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彼はだれなんだろうね?
あまりにも夢中で走ってたから、僕は誰かとぶつかって、土の上に尻もちをついてしまった。
「ご……っ……ごめんなさいっ!!」
泣いているのを悟られないために、服の裾で何度か目を擦ったけれど、どんどんと溢れ出る涙は都合よく止まってはくれない。
今目の前にいるのがクラスメイトだと嫌だな――などと思いつつも、ぶつかってしまったのが誰なのか確かめるために渋々ながらも俯きがちな顔を上げる。
雲ひとつない爽やかな昼間だというのに、頭から足元まで覆う黒衣が目に飛び込んでくる。
「えっ………と___理事長先生の……お友達?」
つい先日に見かけたばかりだけれども、正直にいうと彼の名前すら分からないので、咄嗟にそう尋ねるしかなかった。
でも、今日は珍しいことに彼は理事長先生と一緒に行動していない。一人でいる彼(名前すら知らない)を見るのは初めてだ。
すると、少ししてから彼が無言でゆっくりと頷いた。
どうして、そうしたのかは分からない。
彼は何も言わずに、尻もちをついてしまった僕に対して手を差しのべてくれている。
理事長先生は生徒に対して優しい言葉をかけてくれるけれども、今まで一度たりとも後ろを引っ付いて歩いているだけの彼が、こうして優しい態度をとることなんて無かったのに――と、ここにきて失礼ながらも少し不思議に感じてしまう。
前々から他の生徒達に『不気味』『気持ち悪い』なんて陰口をたたかれている光景を何度か目撃していたからか、初めて与えられた好意を無下にするのもどうかと思った。
だからこそ、遠慮がちに彼の手を握るとゆっくりと立ち上がり体勢を整えた。
「あ____ありがとう………ございます」
「……………」
彼は、相変わらず無言のまま首を左右に振る。何故だか、此方をじっと見つめているような気がした。
僕は、気まずさから目線を下へと落とす。
すると、ある物が落ちていることに気がついたため、それを拾い上げる。
それは、布でできた小さめの人形で見覚えがあった。つい最近、奇妙な夢の中で出会った【カレら】――。
軍の人達みたいな口調で僕を呼んでいた《E》と《し》の見た目にソックリだから、とても驚いて落としそうになってしまった。
電球みたいな形をした頭が二つあり、表面には赤い糸で《E》と《し》という文字が刺繍されていることに気付く。更に、二つの頭と首から胴体に至る部分には太い針金が内部に仕込まれており、案外きちんとした作りになっていることにも気が付いた。
(変なの…………)
(刺繍の部分は上手じゃなくて……まるで子供が作ったみたいなのに____)
たどたどしい文字が刺繍されている部分と、それにも関わらず簡単に壊れないように、きちんと工夫した作りになっているということに対してアンバランスさを抱きながら奇妙な人形をボーッと見ている内に、ふと、ある考えが思い浮かんできた。
「あの…………もしかして、あなたも……おかしな夢のことを知っているんですか?」
途端に、周囲は沈黙に包まれる。
鳥達の囀りまで、聞こえなくなっちゃった。
「ええっと……つまり、数日前に夢に出てきた愉快な見た目をしたカレらは、いつも一生懸命に学校の掃除をしてくれてる……おにいさんなのかっていうのを……聞きたくって___」
遠慮しながらも、勇気を振り絞って【おかしな夢】について再び聞いてみる。
黒衣を纏う彼は何処かへと去ろうとしていた足の動きをピタッと止めてから、此方へと振り返る。
その直後、つかつかと歩み寄ってきて僕の手から、おかしな見た目の人形を素早く取り返すと、ゆっくりと頷いた。
やっぱり顔を覆っている黒い布のせいで、どんな表情を浮かべているのかまでは分からない。
そして、そのまま黒衣の彼は立ち去っていき僕の前から姿を消してしまう。
その直後、どこかから視線を感じたから慌ててそちらへと振り向いた。
「息抜きは、とても大切なことで悪いことじゃない。とはいえ、お仕事中に二人きりで……こそこそと、おしゃべりは感心しないね」
スーツ姿でビシッときめている普段とはうって変わって、どこにでも売っているようなラフな白い半袖シャツに灰色の半ズボン姿で呆れ顔を隠そうともしない理事長が僕らの前に現れる。
「ジンジャー、君もだ。もうすぐ、お勉強が始まる時間ということに気がついていたかい?お勉強が面白くないって思うのは分かるよ。先生もジンジャーくらいの年頃は愉快な同級生達と遊んでばかりだったからね。あの頃は、楽しかったなぁ____」
長いホースを持った理事長先生に叱責されてしまったため、びっくりして何も言うことができなくなってしまう。
それでも、他の先生とは違うところは頭ごなしに僕ら子供を怒鳴りつけたりはしないことだ。
理事長先生は、叱る時ですら笑顔を絶やさずに声を荒げることだってしない。
少なくとも、僕は彼が誰かを感情的に叱ったり、ましてや怒鳴りつけたりしたところを一度だって見たことはない。
「ごめんなさい。理事長先生は、僕らのために頑張ってお仕事をしてくれているのに……。僕はお勉強するために、教室に戻ります。だって、それが僕の役割だから…………」
深く頭を下げて、僕は教室に戻るべく身を翻そうとした。けれど、予想外のことが起きてしまったものだから少し呆気にとられてしまう。
理事長先生の【真っ黒なお友達】に肩を掴まれた。両腕でさえも全身に比べて薄い生地とはいえ黒い布で覆い尽くされている彼が、突然そんなことをした理由が幾ら考えてみても分からない。
「な……っ……何?」
つい、ミントやバニラに対してするような砕けた口調になってしまったことに気付いて、僕は慌ててお辞儀をする。
やっぱり大人に対して、こんな態度をとるのは良くないと思うんだ。
学校が終わったら、ママが働くクルスさんのパン屋さんに行って、今日起きたことについて聞いてみようっと。
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