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08

 何故、こんなに自分が動揺しているのかわからなかった。俺は別にやましいことなどしていない。それなのに、いきなり現れたあいつに恐ろしいほど指先から冷たくなっていく。 「……随分と打ち解けたようだな」  掛けられるその言葉に、向けられるその目に、呼吸が詰まりそうになる。勇者は笑っていた。けれど、その目までは変わらない。  俺は、こんな勇者を見たことなかった。取り繕ったような、無理やり作ったような強張った笑顔はただ違和感を増長させる。騎士はその勇者の異変に気付いていないのか、勇者の言葉に対し照れくさそうに咳払いをするのだ。 「勇者殿……もう朝食は済まされたのか」 「いや、俺はまだだ。鍛錬から帰ってきたばかりでな……先に汗を流してから摂る予定だ」 「俺のことは待たなくていいからな」と、騎士の思考を先読みしたのか勇者は先に応えた。  騎士は何か言いたそうだったが、勇者はそのまま俺たちの横を通り抜けて自室へと向かうのだ。  そして、扉の前。扉を開けようとしたあいつは「ああ、そうだ」と俺の方に目を向ける。じっとりとしたなにかを孕んだような視線に、体はぎくりと強張った。 「――……今日のことで相談があるんだが、ちょっといいか」  相談、それが何を意味するのか俺は頭よりも体で理解していた。息が詰まりそうだった。よりによって、騎士の前でそんなことを言うなんて。 「……わかった」 「それじゃ、またな」と騎士に告げ、俺は勇者に呼ばれるままやつの部屋に足を踏み入れる。  地に足を着いている感覚がなかった。続いて勇者が部屋に入った。閉じられる扉。俺が振り返るよりも先に、背後から抱き締められるのだ。  のしかかるような重さに、陰る視界に、体が強張った。 「……っ、おい……ん、ッ……む……ッ」  顎を掴まれ、強引に顔を持ち上げられたかと思うと唇を重ねられる。驚くが、それを拒むことはできない。唇を開き、こちらから恐る恐るその唇にちろりと舌を伸ばせば、勇者の目が細められた。手首を取られ、更に体を強く抱き寄せられるのだ。  そして、噛み付くように、何度も角度を変えては勇者は俺に深く口付けた。  この行為になんの意味があるのか俺には理解しがたい。性行為の一環なのか、俺に立場を理解させるための行動なのか、恐らく両方なのだろう。  最初は、恋人同士、心を通じ合わせたものだけの特別な行為だと思っていた。 「っ、は……ッ、ん、ぅ……ッ」  溢れる唾液すら舐め取られ、唇がふやけようがお構い無しで勇者は俺の唇を貪る。腰に重いものが溜まっていくのを感じた。勇者の汗の匂いが濃くなり、余計目眩を覚える。唾液が絡み合う音が耳のすぐ側で聞こえてくるようだった。そういう生き物みたいに一心不乱で人の粘膜ごと舐ってくる勇者に俺は教えられたように答える他ない。  何も考えられなかった。  舌が絡み合い、唾液ごと甘く吸われればそれだけで膝下から力が抜け落ち、立つことが困難になる。崩れ落ちそうになる俺の腰を抱き抱え、勇者は俺から唇を離した。 「……っ、ゆ、うしゃ……」  息苦しさから解放されたときだった。勇者を呼んだとき、あいつはいきなり俺を体から離したのだ。掴まれた両肩に指が食い込む。そして、俯いていたあいつは、俺を睨むのだ。 「……勇者って呼ぶな」  それは、明確な怒りだった。 「お前だけは、俺を勇者って呼ぶな。俺は、勇者じゃない。お前は……ッ!」  何故、こいつがこんなに怒ってるのか俺には理解できなかった。  危険だと、肌で感じた。いつもこいつに抱かれるとき、無茶はさせてくるがそれでもいつだってあいつはいつもと変わらなかった。同い年とは思えないほど落ち着いていて、聡明で、あまり気が長い方ではない俺を隣で嗜めてくれるような大人びているやつで。……けれど。今は。 「っ、おい……どうしたんだよ、……ッ!ん、ぅ……ッ!」  ベッドに行く時間すら惜しいとでも言うかのようにやつは人の服を脱がしてくるのだ。腫れ上がった胸の突起をぎゅっと抓られ、堪らず身もだえる。片方の胸に噛み付くように乳頭ごと咥えられ、強く吸われた瞬間全身に電流が流れる。 「っは、待て、ッも、……ッぅ、あ……ッ!」  ガリ、と思いっきり腫れ上がった突起に歯を立てられた瞬間、焼け付くような激痛に堪らず胸が仰け反る。勇者の肩を掴み、引き剥がそうとすれば、やつは赤く血が滲むそこに舌を這わせるのだ。痛い、ズキズキと疼くそこに血液が更に集まっては凝固していくのがわかり、頭が真っ白になる。  こいつに対して恐怖なんてもの感じたことなかった。  いつだってこいつは俺の側にいてくれて、味方してくれて、一緒に背中を預けあっていた。例え追放されようが、それはこいつなりに実力の伴っていない俺の身を案じてくれた結果だとも本当はわかっていた。だから、何されても良かった。  けれど、あいつの目を見た俺は初めて腹の底から恐怖を覚えた。  あいつは、俺を傷付けるつもりだと。噛まれたのはただの偶然ではないのだと。赤く濡れた唇に、くっきりと残った歯の型からぷつりと滲む赤い玉。 「……っ、は……ッ、お前もそんな顔するのか」  自分がどんな顔をしてるのかわからなかった。けど、きっと、酷い顔をしてるのだろう。表情筋はまるで固まったまま動かない。 「なあ……お前は誰のものだ?なんでここに残ってる?……俺のためになんでもするって言い出したのはお前の方だったよな」 「っ、ふ……ッ、ぅ……」 「……答えろよ」 「っ、ぁ、やめ、ッ」 「拒むなって言っただろ」  歯型が残り、余計敏感になったそこを指で抓られた瞬間頭が真っ白になった。ガクガクと腰が震え、何も考えられなくなる。こんな、冷たい声聞いたことなかった。 「答えろよ、――」 「お、お前には、逆らってないッ……俺は、お前のこと……ッ!」 「嘘吐くなよ。お前、俺のこと避けていただろ。……こうでもしないと、すぐに逃げる。俺が命令しなければお前は俺の顔すら見たくないんだろ」  体の傷よりも、心臓の奥、心の方が痛かった。  こいつはいつだって自分の気持ちを語ることはなかった。なにが効率よく、なにが誰のためになるのか、そんなことを言うことはあっても自分がどう感じるのか、それを口にすることはない。  そんなやつが語るその本心はあまりにも冷たく、そして深く貫いてくるのだ。 「そ……れは……ッ」 「違うと言い切れないんだろ。……お前はすぐ態度に出るからな」 「っ、落ち着けって、だから……ッ!」 「……俺は、落ち着いてる。――恐ろしいほど静かなんだ」  なにが、と尋ねる暇もなかった。下腹部に伸びた手に下着を脱がされそうになり血の気が引いた。拒むな、とあいつは言った。わかってても、こんな状態で行う性行為がまともではないと頭で理解していた。  こいつは、平常ではない。それともこっちが素だというのか。ずっとずっとずっと我を殺し、俺の隣にいたのか。鬱憤すらも吐き出させることもできず、爆発寸前まで追い込んでいたのか。 「っ、や……ッ、めろ……ッ!」  このままでは俺もこいつも傷つけ合うだけだとわかった。こいつは、きっと後悔するとわかっていたから。まだ、殴り合った方がましだ。だから、思いっきり俺はあいつの顔を殴った。  初めて俺はあいつとの行為を拒んだのだ。  こんなことしたってお互い気持ちよくなるわけがない。そんなこと分かりきってるはずなのに。  なのに、あいつは。 「…………ああ、そうか」  その目がゆっくりとこちらを向く。  感情のないその目に捉えられた瞬間だった。 「ッ、ひ、ぅ」  思いっきり足を広げられ、ずらした下着の中へと入り込んできたやつの指が柔らかくなっていた肛門に捩じ込まれるのだ。 「っ、や、めろ、ッ、ぉ……ッ!」  何も言わない。もう一発殴ろうとした手首ごと頭の上で拘束され、肛門に二本目の指が追加される。  快感なんてない。いつもこいつは俺が傷つかないようにと丹念に慣らしてくれていたのだとわかった。けれど、今はどうだ。 「っ、……――」  名前を呼ばれた瞬間、背筋が凍り付いた。体は恐ろしく熱いのに、心が冷えていく。膨れ上がったやつの下腹部、下着の中から恐ろしいほど勃起した男根が現れる。既に先走りで濡れた肉色のそれをろくに慣らされてもいない穴に押し当てられ、堪らず「やめろ」と声を上げた。  けど、あいつに俺の声は最後まで届くことはなかった。

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