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 久し振りによく眠れた気がする。  体の熱もなく、体を起こした俺はそのまま伸びをした。  そして、その部屋が自分の部屋ではないことに気付いた。  甘く柔らかい匂い――あのいけ好かない男の匂いだ。  部屋の主は見当たらない。ならば、とベッドから降りる。  昨日はあれほど怠かったのに嘘みたいに体が軽かった。  ――今日が最後だしな、お前がこんな綺麗なシーツで寝れるのは。  昨夜眠りにつく前、メイジの言葉が蘇る。  そして、改めて自分の置かれた立場を思い出した。  ……今晩、俺は俺でなくなる。  演技だと気付かれたら今度こそ終わりだ。  覚悟は決めていた。不安がないわけではないが、腹も括っている。  それでもまだ、なにか別の突破口がないのかと探してしまうのは性分なのだからどうしようもない。  どうしても今夜のことを考えたら気が重くなる。  思考を払ったときだ、空腹に腹が鳴る。  ……そうだ、飯。  昨日はろくに食べていない。  俺は食べ物を探すためにメイジの部屋を出ていこうとした。  そのとき、部屋の扉が開いた。  現れたメイジは俺の姿を見るなり薄く微笑むのだ。 「随分とよく寝てたな。……どこに行くつもりだ?」 「……腹が減ったから、飯……探しに行こうと思っただけだ」 「寝て、起きたら飯か。健康的で何よりだ」 「……っ、悪かったな」  なんだかむずむずする。落ち着かない。  今までは腹立つだけだったのに昨日の今日だからか、やけに優しいその目が逆に居心地が悪いのだ。  ……というよりも、こいつに対する嫌悪感が薄らいでいる自分に戸惑ってる。どんな顔をして会えばいいのかよくわからない。 「飯だったら一階に食堂があったぞ」 「……ここは、俺たち以外の人はいないのか?」 「ここは廃墟だからな。一応魔力で使えるようにはしてやってるがその辺はどうしようもない。シーフがいるだろうからなんか食わせてもらえばいい」 「あいつの飯は悪くないぞ」とカウチソファーに腰を掛けるメイジ。  シーフが料理を嗜むことも驚いたが、廃墟を勝手に使っていたのかと呆れる。  ……おまけに、この部屋を見るからに完全に私物化しているし。 「お前は……ここに居るのか?」 「なんだ?……まさか、俺と一緒にいたいなんて言い出すんじゃないだろうな」 「ち、違う!」 「は、そうか?……俺は色々忙しいんだよ。今晩のことでな」 「……」 「それと、誰かさんが人の気も知らずに隣で爆睡していたからな。余計心労がたたっている。儀式を失敗させないように今から瞑想でもしないとな」  お前が勝手に添い寝してきたんだろう、と言ってやりたかったが無視した。  ……瞑想なんてしてるとこ、今まで一度たりとも見たことないぞ。  どうせ酒盛りでもするのだろう、下手に絡まれる前に大人しく俺はやつの部屋を出た。  そのまま一階に繋がる階段へ向かおうとしたときだった。 「……随分と、長い間メイジと一緒にいたんだな」  掛けられた声に冷水を浴びせられたように体が凍り付いた。  通路に座り込んで俺を待っていたらしいやつ――イロアスはそのままゆっくりと立ち上がる。 「あいつは部屋に入れないように魔法を掛けていた。物音一つ聞こえやしない。……そんなに邪魔をされたくなかったのか?」 「なあ、いつの間にそんなに仲良くなったんだ」スレイヴ、と名前を呼ばれた瞬間、冷たいものが背筋に走った。 「イロアス……ッ」  咄嗟に身を引いた。  この男は俺の記憶を消すと決めたのだ。  そして、その方法を知っている。  ――油断できない。 「なんだ、その顔。……そんなに俺に会いたくなかったのか?」 「っ、……」 「……口も利きたくないのか」  正確には、俺自身にもわからない。  嫌でも顔を突き合わせなければならないというのもわかっていた。それでも、全てを聞いてしまった今この男に対する怒りが沸々と湧いてくる。 「……なんで、ここにいる」 「……気になったんだよ。シーフもナイトもお前を知らない。……メイジ、あいつは部屋から出てこないし……一緒にいるだろうとは思ったが」 「……ッ、……」 「……大丈夫だったか?」  伸びてきた手を咄嗟に払い除けた。  乾いた音が響く。こんなこと、前にもあった。  それでも今度は罪悪感などなかった。  目の前の勇者の表情が凍り付いた。 「……っ、スレイヴ……」 「俺が、どこで何をしようとお前に関係ないだろ……ッ」 「……スレイヴ、俺は……ッ」 「っ、触るな……ッ!」  イロアスと一緒に居ることは耐えられなかった。  心配するふりをしたところでこの男は鼻から俺のこの記憶も全て消すつもりなのだ。  そう思うと、反吐が出そうだった。  裏切られた。一時期の迷いだと信じていたのに。  信じていたからこそ余計、目の前の男が俺の知っているあいつだと思いたくなかった。  それなのに、やつはまるで怯えたように俺を見るのだ。 「……っ、スレイヴ、悪かった……お前が嫌なら触らない……」 「……退けよ、お前の顔なんて見たくないって言っただろ」 「……スレイヴ」 「……っ、……」  こんなこと言いたいわけではなかったのに、こいつの顔を見ると故郷の村の皆の顔を思い出して余計許せなかった。  そのくせ、自分は何もしてないですという顔で俺を見るのだ。……理解できない。 「……お前が、そんなやつとは思わなかった」  見損なった。失望した。私利私欲で働き、他人を陥れる。そんなこいつの記憶を消せないと思ったのはこいつのためだけではない、この記憶はもうここにはいない村の奴らが生きた証でもあるからだ。  言い聞かせる。それでも、怒りが収まらない。  イロアスは苦しそうに顔を歪める。  けれど、その先の言葉は聞きたくなかった。俺はその場から動かないイロアスを無視して一階へと降りた。  心臓が痛い。  怒りの方が勝っているはずなのに、軋むように心臓が痛む。鼓動が加速する。  ……なんで、こんなに苦しいんだ。  あいつの顔が浮かんでは心臓が張り裂けそうになる。――まさか、罪悪感?誰に対する?  まるで、頭と心が噛み合っていないようだった。  言いたいことを言えばスッキリすると思っていていたのにただ苦しさが増すばかりだ。  俺は思考を振り払い、メイジから聞いた食堂へと向かった。

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