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 シーフに連れられ宿屋へと戻ってくる。  どんな顔をしてあいつと会えばいいのか、騎士と話してたときは決心ついていたはずなのにいざ宿屋の前までやってきた俺は迷っていた。 「どうした?もしかして怖気づいたのか」 「……別に」 「まあそりゃそうなるよな、あいつの取り乱しっぷりからして相当揉めたんだろ?」 「…………」  揉めた、というのは語弊だ。  けれどあの夜、確実に俺の中の汎ゆる思い出も感情も全てを壊された。あいつ自身の手で。  何故今更ここにいるのか分からなくなるのだ。俺にはあいつしかいない。わかってるのに、魔道士の言葉が過る。 「難儀なやつらだよな、本当。もっと気楽にいきゃいいのに」  そうやつは俺の手首を掴む。がっしりと掴まれた腕は振り払おうとしても振り払えない。そしてシーフは宿屋の扉を開けるのだ。 「……っ、シーフ」 「お前は俺に無理矢理連れてこられたんだ。余計なこと考えんな」  耳打ちされる言葉に押し黙る。そしてシーフはそのまま俺を引きずるように宿屋の二階、あいつの部屋の扉をノックし、開いた。 「よぉ、勇者。お前の大好きなお嬢ちゃん連れてきてやったぞ」  逃げられない。顔を上げることもできない。そう思っていたのに、部屋の向こう、ベッドの上で蹲っていたあいつはシーフに連れられた俺を見て目を見開いた。そして。 「っ、スレイヴ……」  なんでお前がそんな顔をするのか俺には毛頭も理解できない。シーフの前だということも気にせず、あいつは俺を抱き締めるのだ。  その腕の力に全身が石のように固くなる。あんだけ暖かかった熱すらも息が詰まりそうになるのだ。  だから、俺は。  気づいたらあいつを突き飛ばしていた。 「……っ、スレイヴ」 「……勝手に出ていったのは、悪かった」  スレイヴ、とあいつは俺を呼ぶ。今にも消え掛かりそうな酷く掠れた声。こんな情けない顔したあいつなんて見たことなかった。  まるで俺の知らないやつみたいだ。 「……部屋に戻る。暫く、一人にさせてくれ」  あいつが引き止める前に俺は逃げるようにあいつの部屋を出た。すれ違いざま、シーフは「あーあ」とこちらを見て笑っていたが構う余裕はなかった。あいつはシーフがフォローしてくれるだろう。けど、俺は。  扉を出て、逃げ帰るようにやってきた自室。  また、元通りだ。何もなかったようにまた俺達は繰り返すのだろうか。こんなことしてる場合ではないのに、余計なことを考えるな、復讐のことだけを考えろ。そういくら自分に言い聞かせたところで、あいつ自身がおかしくなっているのだ。  ……そして、俺もだ。今までだったら気にしなかった――わけでもないが、それでもまた飯食って寝たら元通りに戻るはずだった。  部屋の扉がノックされる。  答える気にもらなかった。扉は勝手に開き、そして現れたのは。 「……シーフ」 「よ、どうだ調子は……っと、こっちもこっちで辛気くせえな」 「……何しに来たんだよ」 「そう邪険にすんなよ。さっきお前に抜いてもらったお陰でスッキリしてっから手は出さねえし」 「………………」  よっこらせ、とシーフはベッドに腰掛けてくる。  ベッドの縁に逃げ、距離を取ろうとすれば「意識しすぎ」とシーフは笑った。 「それにしてもお前、やるなぁ。……あいつに逆らうなんて、相当キテたみたいだぞ。お前に嫌がられたの」 「……別に、俺は……」 「あいつのことが嫌いになったのか?」 「お前に関係ないだろ、そんなの」 「まあな。けど、あいつがあの調子だと俺の財布事情にも関わってくるもんでね。さっさといつも通り元気に剣ぶん回してくれねえと困るんだわ」 「…………」  どこまでも現金な男だ。  しかもそれを包み隠そうとすらしない。 「俺に、あいつのご機嫌取りをしろってか」 「早い話な。今までのお前だったわざわざ俺がこんなこと言わなくてもやってただろうけど、今のお前はこうしてわざわざ忠告してもやんねえだろ」 「……わかっててなんでここに来たんだよ」 「それこそ分かってるだろ?」  伸びてきたシーフの指に耳を撫でられる。慈しむような目、けれどその奥は笑っていない。  すり、と耳の溝を撫でられ、思わず体が逃げそうになるのを堪えた。これだけで反応してると思われたくなかったのだ。 「脅してんだわ、これ」 「……ッ」 「あいつはお前がいればいいんだよ、それだけで活力源になるしな。……どういうわけだか、あいつはそれを気付かずにお前を手放そうとしていたがいざお前がいなくなればこの体たらくだ」 「いくら気丈に振る舞ってようが、ガキはガキだな」笑うシーフの声が鼓膜にこびり付いて離れない。軋むベッドのスプリングに喉が急速に乾いていく。 「なあ、スレイヴ。……あいつはこの世界に欠かせない存在なんだよ、わかってんだろ?」  以前訪れた街で神に選ばれし勇者様、と崇め奉られていたあいつを思い出す。あいつはそれが嫌で素性を偽って、一介の剣士として一からやってきた。それでもあいつが特別だというのはそれを一番側で見てきた俺がよく知っていた。 「……わかってる、そんなこと」  シーフは俺に感情を持つなと言いたいのだろう。  あいつの異常性に気付くなと、冷静になるなと、盲信的にあいつを支えろと。  そんなこと、昔の俺ならばこいつに一々言われなくても側に居続けるつもりでいた。……いたのだ。 「わかってる、けど……」 「あいつが嫌になった?」 「……嫌になったのは、俺じゃない。あいつが、俺のことが嫌になったんだよ」  シーフの目が僅かに開いた。  ああ、そうだ。ずっと引っ掛かっていた。なんでこんなに胸が苦しいのか。言語化することを躊躇っていたが、これ以上は避けられない。  あいつに抱きしめられた時もあのときの夜の言葉が頭を過って離れなかった。 「……あいつが、お前のことを?」  知られたくない、触れられたくない部分だと自分でもわかっていた。けれどこの男に告げたのは、こうでも言わないときっと引かないとわかったからだ。 「そりゃ……面白い冗談だな」 「お前は何も知らないからそう言える。……あいつの方からだ、俺を拒絶したのは」 「………………」 「わかっただろ、だから……こんなことを俺に頼むのはお門違いだ。悪いが、諦めてくれ」  シーフは甚だ理解できないという顔で俺を見ていた。けれど、「そうか」と目を伏せる。 「大分参ってると思ったが、相当らしいな。……それに、当の本人はこれだ」 「……っどういう意味だよ」 「お前、人を好きになったことあるか?」 「……ッ、なんだよ、いきなり」  誂われてるのだと思えば不愉快だった。睨めば、シーフは「答えろよ」と俺の頬を撫でる。その触り方が嫌で、指先から逃れるように体を引いた。 「そりゃ、一人や二人くらい……」  嘘だった。いや、正確には遠い昔初恋のようなものはあったのかもしれないが物心ついたときにはそれどころではなかった。色恋に現抜かす余裕なんてなかった。けれど、何故だろうか。一瞬騎士の顔が過り、慌てて俺は首を横に振った。 「あるのか?」 「……ぁ、ああ。俺をなんだと思ってるんだよ」 「じゃあ、嫉妬したことはあるか?」 「……嫉妬?」  ……嫉妬。それは色恋に関連するものだけではない。まずその単語で過ぎったのはあいつ――勇者の顔だった。いつだってあいつは俺の憧れで、気付けば手の届かないところにいた。追い掛けようとすればするほど自分のちっぽけさが浮き彫りになり、打ちのめされる。けれど、それでもひたむきにその背中を追いかけた。届かないとわかっていても、せめて同じ道を歩いて行きたかったから。  あいつに嫉妬したことないといえば、嘘だ。けれどとうの昔にその域を越えていた。あいつに追いつけなくてもいいから、せめて手伝いがしたいと思うようになったのだ。  ……けれど、シーフの言う嫉妬はそれとは違うような気がした。 「……わかんねえよ、そんなの」 「そうか。まあ、そうだよな。……お前は」  俺から手を離したシーフはそのままゆっくりと立ち上がる。 「シーフ……」 「邪魔したな。ま、今はゆっくり休め」 「……っ」  わしわしと雑に頭を撫でられ、鬱陶しさのあまりに手を振り払えばシーフは笑ってそのまま部屋を出ていった。  気分は晴れるわけがなかった。  けど、ここに残るということはそういうことだ。  深くベッドに寝転がる。あいつを支える。頭の中で繰り返す。俺には出来るのだろうか。目を閉じる。あのとき抱き締められたとき、初めて恐怖を感じた。あいつに対する恐怖、戸惑い――俺にはあいつが理解できない。  これからまたあんな目に遭わされるのだろうか。  痛みを与えられるのは嫌だ。それだけは、耐えられない。でも、耐えなければならない。  性行為と同じようにいずれ耐えられるようになるのだろうか。  けれど、そんな俺の杞憂も無駄になる。  勇者――あいつは、その日俺の部屋を訪れることはなかった。

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