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 どれくらいナイトの腕の中にいたのだろうか。次第に嗚咽も収まり、脈も緩やかになっていた。  足元で小さい子供がじっと見上げていたことに気付き、ここがどこだか思い出した。 「っ、悪い……もう、大丈夫だ……」 「本当に大丈夫なのか」 「……ああ、悪かった。こんなガキみたいな真似……あんたまで変な目で見られてしまう」 「俺は構わない。……それに、泣くことは悪いことではない」 「自分を責めるな」と、ナイトは続けるのだ。その声が優しくて、せっかく収まりかけていた涙がじわりと滲みそうになって慌てて俺は目を擦った。 「……あんたは凄いな」 「なにがだ?」 「……」 「スレイヴ殿……?」 「……俺はこのパーティーから抜けようと思ったんだ」  そう言葉を口にしたとき、ナイトの顔が強張るのを見た。過去形とは言えど、俺はナイトにその旨を伝えたこともなかった。 「今朝、皆が寝てる間に出ていこうと思って……だから最後に、あいつにだけは伝えようと思った」 「…………」 「けど、駄目だった。……おかしな話だよな、あいつは最初俺に出て行けって言ったのに、今度は許さないって」 「……それで、揉めていたのか」 「ああ、……アンタには見苦しいところ見せたと思ってるよ」  悪かったな、と続けるよりも先にナイトに手を掴まれた。丁度背後を荷台が通ろうとしていたのだ。 「……ここじゃ人通りが多い、場所を変えて話を聞かせてくれないか」  どことなくナイトの声が硬い。先程まで優しかったから余計そう感じるのかもしれない。  怒ってるのだろうか、確かに俺は散々助けてくれたナイトにも黙って出ていこうとしていたわけだ。……怒っても無理もないか。  ナイトの申し出を断る理由もない、俺は「ああ」と頷き返した。  気付けば日が暮れていた。  広場の片隅、俺たちは隣り合うよう腰掛けに座っていた。  広場は昼間様々な出店や旅芸者たちで賑わっているようだ。けれど今は帰り支度をしているため、昼間よりも人気はない。  食事をする気にもなれなかったのか、敢えて個室を避けてくれたのか俺にはわからない。  けれど、ナイトの横顔は固いままだ。 「……パーティーを抜けようとしたのは前からずっと決めていたことなのか?」  そう静かに訪ねてくるナイト。首を横に振る。嘘ではない、寧ろ俺は意地でもここに残ってやるとしがみつくつもりでいた。 「昨日……あんたと話してからだ。あんたはちゃんと人の為、世の為と考えてるのを聞いて自分が恥ずかしくなったんだ」 「それがなんで貴殿が去ることと関係あるんだ」 「……俺がいるとあいつが……勇者が駄目になるから」  ナイトは言葉を失っていた。  この男は何も知らないのだ、俺と勇者のことだって正しいことは伝えてない。シーフやメイジとのことも、なにも。  けど流石に今は勘付いているのだろう、俺と勇者の関係は。  ……知られたくなかった、この男には。何も知らないまま出来ることなら別れたかった。でもこれ以上は隠し通せる気がしなかった。 「貴殿と勇者殿は……」  恋仲ではなかったのではないか、と言いたいのだろう。 「……多分、あんたが想像してるような綺麗な関係じゃないな」  ナイトが言葉を飲む。聞いてて楽しい話題でもないし出来ることなら話したくない。けれど、誤解されたままでいる方が耐えられなかった。 「信じてもらえるかどうか知らないが、今までは本当になにもなかったんだ。あいつも、人前であんなことするようなやつじゃなかった」 「じゃあなんで……」  そう言い掛けて、ナイトの表情が強張る。  ああ、と思った。傷つけるつもりではなかった、けれど嘘を吐くような器用な真似もできない。 「……もしかして、自分のせいか。俺が来たから、貴殿は――……」  ナイトの顔から血の気が引いていくのを見て、咄嗟に俺は「違う」と声を荒げた。 「確かにきっかけはあんたが来たあの夜だ。けれど、これは俺が望んだことだった」 「本当はあのまま大人しく俺が出ていけばよかった話だったんだ」あの夜、宿屋にはナイトもいた。勇者に手切れ金を渡され、それを投げ返したときのことは今でも鮮明に思い出せる。  そしてあの夜からだ、俺達の関係が変わったのは。  あんたのせいじゃない、そうナイトに繰り返すがナイトの表情は変わらない。 「っ、……翌日、勇者殿が貴殿を雑用係として残すと言った。それは、まさか……」 「そういう約束だったからだ。……なんでもするから残してくれって」  どんどんと熱が失せていく。一つを見られればボロボロ今まで取り繕ってきたものが崩れてくるのだ。不思議と心の中は穏やかだった。  ナイトも察してるのだろう、何があってどういう契約が交わされていたのか。俺達に肉体関係があったことも。 「……っ、……」 「……しつこいようだがあんたのせいじゃない、元々俺が力不足だったんだ。だからあいつはあんたに声を掛けたんだ」 「スレイヴ殿……」 「……少なくとも俺はあんたが来てくれたから決心付いたんだ。……任せられるって」  情けない話だと思う。実際俺はここに居る。自分で言ってて恥ずかしかった、けれど、それ以上に目の前の優しい男がショックを受けていることに気付いてしまったから俺はまだ冷静にいられたのかもしれない。 「……貴殿は、本当に強いな」 「っ、ナイト……?」 「俺は正直自分が憎くて仕方ない。……っ、なにも気付かず、のうのうと過ごしていた自分が……己のせいでこんなにも身近に苦しんでる者がいるというのに何が平和だ……ッ」  ここまで感情を顕にするナイトを見たのは初めてかもしれない。驚いて、ナイト、と落ち着かせようと手を伸ばしたとき、その腕ごと引っ張られ抱き締められる。 「……っ、おい……」 「……すまなかった、貴殿一人に辛い思いをさせて。……それに気付かないで、俺は騎士失格だ」 「……っ別に、あんたのせいじゃないって言っただろ」 「俺の責任だ。……早々に気付くべきだった、貴殿の様子がおかしいときも。そうすれば、貴殿が必要以上に傷つく事もなかったはずだ」  世界の不幸は自分のせいだと思ってるのか、……いや思うのかもしれない。心優しい男だと知っていたはずだ、きっと今の俺が何を言ってもこの男には焼け石に水なのだろう。 「けど、あんたがいたから俺は助けられたんだ。……前にも言ったが、来てくれたのがあんたで良かったと思ってる」 「貴殿は、本当に……」  そう言いかけて、ナイトは己を落ち着かせるように深く息を吐いた。そして肩を掴んだまま体を離される。「ナイト?」と顔を上げれば、そこには真剣な顔をしたナイトがいて。 「……貴殿はパーティーから抜けたいと、そのつもりだったんだろう」 「……ああ、けど……」 「ならば、俺も協力しよう」 「……っ、え……」 「俺も貴殿に付いて行こう」  一瞬耳を疑った。当たり前のように、平然とした顔で言うものだから余計にだ。 「な……なに言ってるんだ、そんなの駄目だ……っ」 「しかし……」 「『しかし』じゃない、あんたには夢があるんだろ。……俺だって、魔王を倒すまで付いて行きたかったけど……足手まといになる。けどあんたは違う、あいつにはあんたが必要なんだ」 「……っスレイヴ殿……」 「頼むから……頼むから、そんなこと言わないでくれ……」  怖かった。もしここでバラバラになったらどうなるのか、せっかく見えていた道程も全部台無しになってしまえばまた元通りだ。ナイトも俺と同じ苦汁を舐めてきた立場だ、俺の言わんとすることはわかるだろう。  俺とナイトの目指すものは同じだ。けれど、圧倒的に力やスキルの差があったのだ。  しがみつき、懇願する俺にナイトもわかってくれたようだ。スレイヴ殿、と宥めるように俺の頭を上げさせるのだ。 「……貴殿の想いは痛いほど伝わった、ならば俺はそれに応える」 「ナイト……っ!」 「けれど、貴殿が出ていきたいというのならその手助けをさせてくれ。……頼むから、これだけは断らないでくれ」 「……っ、そんなこと、あいつらにバレたら……」 「そんなこと貴殿が心配する必要はない、スレイヴ殿は自分のことだけを考えてくれ」  心強いのに、嬉しいはずなのに、それ以上に不安になるのはきっとあいつのことを思い出すからだろう、手段を選ばなくなってきているあいつにただ恐怖を覚えた。

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