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★小さな眠り鼠はどこへ歩いていくか★
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人間じゃなくなった僕は、灰色の砂浜に覆われた夢の世界で、よちよちと赤ん坊のようにゆっくりと歩いていく栗色の鼠の後を仕方なく追って行く。
何度も経験していることとはいえ、現れたり消えたりする猫の形の影を見るのは、未だに慣れない。
確かに自分だと分かっているのに、自分じゃない気がするといった奇妙な感覚は実際に経験しないと分からないと思う。
けれども、不思議なことに今まで会ったことがない筈の栗色の鼠に対して危険を感じることはなかった。
それは何故だろう、何故――僕は『よちよちと歩いていく栗色の鼠の後をついていかなくちゃいけない』という気持ちを抱いているのだろう――と、心の中で問いかけていくうちに、ふとあることを思い出した。
正確にいうと、何の気なしに閉じた瞼の裏にある光景がよみがえった。
『コイツは眠り鼠ってンだ……オイラはオイラよりも小せえヤツってーのが大嫌いなンだが……不思議とコイツにゃ嫌な気持ちは抱かねえンだよな。おいおい何を呆けた顔をしてやがるんだ?オイラの名前は分かるだろう……そうさ、オイラは三月ウサギなのさ!!』
そうだ____。
この奇妙な夢が繰り広げられる中で、一瞬だけ現れた《お茶会》らしき場面で、両目を閉じた盲目らしき小柄なピンク色の兎が手に持っているカップを見せながらチェルシャと呼ばれる僕へと差しだしてきた時に放ってきた言葉のせいだ。
カップの中には、身を縮こませながらスヤスヤと眠る栗色の鼠がいて全く目を覚まさないうちに夢の場面が瞬時にして変わってしまったものだから、今の今まで気にかけることなく殆ど忘れてしまっていた。
だから、僕は黙々と前を歩き続けている【眠り鼠】に対して、さっきからずっと気になっていたことを聞いてみようと決意した。
「き、君は誰____?もしかすると、この世界じゃない別の世界で……僕と出会ってるんじゃないの?」
「…………」
栗色の鼠こと【眠り鼠】が、答えることはない。
「君は……バニラっていう男の子なんじゃないの?ねえ、そうでしょ……そうなんだよね?」
あまりの反応のなさに、僕は少しだけ戸惑いの色を浮かべながらも、それでも沈黙を守り続ける【眠り鼠】からの反応を待ってみることにした。
すると、今まで赤ん坊のようによちよちと歩みを進めていた【眠り鼠】が急に足を止めて、こっちへと振り向いたかと思うと何かを言いたげに僕の目をジッと見つめてきた。
暫く、無言のまま見つめ合う僕と【眠り鼠】____。
その後、コックリと【眠り鼠】が頭を下げたことによって僕は彼が《バニラ》であると思い、その安堵から大きく息を吐いた。
共に行動している存在が(いくら今いるのが夢の中だと分かっているとはいえ)知り合いと分かっているだけで安心する。
そして、僕は再び前を向き、よちよちと歩き始める【眠り鼠】の後を、ひたすらついてゆくのだった。
どれくらい長く歩いたのか、エメラルドの海に四方八方囲まれ、現実世界に存在する《時計》なんてものはないから考えるのは諦めた。
そもそも、これは僕が見ている夢なのだからそんなことを気にしたって仕方がない。勝手に目が覚めるのを待つだけだ。
すると、やがて【眠り鼠】の動きがピタリと止まった。とはいえ、さっきも一度動きを止めたのだけれども、その時と違っているのは眼前に大きな建物が存在していることだ。
エメラルド色の海が広がる景色の中に、現れた白い円柱型の大きな建物は幾ら夢の中だと分かっているとはいえ僕の興味を大いにそそる。
そのあまりにも凄まじい圧迫感に、ぽかんと大きな口を開けて真上を見上げるばかりの僕だったけれども、煙突らしきものがあることに気付いてそっちへと視線が集中してしまう。
煙突らしきものは、とても面白い形をしている。鉛筆みたいに細長い白い支柱と、そのてっぺんには赤い雫型の噴出口____。
雫型の噴出口からは、もくもくと灰色の煙が吹き出し続けていて、よくよく耳を澄ましてみると、かなり特徴的な音が一定のリズムで聞こえてくることに気付いた。
それだけじゃない____。
今いる夢の世界だけでなく、色褪せてる現実の世界でも聞いたことがある、けたたましいけれども僕にとって耳慣れしている音ということにも気がついた。否が応でも気づくしかない。その音は、とても大きな音なのだから。
その音を耳にした途端に咄嗟に両耳を塞ぎざるを得ないくらいに、僕が苦手で大嫌いな音____。
それに、今住んでいる港町とは対象的に【都会】というイメージに必要不可欠なある乗り物が発する音____。
《車のクラクションの音》が、僕の耳へと襲いかかってくる。その音自体が嫌いだった訳じゃない。確かに咄嗟に耳を塞ぎたくなるくらいに発せられた直後に体がビクッとなり不快な気分になった。けれども、僕が車の音が何よりも苦手なのはそういった物理的ともいえる原因じゃない。
一度だけ、バニラと二人きりで歩いてた時に告白したのを思い出す。
『く、車の音が……ど、どうして……苦手なの?』
『それ、あんまり言いたくないんだけど……バニラになら言うね。僕、車のクラクションの音が単に嫌いなんじゃなくて……それを聞くと何か胸騒ぎがして――すっごく悲しくなるから苦手なんだ。うるさいからムカムカするとか……そういうんじゃなくて理由は分からないけれど……ただひたすら悲しくなっちゃうんだ……それに下手すると頭が痛くなってくるんだよ』
ここは夢の中だからか、凄く悲しくなり――最悪の場合は割れるような頭痛が起こるといったことはないようで、とにかく安堵してしまう。
しかしながら、現実世界では起こりようのないある変化が起こったのは、突如としてピタリと雫型の赤い煙突のてっぺんから《車のクラクションの音》が鳴り止み、それから少しした時のことだ。
《車のクラクションの音》が鳴り止んだ代わりといわんばかりに、今度は何かはよく見えないけれども、複数の物体が三角形の煙突のてっぺんから此方へ向かって落下してきたのだった。
勢いよく上から飛んできたそれらは、その衝撃で僕(チェルシャ)と胸に抱かれている眠り鼠が立っているすぐ近くの砂浜にめり込み、もぞもぞと這い出てくると、かつて僕のお気に入りだったネジ巻き式のオモチャみたいにギクシャクした動きで段々とこっちへ近づいてくるのだった。
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