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ノルニ村6
ゆっくり歩く僕たちに痺れを切らしたのか、クーレさんがもう一度様子を見に来たけれど、僕は両手をそれぞれエディとルドラに引かれて歩いていたので、それを見られるのがなんとも恥ずかしかった。
クーレさんも不思議そうな顔をしていたけど、これは仕方がないんだ。自然に手を引こうとしたエディを見た瞬間、ルドラが僕の反対の手を取ってしまって……
二人は何故かしばらく見つめ合ってたけど、やがてエディがため息をついて視線をそらしてから、そのままだ。一体なんだったんだろう。
村長の家は、ずいぶん久しぶりに入った。もし話があるときも大体は僕の移動の手間を気遣ってくれたラウェさんが、僕がパウロさんのお店にいるときや、自宅で作業している在宅中に訪ねてくれるので、この家は年単位で久しぶりだった。
村長の家は眩しかったが、フードがあればなんとかなるだろう。宿がない田舎なので、旅人や客人を迎えるのは、村で一番大きな村長の家の役目だ。かなり明るくなるように設計され、照明用魔道具も多いのであまり来ていなかったというのもある。
僕たちが村長の家に入ると、そこまで大きくない広間にかなりの数の人が立って待っているらしかった。フード越しにも大量の魔力が視える。なにせ王族を迎える一団だ。そりゃあ一人一人の魔力量も田舎の村とは比べ物にならないんだろう。僕は何度か目を瞬かせた。
……だめだ。これは。色んな色の魔力が揺らめいて……気持ちが悪い。
ぐらりと身体が傾いで、慌ててエディとルドラが支えてくれる。エディの指示で、壁際の柱の影になる位置に椅子を置いて、なんとか座らせてもらえた。
もう僕はこの数日間で本当に、思い知っていた。こういう気遣いという点では、エドワード・フレル・リグトラント様を諸手を上げて信用すべきだと。
何でそんな隅っこに座らせるのか、と思った人もいただろう。でも、どうでもよかった。エディが分かってくれているなら、あとは、どうでもいい……
僕は目を閉じた。まぶたの裏にさえ、眩しい色が焼き付いているかのようだ。流石に普段の調子ならこんな状態にはならないだろうが、今日は乗馬もしたし、家も燃やされたし、僕は疲れていた。
例え乗馬が、ただエディにしがみついて座っていただけだとしても、家ではエディの手際を眺めていただけだとしても、僕は、疲れていたんだ。
最初はルドラのことを心配そうに見ていたラウェさんだったけど、僕がエディとともに、ルドラにもしっかり手を貸してもらっているのを見ただろうし、きっとホッと胸を撫で下ろしているはず。
「待たせたな。半身殿はお疲れのようなのだ」
「……では、殿下。やはりその方が?」
「そうだ。紛れもなく純に至る者……至純、無色透明の魔力の持ち主だ。しかしその特別な魔力を宿すゆえにか身体が大変弱く、ここ数日は生活の手助けをしていた。飛び出したきり引き返さなくて悪かったな、ルシモス」
ルシモスと呼ばれた人のため息が聞こえた。随分と疲労の色が濃いため息だった。
「まあ、正直に言いますと。殿下に何かあったのではというより、殿下が何かやらかしたのではと思って、心配しておりましたから。聞けば、村長殿の息子を誑かし、決闘をし、騎士学校に入れようとしておられるとか?しかも決闘は不意討ちをするように指示されていたとか……そのせいで村人たちが大変怯えておられたそうですよ?」
肩に置かれたルドラの手がピクリと動いた。うん、大丈夫だよ、ルドラ。エディに任せておけば大丈夫……いや、ルドラはこれから大変なのだけれど……悪いばかりの話じゃないから、きっと。
「失礼致します、至純さま。お茶をお持ちしました」
音で、給仕につかう小さなサービスワゴンが自分の隣に止まったのだと分かる。カチャカチャと食器の音が続いたあと、良い香りとお茶が注がれる水音が漂ってくる。
「ありがとうございます」
「フィー、カップは持てそうか?」
「フィル……目が開けられないのか?すまないがワゴンはこのまま置いておいてくれるか。テーブル代わりにしたい」
「は、はい。かしこまりました。いくつか道具だけ片付けさせていただきます」
また硬質な音が何度かしてから、人が離れていく気配がする。
目を開けていないので分からないが、二人の男性に、しかも王子様と村長の息子に甲斐甲斐しく世話を焼かれている僕は、周りにどう見えているんだろう。しかも室内でもフードを被って脱がないし……怪しいことこの上ないのではないだろうか。
とはいえ、いよいよ気分が悪くなってきたので、どうにもできなかった。お茶は飲みたいが、指先が冷えて力が入らない。そもそも目も開けられないのだ。
ま、まずいな、これは……座っているだけならば何とかなるかと思ったけど、駄目かもしれない。
「すみ、すみません、エディ。気分が悪くて。目も、開けられない……ルドラ、どこか、どこか暗い、あんまり人がいない部屋、ないかな。ごめんなさい……ちょっと今日は、もうこんなに、たくさん、人が……だめ、みたいです。エディ……ごめんなさい……」
そうこう言っている間にも頭がガンガン痛くなってきて、目を堅く閉じているのに、カラフルな魔力の奔流が明滅しながら飛び込んでくるかのようで……僕は意識を飛ばすしか逃れる方法を知らなかった。
目を開ける前に、うっすらと意識が覚醒する。僕の防御力の足りない瞼越しに、部屋はちゃんと薄暗いのだと分かって、身体の緊張が解けた。
お茶、せっかく淹れてもらったのに、無駄にしてしまったかな……
最初に思ったのがそれだったのは、部屋に誰の気配もしなかったからだ。僕がいなくても、話し合いはできているだろう。
だって多分、一番重要なのはエディの無事のことで、次にルドラの騎士学校入学の話。これは確実にあの場でやらなければならないはずだ。
僕はといえば、至純だとわかれば後は話を聞いているだけだったんじゃないかな。
重要な話はどうなるか既に知っているので、この場に誰もいないということは、きっとその話し合いがちゃんとなされているという事だ。
……と、思ったんだけど。
そもそも、どれくらい時間が経ったんだろう。恐る恐る目を開け、身体を起こすと、ランプに薄い掛布を重ねて弱めた照明が、ベッドの足側のナイトテーブルに置かれていた。控えめに室内と僕を照らしてくれている。
何度か瞬きをして目の調子を確かめていると、ふとナイトテーブルに紙が置かれているのに気が付いた。
もそもそとベッドの上を動いて、紙切れを見る。流石に文字が読める明るさでは無いので、ランプの掛布を一枚ずつそっと捲り、明るい隙間にメモを差し入れて読める明るさで止める。
……何度か見たエディの字だ。
一昨日くらいに、僕がどれくらいの明るさで、どんな大きさなら文字が読みやすいのかを確認された。
エディは、「これも必要なことだ」って言ってたけれど、そのときは一体何に必要なのかさっぱり分かっていなかった。こういうことだったんだ。
お手本のような綺麗な形が少し走って崩れたような字は、エディらしくて素敵だと思う。
僕が書くと、あまり見えないのもあって、産まれたての子鹿のように震えたラインになってしまうのだ。
それでも僕が文字を読み書き出来るのは、教本を差し入れてくれたパウロさんと、根気よく練習に付き合ってくれた母さんのおかげだ。まあ、でも、やっぱり書くのはあんまり好きじゃない。
エディが大きめに書いてくれたメモを読む。
「起き上がれそうなら、ドアを三回ノック……?」
それを見た僕は、起き上がれるか試してみようとベッドから足を下ろした。ナイトテーブルのすぐそばに。
……そこに、まさか、ちゃんと僕の靴が置かれているとは。僕は思わず枕元を振り返り、自分が辿った動きを反芻した。
「うーん……」
思わず唸ってしまったが、確かに先にメモに気付けばここに足を下ろしそうなものだし、靴を探せばすぐにテーブルの上のメモにも気付くだろうと分かる。
エディって、凄いを通り越して、本当は人智を超えた存在なんじゃないだろうか……
ノックは、強めに三回してみた。村長宅は何度か入ったことがあるけど、この部屋が何処かなんてわからないし、まさか誰かがそばでずっと待機しているわけもないと思ったからだ。
しかし返事はすぐに来た。ドア越しに知らない人の声が響く。
『至純さま?お目覚めですか?』
「は、はい……」
『では殿下に伝えてまいりますね』
そう言うと、足音が遠ざかっていくのが分かった。
……外で、僕が目を覚ますのをずっと待っていたんだろうか。
申し訳なさに気が遠くなりつつ、僕は大人しくベッドに戻ろうとして、ふとドアのそばのポールハンガーに僕のコートが掛かっているのを見つけた。
もしかしたら、体調が回復したなら話し合いに顔を出せ、と言われることもあるかもしれない。僕はコートを手にとって羽織り、フードを被ってベッドに腰掛けた。鈍い明かりの中でそうしていると……自分でもひどく陰気なことは分かっているが、やっぱり落ち着く。
ようやく気持ちに余裕が生まれ、僕は部屋の中を見回してみた。薄暗い中ずいぶんぼやけているが、綺麗な本棚と、ちょっと乱暴に衣類が詰め込まれ、開いているクローゼットが見える。後は……あれは何なのだろう。身体を鍛える道具だろうか。見たことがない魔道具が纏められた一角がある。
……まさかここって……
コンコン、と控えめなノックの音がして、そっとドアが開く。
「フィル、起きたか。体調は?」
思考は中断された。僕はエディが来てくれたことにホッとしつつ、緩く頷く。体調不良の原因もちゃんと伝えなければと思っていたが、僕が魔力色まで視えることは秘密にすべきだと言われているので、エディに来て欲しかった。
「迷惑をかけてすみません、エディ。今は大丈夫です」
少し眩しい廊下から、エディがさっとドアに身体を滑り込ませ、部屋はすぐに暗さを取り戻した。エディの魔力がちゃんと視える。僕の目は、大勢じゃなければ平気なようだ。
部屋には二人きり。僕は今のうちに伝えるべく口を開いた。
「……あの、僕が倒れたのは」
コンコンコン。再びノックの音が響いて、僕は口を噤んだ。
「ラロか?」
『はい、殿下。お茶をお持ちしました』
「入れ」
あ、と思ったときにはもうドアが開いてしまって、暗い部屋の中、少年を手助けするようにエディが動いていた。
「フィル、ランプを一段階明るくしてもいいか?」
「はい」
エディがランプの掛布を一枚取る。それで二人は動きやすくなったようで、ワゴンが僕の側まで運ばれてきた。
「あ、さっきのお茶……」
「大丈夫だ、フィル。あれは俺が飲んだ」
魔力を視なくても、嘘だと思った。でもきっと、気にするなという意味なのだろう。
僕は小さくお礼を呟いて、お茶を入れてくれている少年を……視……
「え?」
僕は驚いて瞬きをした。僕の様子に少年も驚いて動きを止める。
「あの、ぼく、何か……?」
不躾だと思ったが、上から下まで少年を視た。ふわりとした短めの暗い茶髪に、同色の瞳。一般的なよくある色合いなので、見た目から魔力の情報は得られない。人懐っこそうな印象で、小柄で細身。そうして一通り視てようやく、おへその辺りに小さな青っぽい魔力を見付ける。
「あ、あった……」
と、口に出してから、サッと血の気が引いた。慌ててエディを視て、その困ったような魔力の動きに僕はいよいよ青くなった。
「あ、ぅや、これは!えっと……」
「フィル」
僕が言葉を重ねようとすると、エディが片手を軽く上げて名を呼んだので、僕は大人しく従う。
「ラロ、続きをしてくれ。お茶を淹れてもらったあと、話しておくことがある」
「あの……ぼく」
「いや、お前に不手際があったわけではないよ。さぁ、お茶を」
「は、はい」
ラロくんは不思議そうにしつつも、美味しそうな香りのするお茶を淹れてくれた。それを受け取って一口飲んだところで、エディが再び口を開く。
「さて、まずは紹介しよう。フィル。こちらはラロ。至純付きの従僕にしようと思っている少年だ。ラロ、こちらはフィシェル・フィジェット殿。君が仕える、至純殿だ」
「はじめまして、ぼくはラロといいます。誠心誠意、お仕えさせていただきます」
ラロくんが跪くので慌てたが、そもそも自分がずっとフードを被っていたことを思い出す。慌ててフードを外すと、顔を上げたラロくんと目が合った。フードを外せば、小さくともちゃんとラロくんの魔力も視える。幽かだが水の気配がした。
「……っ」
ラロくんが息を呑む。そうされてやっと、僕は自分が失礼を重ねていたこと強く意識して、申し訳なくなった。言い訳だが、この村で暮らしていると、僕が初対面の人になんてそう会うものではないのだ。
自己紹介を返し遅れた僕の態度で、ただでさえ小さなラロくんの魔力が更に縮こまってしまって、僕は慌てて口を開いた。もう正直に全部言ってしまおう。
……しかしこれが誤算だった。この言葉で僕は、自分が如何に何も分かっていないかを晒し、エディの話どころではなくなってしまったのだ。
「ごめ、ごめんなさい。初対面の人は、慣れてなくて。どうしたらいいか分からなくて……そう、あの、僕はフィシェル・フィジェットと言います。気軽に、好きなように短く呼んで下さい。あ、フィーはちょっと嫌だけど……いや、あの、でも、何でも大丈夫です。よろしくお願いします、ラロく……ラロ、さん」
「ええっ!?」
ラロくんが瞠目して、続いて縋るような目付きでエディを見る。神妙な顔で見守っていたエディは、そこで堪えられないとばかりに吹き出した。
「ぷっ……くっ、くく……ふっ……はー……いや、笑ってすまない。うん、どこから説明したものか……」
……どうして笑われたんだろう。この状況って、僕が笑われてるってことだよね……
しゅん、と落ち込む僕に、エディは柔らかい微笑みで教えてくれる。
「まず、フィルは従僕の意味がちゃんと分かっているか?」
「い、いえ……全然……都会では、友達をそう呼ぶのかな、と思っていました」
「………………」
僕の言葉にラロくんが絶句している。
「従僕というのは、そうだな……召使い、お手伝いさん、付き人、お世話係、従者……そういう意味だ。仕えますと言っていただろう?分かったか?」
「ああ、従者……あれ……でも、至純付って……僕なんかに、どうして……?」
「殿下……」
とうとうラロくんがエディに恨みがましい視線まで送り始めて、僕は焦った。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
「うーん。困った。ラロ、どう言ったらいいかな」
「で、殿下ぁ……まさか、まさか何にもお伝えしておられないのですか!?この数日間、何を……」
「普通に二人で共同生活をしていた」
「ああっ!そんな……殿下の言う共同生活って、騎士隊でのことじゃないですかぁ……!どうして何にも、お立場をお伝えしておられないのですか!?う、待てよ……じゃ、じゃあ先程の報告って……」
嘘じゃん……とラロくんは頭を抱えてしまう。一体何を報告したんだろう……
「嘘は言っていない。至純殿を助け、二人で今後についてちゃんと話し合った」
「ぶ、無礼を承知で言いますよ!?もう言いますけど!ちゃんと話し合っておられたなら、どうして……」
そう言いながらラロくんは僕を見る。話がさっぱり分からないので小首を傾げると、ラロくんは薄暗い部屋でも分かるほど、ぱっと赤くなった。
「ラロ、だめだぞ」
「う、ぐ……もちろん分かっています!でもまさか、至純さまがこんなにお美しい方だとは」
「そんな……気を遣わないで下さい。こんな明らかに色味の悪い人間に、無理してお世辞を言わなくてもいいんですよ」
「で、で、殿下!!!!!」
「ああ、言ってないぞ。自覚も全然ない」
ラロくんの控えめな悲鳴が響く。
誰か、早く、僕にも分かるように話して……
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