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sunrise 1
※総代→同期の代表。
空が高い。
春だというのに、高く澄み切って。
今日という日にすごく、ふさわしい。
新しい一歩を踏み出す若いコたちの顔は、みんな期待と不安で、キラキラしてて。
体になじんでない、似合わない制服に身を包んでいる。
青い空や若い生命力を肌で感じて。
僕は、〝生きている〟って、感じがするんだ。
「メグム、そろそろ講堂に行くぞ。入校式が始まる」
「うん、わかった」
半田の制服姿が、まだ見慣れない。
小さいからカッコいいけど、かわいいというか....。
そういう僕も、キチンと制服なんて着たの、何年ぶりかな?
制帽も白手袋も、なにもかもがチグハグしてて。
変な気分だ。
僕が制服を着た姿。
シャインが見たがってたな、そういえば。
僕は、今、警察学校の教官をしている。
一時期、病気で死にかけてて、休職してたから。
奇跡的に回復して、週に一回、病院に通院するまでに良好になって、念願の復職が叶ったんだけど。
左腕に透析のシャントがはいったままだと、警察官として組織に迷惑をかけそうで....。
警察官を辞めるか、事務職に切り替えるか。
めちゃめちゃ悩んでた時に、半田が上に掛け合って、人事まで動かしてくれて。
今、〝教官〟として、新人の警察官を育てる仕事についている。
教官なんて、こそばゆい....。
そのとばっちりというか、なんというか。
まさか、半田まで警察学校の教官になっちゃうなんて思わなかった。
「メグム、キツいとこないか?」
この人は、いつも僕に気を使ってくれるから。
....たまに、いたたまれない。
....ごめん、半田。
本当は、こんなとこでぬるくすごすより、一線で活躍したかったに違いないのに。
僕のせいだ....。
「ここは、過労もストレスもないし....。
おんなじ組織の一つなのかな?って、たまに疑問になるくらい平穏だよ。
だから、心配しないで半田」
「分かったよ。でも、無理すんな」
今の僕にできる唯一のことは、半田に心配をかけないようにすることだけだ。
僕たちが講堂に入ると、新人の警察官たち...学校生がピシッと座って入校式に備えている。
なつかしいなぁ....僕も緊張してたよな....。
ここはどんな世界なんだろう....楽しいかな?怖いかな?って、ドキドキして座ってたなぁ。
ふと、高卒で入った長期入校の学校生の総代に目が止まる。
....息が、とまる....かと思った。
あの顔、あの目....体つきまで。
そこに座っているコは、シャインそっくりだ....。
思わず、見入ってしまう....。
なんで?
まさか....こんなとこにいるハズない。
だって、シャインは....。
僕の異変に半田が気付いて、僕の肩に手を添える。
....ハッとした。
「あの長期の総代、そっくりだよな。
あの時の警護対象者のシャインに。俺もビックリしたよ」
「似てるって、もんじゃない....本人みたいだ」
僕は、その学校生に見入ったまま呟いた。
空は、高く澄み切っているのに。
若いコたちが、期待に胸を膨らませてキラキラ輝いてるのに。
僕の心の中はザワザワしてきて....苦しくなってきて....僕一人だけ、暗く沈んでる気がした。
✴︎
=警察学校寮、長期B号室=
「また、お前と一緒かよ、弘海」
それは、こっちのセリフだよ、稔。
小学校からずっと一緒。
クラスもずっと一緒。
武田って名字まで一緒。
さらに、就職先まで一緒。
さらに付け加えれば、寮の4人部屋も一緒。
そして、個室も隣同士。
嫌がらせとしか、思えない。
「だいたい、なんで警察官とかなっちゃうんだよ!稔は海猿になるんじゃなかったのかよ!」
「なろうと思ったんだよ!なろうとしたんだ!ただ....」
「ただ、何?」
「カナヅチだって、忘れてたんだよ」
「........バッカじゃないの?」
「ま、ということで。よろしく、弘海」
....何が、よろしくだよ。
なんで10ヶ月も、さらに距離が近くなった状態で暮らさなきゃいけないんだよ。
....なんだよ....勝手な....なんて、勝手なヤツなんだ。
いつも無自覚に俺を振り回して、無意識にその気にさせて。
でも鈍感だから、俺の気持ちには気付かなくって。
それが苦しくて、耐えられなかったから。
稔と違う就職先を選んで....警察官の採用試験に受かって....ワクワクしながら、警察学校にきたら....。
コイツ、稔が。
のん気に八重歯なんか見せて、ヘラヘラしながら俺に手を振ってきて。
愕然としたんだよ、俺は。
あぁ、先が思いやられる....。
これから10ヶ月。
俺たちは、警察官になるために。
四六時中一緒にいて、たくさんの経験をしていく。
....10ヶ月。
俺は、この能天気な稔に耐え切れるだろうか?
「早く、風呂入りに行こうぜ!22時までだろ?23時には、点呼があるから。さっさとすまそうぜ、稔」
ほら、やっぱり。
悩んでる俺なんてお構いなしで。
やっぱり、俺を振り回す。
「はぁ....」
キラキラした俺の警察官としての第一歩は、コイツのせいで、前途多難の様相を見せてきた。
✴︎
=警察学校寮、長期D号室=
早く仲良くなりたくて。
僕は、精一杯の笑顔で声をかけた。
「....よろしく。僕、山口大輝です」
「.................よろしく、木村倫太郎です」
「え!かわいい!リンリンって、呼んでいい?」
「.................いやです」
背が高くて、頭良さそうで、キレイで。
なのに、無表情でとっつきにくい....。
僕の仲良くなるとってもナイスな提案も、けんもほろろに冷たく拒絶してくるし。
寮の部屋が一緒で、隣の個室だから。
仲良くなりたいんだけどなぁ。
なんか、バリアがあるみたいに、阻まれている。
「大輝は、何しにここにきたんですか?」
「え?....警察官になるためです....」
僕より背の高い倫太郎が、だんだん圧を強くして。
僕を壁際に追いやって....。
ードン。
....僕は、警察官だ。
警察官になった、ハズなんだ。
確かに、小さいし、細いし。
まだ中学生みたいだね、って言われるけど、
ちゃんと、今日、警察官の制服を着たし。
なのに....同じ警察官に壁ドンされてしまった。
そして、圧のあるキレイな顔を僕に近づけてくる。
僕は、思わず身構えた....。
「警察官になるためですよね?
友達ごっこをするためじゃないんです。
大輝。早くお風呂に入らないと、もうすぐ点呼です。こんなことしてたら、初日で教官に怒られてしまいます」
....ごもっとも、で、ゴサイマス。
でもさ。
そんなにギスギスしてたら、何にも楽しくないじゃない?
この時、僕は思ったんだ。
ここですごす10ヶ月の間。
卒業して、警察官になって。
一線署に配属されるまでに。
絶対、仲良くなってやる!
絶対、リンリンって言ってやる!
ドキドキして、ドキドキしまくって、心臓が口から出てきそうなくらい、不安な警察学校の1日目。
倫太郎のおかげで、不安なんかどっかいっちゃってさ。
むしろ、楽しくなってきたんだ。
✴︎
=警察学校寮、長期C号室=
「警察官ってさ、ごっつい人想像してたんだけどさ。警察学校の教官って、みんなスタイル良くって、カッコいいよね」
寮の同じ4人部屋の、隣の個室になった海斗が、俺に恥ずかしそうに言った。
華奢でキレイな顔してて、まさかこのコが、警察官だなんて、言われても全く想像つかない。
今日から俺たちは、10ヶ月間。
ここに住んで、仲間と暮らして。
切磋琢磨して。
立派な警察官になるために、たくさんのことを学ぶ。
今日の入校式ー。
気合いの入った教官の覇気のある声が、講堂いっぱいに響いて。
浮ついた俺の気持ちも引き締まって。
〝よし!頑張るぞ!〟って、心に決めた。
けど、寮に入ると。
今日一日の緊張の糸が切れてしまって....ついつい、みんなでふにゃふにゃしてしまう。
もうすぐ、点呼もあるってのに。
....そろそろ、ちゃんとしなきゃ。
「昴の班の担当教官って、誰?」
「菊水教官。海斗くらい華奢な、優しそうな教官だよ」
「あぁ、あの人!キレイで目立ったよね」
「海斗の担当教官は?」
「....神園教官」
海斗が、さらに恥ずかしそうに言った。
なんだ、好きなんだな....。
一目惚れってヤツ?
素直すぎ。
確かに目元が涼しげで、スラッとしてて、優しそうで....あんまり警察官って感じがしない。
そういう俺の担当教官も、華奢で、儚げで。
警察官って感じが全くしなくて....。
そして、入校式の間、俺をじっと見つめてた。
....とても、驚いた顔をして。
あの表情が、気になって、気になって。
式の間中、俺は、ずっとソワソワしていたんだ。
「昴は、術科何とるの?」
「俺は、柔道かな?高校でちょっとやってたし」
「すごいなぁ、じゃあ、もう段位も持ってるの?」
「うん」
「僕、まだ剣道か柔道か迷ってて....」
「海斗は、剣道が似合いそう」
「ホント!?剣道にしようかなぁ....だって....」
「だって、何?」
「神園教官が、剣道の術科師範なんだよ?」
なんだ、背中を押して欲しかっただけなんだ。
なんか、かわいいな。
海斗。
「神園教官と、早く仲良くなれたらいいね」
俺の言葉に、海斗は恥ずかしそうに笑った。
俺は....俺も、菊水教官と、仲良くなりたいな....。
「初任科長期第152期、総員20名、現在員20名。事故なし!番号!」
警察学校に入って、しかも初日で。
総代としての初めての仕事が、コレ。
俺が今までにないくらい、とっても必死になって覚えた点呼の号令。
その号令の後、俺の横に並んでる学校生が、すぐに番号を1人ずつ発していく。
「初任科長期第152期、異常なし!」
そして、覚えたての、初心者まるだしの敬礼をした。
今日の当直教官が、俺にビシッと敬礼を返す。
その姿を見て、少し、ホッとした。
....よどみなく、ひとまず、言えてよかった....。
「当直教官の仲村です。
初日、ものすごく緊張してると思うけど、今日は早く寝て、明日に備えること。
明日は、朝6時起床。6時5分グランドに集合。
ちなみに体操後、グランド10周を早速走るから、いつまでも学生気分で夜遅くまで、わちゃわちゃしないこと。
あと、明日から君たち学生も当直業務についてもらうから、そのつもりで」
たんたんと、有無を言わさない仲村教官の声が、俺の胸にのしかかる。
....グランド、10周。
あんなに広いグランドを10周....。
しかも、寝起きで。
多分、みんなの頭の中に恐怖ワードとしてインプットされたハズ。
その恐怖ワードを思わず「グランド10周かよ....」って、口に出したヤツがいた。
あちゃー....ヤバイぞ。
仲村教官が、目線をあげる。
「その声は、僕の担当学生の武田稔巡査だね?そんなに走りたいなら、君だけ明日、プラス10周」
「えーっ!!」
「プラスもう10周」
「.............」
「て、いうことになるので、上官の話を聞くときは、私語をつつしむこと。以上!おやすみなさい」
『おつかれさまでした』
....インパクトのある、初日の点呼だったな。
きっと一生、忘れない。
でも、俺は、なんかさ。
ワクワクしてきたんだ。
初めての場所で、初めての経験をすることはさ。
緊張して、怖いかもしれない。
泣きたくなるくらい、不安かもしれない。
でもさ、それは今だけで。
こういう経験が、何年かあとになって。
笑って話せるんだって、確信したから。
だから、ワクワクしてるんだ。
✴︎
4月の朝は、まだ寒い。
緊張....この俺が、久々に緊張して。
あんまりよく眠れなかったし、起床時間より早く起きてしまったから。
体が冷えてしまって、一刻も早く動きたい。
総代の昴の号令で、みんなで掛け声をあげて、足並みを揃えて。
隊列を崩さず、それでも結構な速さでグランドを走る。
声を出すから、走るのがキツいと思ってたけど。逆に声を出すから、上手く呼吸のリズムが整って、意外と楽にペースを合わせて走ることができた。
横をチラッと見ると、弘海が少し苦しそうな顔をして、懸命に掛け声をあげて走っている。
無理しなきゃ、いいけど。
ガキの頃から、そう。
すぐムキになって、必要以上に頑張って、倒れたりして。
手がかかる、というか、目が離せないというか。
気になって仕方がない。
カナヅチとかなんとか、言い訳してたけど。
海上保安庁を蹴ってまで。
....俺は、弘海と同じ場所にいたかったんだ。
「ラスト1周ーっ!全力で走れーっ」
仲村教官のハリのある声に、みんな一斉に駆け出す。
10周....みんなは、ラストだけど。
俺はあと20周、走んなきゃ。
....なのに。
10周走り終わった弘海が、俺について11周目を走ってついてくる。
「おい、何やってんだよ!弘海、お前走んなくていいだろ!」
「稔が寂しいかと思って.....どうせ、寂しくて、泣きながら走るんだろ」
「うっせーな!誰が泣くかよ!っていうか、弘海やめろって!」
「やめない!」
「なんなんだよ!」
....まるでガキのケンカだ。
ごちゃごちゃ言い争いながら走ってたら、俺たちの前に仲村教官が立ちはだかる。
やべ....また、怒られる....!
「気合いが入ってんのはわかったよ、稔巡査。弘海巡査も友達思いってのは、わかった。今日はもういい。つぎはちゃんと気をつけろよ」
仲村教官は、そう言って俺たちの頭を軽く叩いて笑った。
....教官って、怖くて、厳しいだけじゃないんだ。
なんていうか、愛情を感じるというか。
俺たちを導くために、常に一所懸命なんだ....。
ナメてたな、俺。
あと....。
ただそばにいたいって、思ってただけの弘海の存在が、こんなにも大きくて愛おしかったんだって。
初めて感じた。
✴︎
※特練→全国大会に出場する選ばれた警察官が、特別な訓練をすること。
「美里はもう、ベテランの教官だから、何も心配することなんてないんじゃない?」
人事異動で初めて教官になったメグムが、苦笑いを浮かべて言う。
そんなことはない。
毎年、毎年。
学校生が心配でたまらない。
夢や希望にあふれて警察学校に入ったのに、自分の理想と直面する現実のズレが大きすぎて、ちゃんとした警察官にならないまま、辞めていく学校生を何人も見ている。
そんな学校生を、多く出したくない。
ちゃんと夢を叶えさせてやりたいんだ。
特に今年は、線の細いコが多い気がする。
山口大輝とか....。
僕の担当学校生の........佐川海斗とか。
だいたい、初日の点呼から翌朝のグランド10周までの間に、なにかが切れてつまずくコが多い。
だから僕は、毎年、今朝の学校生の様子が、心配で心配でたまらない。
「今年の長期は、みんな気合いが入っててイイね!駆け足もみんな最後まで、ペースを落とさずに走りきったよ」
仲村の言葉に、僕はホッと胸をなでおろした。
よかった....海斗も大丈夫だったんだ。
....こんなことは、いつもは思わないんだ。
特定の学校生が気になる、とか。
でも、昨日。
海斗に会ったとき、海斗の恥ずかしそうな笑顔を見て。
僕の心の柔いところに、針がチクチク刺さったみたいになってしまって。
ずっと、ずっと、目で追ってしまうんだ。
いけない....ちゃんと、しなきゃ....。
教官なんだよ、僕は。
「そういえば。メグムは、けん銃特練にいたんだよね?」
「うん。1年間だけだっけど」
「じゃあ、けん銃のプロじゃない。授業、座学からだね。頑張って」
「......だから、焦ってんだよ。
〝人に教える〟ってこんなに難しいことなんて、思わなかったよ。
僕が教えたことが、あのコたちの、これからの警察官としての基礎になってしまうし、責任重大だよ。
ちゃんと教えられるか、理解してもらえるか心配で.....美里、助けて〜」
「大丈夫だよ。メグムは、僕の助けなんていらないよ」
「そんな〜」って、メグムは情けない声を上げて、教養資料に再び目を落とした。
「神園教官!!.....美里!ちょっといい?」
僕は、事務職員の香川に声をかけられた。
「美里の担当学校生の佐川海斗の入校関係書類がまだ出てないんだ。早く出すように言ってもらっていい?」
「わかった、言っとくよ」
よりによって....海斗か....。
その時から、実感はしてたんだ。
僕の心が、乱れはじめてたのを。
僕は多くの学校生から、海斗の姿をすぐに見つけた。
「佐川......海斗巡査」
僕の声は、空間を突き抜けて、いち早く海斗の耳に届いて....。
その声に反応して、ジニョンは振り返って、満面の笑みを僕に向ける。
「はい!神園教官!」
乱れた僕の心は。
いくら誤魔化しても、その笑顔とその声に、クラクラしてしまうんだ。
✴︎
緊張の入校式の記憶が、かなり前のことのように思ってしまう。
学校生活もアッと言う間に1週間がすぎて。
色々慣れてきたところに、初めての当直業務がやってきた。
しかも、菊水教官とだなんて。
しかも、しかも、二人きりだなんて。
ドキドキが止まらない。
だってさ。
担当教官の菊水教官は、いつも穏やかに笑って優しい。
この間、俺たちの班が、やらかしてしまった時も。
「失敗は誰にでもあるから。
次、同じことで絶対失敗しないように、今日の失敗を覚えてて。
もし、これが人の命に関わることだったらって、ちょっと想像力を働かせて考えてみてごらん。
どう思う?
君たちは優秀なんだから、分かるよね?」
って、諭すように叱る。
怒鳴られるかと思ってたからさ。
だから、余計、胸に突き刺さる。
こんな警察官もいるんだ....。
だから、俺は。
キレイで、儚げで、穏やかで、それでいて....芯の強い....菊水教官に惹かれてしまう....。
「ベルトの上から帯革つけて。....そう。けん銃入れを....あれ?....岡田昴巡査の制服、小さい?」
菊水教官の一言に、俺は慌てて鏡を見た。
制服の上着は、ジャストサイズだ。
ただ、警察官特有の装備品が、腰回りにごちゃごちゃ引っ付くと、俺の制服は不格好に裾が広がっている。
「制服合わせの時に、1サイズか2サイズか、大きいのを選べって、言われなかった?」
「その時は、大きかったハズなんですけど....」
「....体を動かしてるから、筋肉がついたのかな?装備係に支給品の交換申請をしとくから....しかし、キツそうだね。僕の上着、かなり大き目だから。しばらく僕の上着着てて」
菊水教官は、自分が着ていた制服を脱いで、俺に渡す。
い....いやいやいやいや....。
「だだだいじょうぶです!!」
「いいって。僕、ロッカーにもう一着入ってるから」
そう言って菊水教官は、俺の上着を脱がして、自分の上着を俺の肩にかける。
....しょうがなく、あくまでも、しょうがなく。
俺はその上着に袖を通した。
甘い、いい香り。
制服からも香る、いい香り....。
菊水教官の香りに触発されてしまって。
俺の心臓が、バクハツするくらい鼓動している....。
「あっ!階級章!!」
菊水教官が、俺の胸あたりに引っ付いている警部補の階級章に手をかけて、はずす。
....距離が....近い。
キレイに揃ったマツゲとか、白くてなめらかそうな肌とか....。
鮮明に見えて、余計鼓動が激しくなる。
「袖章はどうにもならないから、岡田巡査はしばらく、岡田警部補だね」
菊水教官が、俺を見てにっこり笑う。
その笑顔も、心臓に悪い....。
集中....集中しなくちゃ。
その時、当直中に置いてある無線機から、けたたましいブザーの音が鳴り響いた。
【●●本部から各局。◇◇署管内で強盗事案が発生。場所は◇◇市◎◎町△△。同宅に包丁を持った2人組が侵入。在宅中の被害者から現金を奪って逃走したもよう。なお、被害者の怪我等の状況について詳細は不明。2人組の特徴はいずれも、黒色のニット帽に黒色のジャケット、その他については不明。被害者宅から◎◎駅方向へ逃走中。目撃者からの通報。巡回中の各局は、2人組の捜索にあたられたい。繰り返す。●●....】
リアルに聞いた、こんなの....。
事件の第一報を知らせる、無線。
この指令で、全ての警察官が動くんだ。
臨場感がハンパなくって....俺は背筋が寒くなる。
「無線聞いたの、初めて?」
菊水教官が、俺の顔を覗きこんで聞く。
「はい....なんか、あんまり実感ないけど。ビックリしちゃって」
「岡田巡査がここを卒業して、一線署に配属になったら、毎日こんな感じだよ。
....ひょっとして、今のでビビって、もう、イヤになっちゃった?警察官?」
「そ、そんなんじゃありません!!ビックリしただけです!!」
「あはは、冗談だよ、冗談」
かわいい笑顔でひとしきり笑った菊水教官が、フッと真顔になる。
「岡田巡査は、真っ直ぐだから....心配だな....。
こんな事案に遭遇したら、一人で解決しようとしそうで....。
僕たちには、ちゃんと仲間がいるんだから、一人で抱え込まずに、仲間と一緒に解決しろよ」
そう言って、俺の頭を軽く撫でた。
菊水教官のその顔が、その顔が、あまりにも切なく見えて....。
....俺の先の方に、別の誰かを見てる感じがした。
誰を見てるの?
ちゃんと俺を見てほしい....。
俺は....菊水教官が、好きなのに。
心が苦しくなってしまう....。
✴︎
いくら他人の空似とはいえ、似すぎているから。
岡田昴のことが、心配でしょうがない。
シャインと重ねてしまっているのかも....。
その髪に触れたくて、その顔に触れたくて、どうしようもなくなってしまう。
真剣な顔も、驚いた顔も。
僕の制服を着て、恥ずかしそうに笑う顔も。
何もかも。
シャインに会いたくて仕方がない時に、こんなコに出会ってしまうなんて....。
神様は、イジワルだ。
僕に、〝生きろ〟って言ってみたり。
こんな〝イタズラ〟をしかけてみたり。
僕は、神様に試されてるのかな....。
「そろそろ前半当務か....僕は、仮眠に入るけど。岡田巡査、しばらく1人で大丈夫?」
「はい!大丈夫です!」
このテンション....初の当直で張り切ってるのは分かるけど....最後まで、ちゃんともつんだろうか?
こんな些細なことでさえ、心配になってしまう。
「....たまに顔出すから、さっき指示したことちゃんとやっててね」
「はい!分かりました。菊水教官、おつかれさまでした!」
そう言ってニコニコ笑う昴の笑顔が、本当にシャインにそっくりで....いたたまれない。
昴は昴だ....シャインじゃない。
こんなことを考えてたら、昴にも失礼だ。
しっかり、しなきゃ....。
僕は、教官なんだ....岡田昴の教官なんだ。
✴︎
「岡田巡査、おつかれさま。何か変わったこととかなかった?」
その凛とした声に振り向くと、俺の心臓がまた激しく鼓動し出す。
いつもは前髪を上げて、おでこを出してクールな菊水教官が、前髪をおろしてラフな感じになっているから....いつもはキレイなのに、一気に幼く見えて....。
教官に対してかなり失礼だけど....かなり、かわいい。
制服のシャツは、上三つのボタンはかけてなくて、胸元のホクロが見えるし。
ネクタイは首にかけてるだけだから、華奢な身体が余計強調されて....目のやり場に困る。
さらにシャワーを浴びて、教官から漂う石鹸の香りが、俺を刺激する。
「はい、異常はありません.....こんなこと言うと、失礼かもしれませんけど。
菊水教官は、前髪をおろすとかなり若く見えますね」
「あはは、そう?初めて言われたよ」
軽く笑った菊水教官が、俺から目を逸らして恥ずかしそうな顔をする。
何もかもが、俺を刺激してしまって....。
自分で言うのもなんなんだけど。
いつもは理性的だし、冷静だし。
衝動に駆られることなんて、滅多にない。
だけど、教官を見てると、色々乱されて....抑えられなくなってしまう。
こんなこと....今まで生きてきて....初めてだ。
好きすぎて、触れたくて、抱きしめたくて、たまらない....。
思わず、体が動いた。
教官の体を引き寄せて....強く抱きしめる....。
甘い香りと石鹸の香り....制服ごしの華奢な身体の体温が....俺をエスカレートさせる。
と、同時に。
〝この人、教官なんだ....〟
って、思ってしまった。
でも、もう、後には引けない。
「ちょっ....ちょっと....離せって!....岡田巡査!」
俺の腕の中で、華奢な菊水教官が必死に暴れてる。
心なしか、左腕を庇ってる感じがしたけど、暴れる教官が煩わしくて。
俺はシャツのはだけたところを両手で掴むと、足の間に右足を入れて、体落としの要領で、軽くその身体を押す。
菊水教官の身体がグラついて、後ろにあった机にぶつかり、ちょうど腰掛けるような体制になってしまった。
その体制のまま、俺は、シャツを引き寄せ....唇を重ねる....。
抵抗して俺の肩口を押す細い右手、抗う唇。
俺は、教官の後髪を右手で掴んで頭を押さえて、左腕で華奢な身体をキツく抱き寄せる....。
教官の口の中から甘い香りがして、たまらず舌を深く絡ませた。
むさぼるように、ってこういうことなのかな....。
俺の腕の中の人を離したくない、ずっと甘い香りのする唇を奪っていたい。
「....ん」
菊水教官が苦しそうに、声を上げる。
そんな声ださないで....もっと、もっと、聴きたくなっちゃう....。
息が上がって唇を離すと....教官は今にも、泣きそうな顔をして、俺を睨む。
「....んだよ....なんで、何もかも....キスまでそっくりだなんて..........僕は、狂ってしまいそうだ....」
誰?誰のこと?
誰と俺を重ねてる?
俺が、菊水教官を苦しめてる?
....じゃあ、その人を忘れさせたらいい?
「菊水教官....俺と重ねてるその人....どうやったら、その人のことを忘れてくれますか?」
「....そんなの無理だ....岡田.....昴には、できないよ」
その一言に、俺はタガが外れてしまったんだ。
もう一度強引に唇を奪うと、机の上に教官を押し倒して、覆いかぶさる。
「や!やめ....やめろって!....や」
左手は机の端を握りしめて....相変わらず右手だけで抵抗してくるから、俺に敵うはずもない。
大きくはだけた制服のシャツの、残りのボタンをはずす。
その滑らかな手触りの身体をなぞって.....視線をその身体に落として.....びっくりした。
菊水....教官の肩口とか下腹部とか、丸い小さな青アザが無数にあって、見ていて痛々しい....。
これ、あれだ....糖尿病のインスリン注射の跡だ....。
左腕を庇うのも納得がいった。
この人は、透析もしてるんだ....。
「だから.....やめろって、言ったんだ....」
息を切らして、肩で大きく呼吸をしながら、教官が僕から目を逸らさずに言った。
「今なら、忘れてやるから....もう、やめろって」
「....どうして?どうして、そんなこと言うんですか?
こんな病気のことなんか、気にならない。
俺はこんなに真剣なのに。
悪ふざけでしてるんじゃない。
俺は....俺は、あなたが....教官が好きだ。
今はあなたの1番じゃないけど、菊水教官の忘れられない人を超える自身がある....絶対に超える!
だから、もう、やめろなんて言わないでください!」
そう啖呵を切ったから、その後は無我夢中だった。
抵抗する右手を押さえつけて、胸や青アザの場所を舌で刺激しながら、旭日章のついたベルトを外して、教官の中心を指でなぞる。
俺が舐めるたびに、なぞって先に触れるたびに、菊水教官は、身体をビクつかせた。
「や....め....んぁ.....」
身体をしならせて、感じてるように声を上げて、口では「やめろ」とか言ってるクセに、全身で感じて身体をよじらせて....。
教官なのに....やらしい....。
もう、我慢できない....。
勢い....勢いで、菊水教官の中に入れて、激しく揺さぶる。
そして、俺は、教官の耳元に口を近づけて囁いた。
「絶対、教官を振り向かせるから.....」
「....ん....あ.....やれる....もんなら......やってみろ.......ん....」
感じながらも、強気な菊水教官の言葉に、また、火がついてしまって....より一層、教官の中をかき乱してしまった。
✴︎
思わず、「シャイン」って言ってしまいそうになってしまった。
強引なところも、僕に対して真っ直ぐなところも、何もかも....。
僕が似てるって、感じてるだけかもしれないけど、シャインじゃないのに....シャインがそばにいるみたいで。
その体温とか愛撫とかに、酔いしれてしまったんだ。
....昴。
君は、シャインには敵わないんだよ。
でも、「絶対振り向かせるから」って、そう言って挑んでくるとこに、妙に心が揺さぶられてしまって....昴を愛おしく感じる自分がいた。
僕、狂ってしまったのかな....。
「おい、岡田巡査。そろそろ起きろ。みんなが起きてくるぞ」
僕の一言で、昴は勢いよく飛び起きた。
目を開けようとしているけど、なかなか開かなくて。
その姿が、眠くて眠くて仕方がない大きな犬みたいに見えてしまって、思わず笑ってしまった。
「....おはようございます。....菊水教官、俺....」
昴が、心配そうな顔をして俺を見る。
なんだよ、昨夜の勢いはどこいったんだよ。
「早くシャワー浴びてこいよ。当直業務はまだ終わってないんだよ」
「あの....俺....」
「なんだよ。僕のことを振り向かせるんだろ?
だったら、勉強も術科も必死で頑張れよ。
僕が惹かれるくらい魅力的なヤツになれよ。
そうしたら、僕も振り向くかもしれない....わかった?岡田巡査」
僕の言葉に。
昴の顔が、キラキラしだして。
満面の笑みを浮かべる。
「いいましたからね!絶対ですからね!
俺頑張って、首席で卒業しますから!!
忘れないでくださいよ!菊水教官」
そう、そのいきだ。
やれるもんなら、やってみろ。
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