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★僕の日常がゆっくりと壊れていく《兆し》がやってくるよ★
「こ、これ……この絵……いったい何なの____!?」
「そんなん、俺が知るかよ。ただ、この気色悪い絵を落としたことに対して、バニラの所に行く前に校長室に寄って謝らなきゃいけなくなったことだけは確かだな――あ~あ、面倒くせえ」
壁の高い箇所から落としてしまった衝撃のせいで、一面闇色に塗り潰されている奇妙な絵画の一ヵ所が捲れてしまった。
おそらく、元々そういう風な仕掛けをはらんでいる絵画だったのだろう。
パッと見ただけでは分からないけれど、黒い絵の下にもう一つ別の絵が隠されているという二重のギミックが施されているのだ。
ただ、僕とミントが目にしたのはほんの僅かな仕掛けのみで縦長のカンバスの上半分の真ん中に位置する部分が少し剥がれかけていて、まるであのおかしな夢に出てくる海みたいなエメラルド色が見えている。
だけど、そのエメラルドは見る位置や光の加減によって澄んだ空みたい美しい青色みたいに見える。
そのせいで、都会とは無縁な田舎の港町では
なかなかお目にかかれない面白さに虜になってしまった僕____。
時間も立場も忘れてしまうくらいに夢中になって、その奇妙な絵画に釘付けとなってしまう程にすっかりそれに見惚れてしまっていたのだけれど、ふと険しい顔をしているミントに肩を掴まれるとハッと我にかえった。
そうだ、バニラを迎えに行く前に――【校長室】に行かなくちゃなんだった____。
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「なるほど、確かにこの絵画を落としてしまったのは……許されるべきことではないね。ただ、君達はその場から逃げてしまわずにきちんと私に謝りにきた。それは、とてもいい行いだよ。ジンジャー、それにミントも……君らの成長が見れて私は嬉しいよ……なかなか以前のように頻繁には会えなくなってしまったからね」
「セ……いいえ、校長先生。大事にしている絵を落としてしまって、ごめんなさい……」
ここは、【校長室】____。
以前は、僕の担任だった先生が校長にまで昇格しちゃった後はなかなか会えなくて、とても寂しかった。
でも、こういう形とはいえ久しぶりに会えた先生は穏やかな笑みを浮かべながら接してくれたから凄く安心した。
僕は、深々とお辞儀したんだけれどミントはある場所をジッと見つめていて何も行動しようとしない。何だか、その場所に気を取られているみたいで校長先生に申し訳なさを感じつつも、その場所へと目を向けた。
そこには分厚い赤いカーテンがかけられていて、窓から吹いてくる風になびいている。
何でミントはあんな所を気にしているんだろう――と気になったけれど、ふいにミントの視線が真逆の方向に動いて、今度はそっちに気を取られてしまう。
黒衣に包まれて、白い仮面をつけた人物が現れて僕らに向けて無言でお辞儀した。
【校長先生】の従者だという【理事長】だ。
【理事長】がいるのは分かっていたけれど、その姿を見るのは初めてだったためビクッと身を震わせてしまい咄嗟に顔を背けてしまう。
それと同時に隣にいるミントに身を押し付けながらすがってしまったのだれど彼は特に嫌悪感を示したりはしなかったのでホッとした。
黒衣の理事長は、そのまま扉へと歩んで行くと――そのまま何処かへと去って行く。
「彼も……愛想がもっとあるといいんだがね。とにかく、だ……この絵画は私が元の位置に戻しておこう。あれ、どうしたんだい……ジンジャー?」
「おい……ジンジャー、お前……本当にどうしたんだ!?」
と、校長先生とミントから少し大きめな声で言われて――ようやく、自分が無意識のうちにしていた行動に気付いた。
僕は、いつの間にか黒衣の理事長が出ていった扉の上にかけられた肖像画――病気のせいで若くして突然亡くなってしまったという前校長先生の姿が描かれているという絵を穴があくほどに見つめていたということに気付いたのだった。
*
「バニラ……僕らが迎えにきた時、すごく辛そうで苦しそうだったけど大丈夫だった?」
「えっ……だ……大丈夫だよ。ちょっと……ね、眠りすぎて疲れた……だけだから」
バニラを迎えに行った時、彼は眉間に皺を寄せつつ苦しそうに呻いていた。
起きてからしばらくすると、元の状態に戻ったから取り敢えずは安堵したのだけれど、帰り道でふいにそのことを思い出した僕はやっぱり心配になってバニラに話してみた。
「おい、バニラ……お前――何か辛いことがあったら俺らにちゃんと言えよ。まったく……昔からお前は何か問題があっても一人で溜め込んで潰れちまいそうになるんだから……何のための友達なんだか。とにかく、俺もジンジャーもお前を見捨てたりしねえ……だから、きちんと自分の気持ちを言えよ?」
「あ……あ、ありが……とう……ジンジャーもミントも……お荷物のボクなんかにかまってくれて……っ____」
僕は涙を流しながら、悲観的な言葉を言うバニラを見つめながら怒りと悲しみが入り雑じった複雑な表情を浮かべるミントの様子を何も言えずに見つめるばかり。
あろうことか自分で自分に呪いをかけているバニラに対して、何と言えば曇りきった彼の心に光を照らせるのか――何をすれば心の底から涌き出る太陽みたいな笑顔を引き出せるのか、僕にもミントにも分からないのだ。
*
「ただいま……って____そうか、ママはクルスさんのお店にいるんだった」
ママがいないことに対して心の隅ではホッとしつつ、僕はソファーに身を沈めた。
ママはクルスさんのパン屋で働き始めたばかり。
だから、クルスさんの気分を害すわけにはいかないんだ。
やっと、パパのことで精神的に不安定になっていたママが働くまでに回復したのに――お店で一番偉い人のクルスさんに失礼なことをしたらママの首がはねられちゃう!!
『お前の父さんはひと××しだ!!』
『ひと××しの息子となんか遊ぶなってママが言ってた……お前のママは恥さらしの部外者だって……』
『あの子のお父さんね……昔、幼なじみだった子の父親を事故に見せかけて××しちゃったらしいわよ……いやね、いくら子どもでも問題ある子はそこまでしちゃうのよねぇ……』
《都会》でのことなんて、思い出したくもない。
でも、お友達のミントとバニラと離れると嫌でも思い出しちゃうんだ。
そして、嫌な現実から逃れるために必死で目を瞑る。そうすると、嫌なことなんか忘れちゃう……だって、僕には……ううん、僕だけじゃない人にも他の《世界》があるんだから。
ビィィィ~____
ヴィィ~____
《世界》に飲まれようとしている最中、一気に現実に引き戻される大きな音が鳴り響く。
しかも、その呼び鈴の音は再び目を瞑る僕から逃げようとはしてくれなかった。
仕方なく、僕は涙でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭いながら玄関まで向かって歩いて行く。
ガチャッ____
「は、はい……どなた__さ……ま……」
「おいおい、何をいっちょまえに泣いてやがんだ――このクソガキ。泣きてえのは、こっちの方だっつーの」
知らない男の人が、酒ビンを持ちながら立っていた。
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