がハンパなくって....俺は背筋が寒くなる。 「無線聞いたの、初めて?」 菊水教官が、俺の顔を覗きこんで聞く。 「はい....なんか、あんまり実感ないけど。ビックリしちゃって」 「岡田巡査がここを卒業して、一線署に配属になったら、毎日こんな感じだよ。 ....ひょっとして、今のでビビって、もう、イヤになっちゃった?警察官?」 「そ、そんなんじゃありません!!ビックリしただけです!!」 「あはは、冗談だよ、冗談」 かわいい笑顔でひとしきり笑った菊水教官が、フッと真顔になる。 「岡田巡査は、真っ直ぐだから....心配だな....。 こんな事案に遭遇したら、一人で解決しようとしそうで....。 僕たちには、ちゃんと仲間がいるんだから、一人で抱え込まずに、仲間と一緒に解決しろよ」 そう言って、俺の頭を軽く撫でた。 菊水教官のその顔が、その顔が、あまりにも切なく見えて....。 ....俺の先の方に、別の誰かを見てる感じがした。 誰を見てるの? ちゃんと俺を見てほしい....。 俺は....菊水教官が、好きなのに。 心が苦しくなってしまう....。 ✴︎ いくら他人の空似とはいえ、似すぎているから。 岡田昴のことが、心配でしょうがない。 シャインと重ねてしまっているのかも....。 その髪に触れたくて、その顔に触れたくて、どうしようもなくなってしまう。 真剣な顔も、驚いた顔も。 僕の制服を着て、恥ずかしそうに笑う顔も。 何もかも。 シャインに会いたくて仕方がない時に、こんなコに出会ってしまうなんて....。 神様は、イジワルだ。 僕に、〝生きろ〟って言ってみたり。 こんな〝イタズラ〟をしかけてみたり。 僕は、神様に試されてるのかな....。 「そろそろ前半当務か....僕は、仮眠に入るけど。岡田巡査、しばらく1人で大丈夫?」 「はい!大丈夫です!」 このテンション....初の当直で張り切ってるのは分かるけど....最後まで、ちゃんともつんだろうか? こんな些細なことでさえ、心配になってしまう。 「....たまに顔出すから、さっき指示したことちゃんとやっててね」 「はい!分かりました。菊水教官、おつかれさまでした!」 そう言ってニコニコ笑う昴の笑顔が、本当にシャインにそっくりで....いたたまれない。 昴は昴だ....シャインじゃない。 こんなことを考えてたら、昴にも失礼だ。 しっかり、しなきゃ....。 僕は、教官なんだ....岡田昴の教官なんだ。 ✴︎ 「岡田巡査、おつかれさま。何か変わったこととかなかった?」 その凛とした声に振り向くと、俺の心臓がまた激しく鼓動し出す。 いつもは前髪を上げて、おでこを出してクールな菊水教官が、前髪をおろしてラフな感じになっているから....いつもはキレイなのに、一気に幼く見えて....。 教官に対してかなり失礼だけど....かなり、かわいい。 制服のシャツは、上三つのボタンはかけてなくて、胸元のホクロが見えるし。 ネクタイは首にかけてるだけだから、華奢な身体が余計強調されて....目のやり場に困る。 さらにシャワーを浴びて、教官から漂う石鹸の香りが、俺を刺激する。 「はい、異常はありません.....こんなこと言うと、失礼かもしれませんけど。 菊水教官は、前髪をおろすとかなり若く見えますね」 「あはは、そう?初めて言われたよ」 軽く笑った菊水教官が、俺から目を逸らして恥ずかしそうな顔をする。 何もかもが、俺を刺激してしまって....。 自分で言うのもなんなんだけど。 いつもは理性的だし、冷静だし。 衝動に駆られることなんて、滅多にない。 だけど、教官を見てると、色々乱されて....抑えられなくなってしまう。 こんなこと....今まで生きてきて....初めてだ。 好きすぎて、触れたくて、抱きしめたくて、たまらない....。 思わず、体が動いた。 教官の体を引き寄せて....強く抱きしめる....。 甘い香りと石鹸の香り....制服ごしの華奢な身体の体温が....俺をエスカレートさせる。 と、同時に。 〝この人、教官なんだ....〟 って、思ってしまった。 でも、もう、後には引けない。 「ちょっ....ちょっと....離せって!....岡田巡査!」 俺の腕の中で、華奢な菊水教官が必死に暴れてる。 心なしか、左腕を庇ってる感じがしたけど、暴れる教官が煩わしくて。 俺はシャツのはだけたところを両手で掴むと、足の間に右足を入れて、体落としの要領で、軽くその身体を押す。 菊水教官の身体がグラついて、後ろにあった机にぶつかり、ちょうど腰掛けるような体制になってしまった。 その体制のまま、俺は、シャツを引き寄せ....唇を重ねる....。 抵抗して俺の肩口を押す細い右手、抗う唇。 俺は、教官の後髪を右手で掴んで頭を押さえて、左腕で華奢な身体をキツく抱き寄せる....。 教官の口の中から甘い香りがして、たまらず舌を深く絡ませた。 むさぼるように、ってこういうことなのかな....。 俺の腕の中の人を離したくない、ずっと甘い香りのする唇を奪っていたい。 「....ん」 菊水教官が苦しそうに、声を上げる。 そんな声ださないで....もっと、もっと、聴きたくなっちゃう....。 息が上がって唇を離すと....教官は今にも、泣きそうな顔をして、俺を睨む。 「....んだよ....なんで、何もかも....キスまでそっくりだなんて..........僕は、狂ってしまいそうだ....」 誰?誰のこと? 誰と俺を重ねてる? 俺が、菊水教官を苦しめてる? ....じゃあ、その人を忘れさせたらいい? 「菊水教官....俺と重ねてるその人....どうやったら、その人のことを忘れてくれますか?」 「....そんなの無理だ....岡田.....昴には、できないよ」 その一言に、俺はタガが外れてしまったんだ。 もう一度強引に唇を奪うと、机の上に教官を押し倒して、覆いかぶさる。 「や!やめ....やめろって!....や」 左手は机の端を握りしめて....相変わらず右手だけで抵抗してくるから、俺に敵うはずもない。 大きくはだけた制服のシャツの、残りのボタンをはずす。 その滑らかな手触りの身体をなぞって.....視線をその身体に落として.....びっくりした。 菊水....教官の肩口とか下腹部とか、丸い小さな青アザが無数にあって、見ていて痛々しい....。 これ、あれだ....糖尿病のインスリン注射の跡だ....。 左腕を庇うのも納得がいった。 この人は、透析もしてるんだ....。 「だから.....やめろって、言ったんだ....」 息を切らして、肩で大きく呼吸をしながら、教官が僕から目を逸らさずに言った。 「今なら、忘れてやるから....もう、やめろって」 「....どうして?どうして、そんなこと言うんですか? こんな病気のことなんか、気にならない。 俺はこんなに真剣なのに。 悪ふざけでしてるんじゃない。 俺は....俺は、あなたが....教官が好きだ。 今はあなたの1番じゃないけど、菊水教官の忘れられない人を超える自身がある....絶対に超える! だから、もう、やめろなんて言わないでください!」 そう啖呵を切ったから、その後は無我夢中だった。 抵抗する右手を押さえつけて、胸や青アザの場所を舌で刺激しながら、旭日章のついたベルトを外して、教官の中心を指でなぞる。 俺が舐めるたびに、なぞって先に触れるたびに、菊水教官は、身体をビクつかせた。 「や....め....んぁ.....」 身体をしならせて、感じてるように声を上げて、口では「やめろ」とか言ってるクセに、全身で感じて身体をよじらせて....。 教官なのに....やらしい....。 もう、我慢できない....。 勢い....勢いで、菊水教官の中に入れて、激しく揺さぶる。 そして、俺は、教官の耳元に口を近づけて囁いた。 「絶対、教官を振り向かせるから.....」 「....ん....あ.....やれる....もんなら......やってみろ.......ん....」 感じながらも、強気な菊水教官の言葉に、また、火がついてしまって....より一層、教官の中をかき乱してしまった。 ✴︎ 思わず、「シャイン」って言ってしまいそうになってしまった。 強引なところも、僕に対して真っ直ぐなところも、何もかも....。 僕が似てるって、感じてるだけかもしれないけど、シャインじゃないのに....シャインがそばにいるみたいで。 その体温とか愛撫とかに、酔いしれてしまったんだ。 ....昴。 君は、シャインには敵わないんだよ。 でも、「絶対振り向かせるから」って、そう言って挑んでくるとこに、妙に心が揺さぶられてしまって....昴を愛おしく感じる自分がいた。 僕、狂ってしまったのかな....。 「おい、岡田巡査。そろそろ起きろ。みんなが起きてくるぞ」 僕の一言で、昴は勢いよく飛び起きた。 目を開けようとしているけど、なかなか開かなくて。 その姿が、眠くて眠くて仕方がない大きな犬みたいに見えてしまって、思わず笑ってしまった。 「....おはようございます。....菊水教官、俺....」 昴が、心配そうな顔をして俺を見る。 なんだよ、昨夜の勢いはどこいったんだよ。 「早くシャワー浴びてこいよ。当直業務はまだ終わってないんだよ」 「あの....俺....」 「なんだよ。僕のことを振り向かせるんだろ? だったら、勉強も術科も必死で頑張れよ。 僕が惹かれるくらい魅力的なヤツになれよ。 そうしたら、僕も振り向くかもしれない....わかった?岡田巡査」 僕の言葉に。 昴の顔が、キラキラしだして。 満面の笑みを浮かべる。 「いいましたからね!絶対ですからね! 俺頑張って、首席で卒業しますから!! 忘れないでくださいよ!菊水教官」 そう、そのいきだ。 やれるもんなら、やってみろ。

ともだちにシェアしよう!