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旅路8

 小さめの個室に置かれた長テーブルにエディと隣同士で座る。アーニアはぼくの向かいに座っていた。彼女が着ている袖無しのイブニングドレスは、昼間の真っ赤なものとは違い落ち着いた濃紺で、僕のリボンタイに近い色かもしれない。それもアーニアにはよく似合っていた。    食事は……正直言って殆ど味が分からなかった。ラロの的確な介助があっても、僕はほぼずっとテーブルマナーに四苦八苦していた。これはだめだ。もっとちゃんと練習しなければ、食事を楽しむ余裕なんて無い。  アーニアはハラハラしながら僕を見ていたけど、エディは……なんだかすごく穏やかな笑みを浮かべて時折こちらを見ていた。魔力を視ても分からなかったので確かめようがないけれど、それは一体どういう感情なのだろう。    一息つけたのは、食事が終わり、歓談しながらお茶を飲む後席になってからだった。これも後から聞くと、ルシモスがホテル側に長めの後席の用意も頼んでおいてくれたらしい。僕が食事中は余裕など無くて、おそらく話したりできないとお見通しだったみたいだ。  後席になると、ラロは少し離れた所へ控えた。   「エドワード様、フィシェル様。改めまして、今夜はお招きいただきありがとうございます。先程は突然押しかけ、失礼な態度を取り……あまつさえ取り乱して満足な謝罪もせず、誠に申し訳ありませんでした」    良い香りのお茶が運ばれると、アーニアは改まって深く頭を下げた。エディが顔を上げるように言う。   「確かに少々驚きはしたが、これも何かの縁だ。是非これを機にフィシェル殿と交流を深めて欲しい」   「よ、よろしくおねがいします」    僕がそう言うと、アーニアは笑ってこちらこそと言ってくれた。最初こそ驚いたものの、僕にはずっとアーニアの魔力が視えている。興奮や絶望が去ったアーニアの魔力は、屈託の無い優しい揺らぎをしていた。パウロさんたちとよく似ていて、ひと目で良い人だと分かる。  僕はそこでハッと気がついた。似ているというか……似過ぎている。魔力の揺らぎ方がそっくりなのだ。こんなこともあるのだと僕は嬉しくなる。   「えっと……アーニア……嬢」   「よろしければ、ただアーニアとお呼びくださいませ。フィシェル様」   「あ、アーニア……ありがとう」   「はい。それで、なんでしょうか?」   「その……怒ってるとかではなくて、単純に気になって……"きっと今回も偽物"と言っていたのはどうしてですか?」   「それは……」   「それは私から説明させていただきたい」    アーニアが困った顔をすると、エディが話を遮った。  それから僕は、至純探しでエディが実際にどれほど振り回されていたかという詳細を聞いた。話を聞いていると、アーニアが心配するのも分かる気がした。   「ですが……偽物と決め付けるのは浅はかで……良くないことでしたわ。フィシェル様、本当に申し訳ありません」   「いえ……今の話を聞けばアーニアの心配は最もだと思いました。やっぱり、お優しい方ですね」   「やっぱり……?」   「あーフィル、フィシェル殿。フィシェル殿のことも話してはどうか」    あまり話したことがない人には、まだまだ魔力を視て話す癖が抜けない。つい口を滑らせてしまった。エディが話を逸らしてくれたので、それに乗っかり、僕は自分のことをアーニアに話した。  ノルニ村のこと。自分の体のこと。  ところがとある名前を出した途端、にこにこして話を聞いてくれていたアーニアの表情がすとんと抜け落ちた。   「それで、僕はそれからはパウロさんとカーラさんのお世話になっていたんです」   「……そ……そう、ですか」    僕は咄嗟にアーニアの魔力を視た。驚愕と疑いが渦巻いている。外側を取り繕えないほどの激しい揺らぎ。   「一体、何が……」    アーニアはパウロさんとカーラさんを知っているんだと思った。隣のエディを見上げると、エディも不思議そうな顔をしている。   「アーニア嬢、レデ夫妻をご存知なのか?」   「レデ……今は、そう名乗っているのですか。では、あれは……そういうことなのかしら……」    アーニアは一人、納得したように頷くと、エディと僕を見た。   「少し長くなってしまいますが、お話したい事がございます」    僕たちは顔を見合わせた。  エディが促すと、アーニアは少し悩みながら自分のことを話してくれた。    アーニアは幼い頃から、リグトラント人の女の子にしては力が強く、背も高かった。その為、一般の令嬢としての生活よりも、騎士として活躍することに憧れていたそうだ。   「初めてエドワード様をお見掛けしたのは、わたくしが十二歳の時に参加した、社交界に顔を見せる為のパーティーでした。エドワード様はその時、騎士学校に入られると仰られていて……わたくしも憧れましたわ」    それからアーニアの夢は、自分もいつか騎士学校に入り、エディと並んで戦場に立つことになったという。   「でも、我が家ではそれは……あまり応援されませんでしたの。女騎士ではなく、シーメルン家の令嬢として生きることを求められているのは、わたくしにも良くわかっていました。ですがその時から少し違和感は感じていたのです」   「違和感……?」   「我が家は、家柄上そうするべきだという考えに囚われているような気がして……令嬢は令嬢らしく、貴族は貴族らしく……というような話ですわ。それがどうしても息苦しく感じられていました」    アーニアは令嬢として両親の期待に応えて過ごす傍ら、自分の長所を伸ばすことを諦めなかった。そんな折……   「エドワード様のお相手探しが難航しているという話を聞きました。万が一見つからない時の為に、貴族院が婚約者候補を募っているということも。わたくしは早速お父様に、わたくしも候補にしていただくようにお願い致しましたわ」    アーニアにとっては、憧れだったエディと結ばれ、騎士としての将来を掴めるかもしれない、とても夢のある話だったという。実際のところ、膂力に優れ、エディも持つ地属性の魔力のアーニアは、エディの婚約者候補として最適とまで噂されたそうだ。   「そして今年になって……わたくしはなんとか家族を説得して、騎士学校に入るお許しもいただきました。……わたくしがやりたいことに手を伸ばせたのは、エドワード様のおかげなのです」    そう言って微笑むアーニア。だが、アーニアはそれほど憧れていた騎士学校をすでに辞めてしまっている。   「しかし……」    エディが言いにくそうにアーニアに先を促す。アーニアは困ったように笑った。   「そうですね。学校は……わたくしが抱いていた理想とはかけ離れたところでした。でも騎士になるにはここを卒業するしかないと知っていましたから……心無い言葉にも、暴力にも、耐えていました。ですがそんな夏季休暇前のある日、"閑吟様"がいらっしゃって……」    その言葉でエディが驚く。アーニアもエディを窺うように話したので、反応が分かっていたのだろう。でも、僕は知らない単語だ。   「かんぎん様……?」   「閑吟というのは……至純のように、精霊国にとって特別な力を持つ存在なんだ。おそらくアーニア嬢の元へ向かった閑吟の名前はルストス・ラートルム。ルシモスの弟だ。そして今はうちの隊の……隊員なんだが……」    エディはまた勝手なことをしてとため息をつき、閑吟の能力について教えてくれた。   「閑吟は、精霊と話す事ができる力を持つ者だ。国内に何人かいるが、ルストスほど正確に……小さな自然エネルギーの塊である精霊からも言葉を聞き出せる人間は他にいない。アーニア嬢の前に気まぐれで現れるような性格の人物も、閑吟の中ではルストスだけだ。一年ほど前からうちの隊にいるんだが、それも精霊がそう囁いたからだと言っていた。騎士ではなく魔導師だが、ルシモスの弟だけあって優秀な上に精霊の声が聞こえる為……魔獣討伐では非常に役に立つ男……なんだが……」    エディはまたしても深くため息をついた。    「騎士学校内のアーニア嬢の前にいきなり現れたように……精霊が囁いたからと言って、好き勝手に動くんだ。とはいえ能力は確かで、ルストスの意見は国内で絶対だ。貴族院が素直に頷くのはルストスの意見くらいだろうな」    ルシモスもとんでもなく優秀だと思っていたが、その弟も物凄く有能らしい。ラートルム家は男爵位でありながらも、過去に王族と血の繋がりもある。優秀な兄弟に引っ張られるように、貴族院内でのラートルム家の発言力は増しているそうだ。 「まあそういう奴だから……うちの隊で預かることになったときも、好きにさせるようにと陛下から直々に言われていた。そういう人間が……アーニア嬢の前に現れたんだ」    僕はようやくアーニアが遭遇した事態を理解した。精霊国の人間からすれば、ルストスの助言はまさしく天のお告げのようなもの。  ルストスは騎士学校の中庭で蹲るアーニアを見つけるとこう囁いた……   「シーメルン家の開かずの扉の中に、わたくしが目指すべき未来へのヒントがあると言われたのです」   「開かずの扉……?」   「ええ。わたくしも存在は知っていました。今から二十年ほど前に、伯父が使っていた部屋です。伯父が失踪してから開かずの間になっていたそうですが……わたくしは早速、夏季休暇の間にこっそり伯父の部屋に入り込みました。鍵を作ることは当然我が家でも禁じられていましたが、わたくしにとっては簡単なことでしたから……」    地属性の魔法を操るアーニアやエディには、確かに鍵の解除は簡単なのかもしれない。   「部屋の中で、わたくしは一冊の日記を見付けました。伯父が残していったものです。庶民の半身の女性と出会い、シーメルン家の次期当主としての役目を捨て、駆け落ちするまでの心情が綴られていました。伯父が半身の女性をとても愛していたこと。本当は貴族ではなく、商人として何かしらの商いをやりたかったこと……」    僕はアーニアの魔力を見て涙が出そうだった。似ていて当然だったのだ。   「その人は……」   「名前はパウロ・シーメルン。日記には半身の女性がカーラという名前だと書いてありましたから、間違いないと思いますわ。伯父は今……幸せに暮らしているのですね」   「はい。子供は居ないみたいですが、代わりに僕のことを可愛がってくれました」   「お二人が子供を作らないのも……シーメルン家の血筋が残ってしまうからなのかもしれませんわ……」    僕は二人がどんな思いで王都へ必ず会いに行くと言ってくれたのかを想像して、胸が痛くなった。  二人がどういう風に出会ったのかは知らないけれど、カーラさんは自分が田舎者で都会は合わなかったと言っていた。きっとパウロさんは……もちろん自分の夢もあっただろうけど、カーラさんの為に貴族であることを捨てたのだ。   「それで……それを読んだわたくしは、騎士学校を辞めました。あの日記を読んでどう感じるかは人によるとは思いますが……わたくしは、血筋も才能も、自分の心を殺してまで守る必要はないのかもしれないと思ったのです」   「そうだったんですね……」   「わたくしに残されたのは、エドワード様の婚約者候補としての自分でしたわ。そこで…………その、ルストス様のお告げが、もしかしたらその為なのではないかと……わたくしは愚かにも勘違いをして浮かれてしまいまして……」    アーニアはそこで恥ずかしそうにエディを見た。僕も釣られてエディを見ると、エディは苦笑してお茶を一口飲んだ。が、飲んでいる途中で表情が固まる。   「……パウロ殿のことが偶然とは思えん」   「エドワード様も、そう思われますか?」   「ああ。ルストスは精霊の声を聞くとき……"物事は必ず意味があって繋がっているものだ"とよく言っていた。精霊は未来のことも教えてくれるが、それは人や物に宿る力の……その繋がる先を視ているらしいのだ。そうして、起こるかもしれないことや、より良い選択をするための助けになる事柄を教えてくれるのだと……」    僕には意味がよく分からなくて、必死にエディの言葉の意味を飲み込もうとしている間に、二人の視線が僕に注がれていた。   「あ、あの……え……?」   「わたくしはきっと、フィシェル様のお近くにいる必要があるのだと思いますわ」   「……そのようだな」  エディは壁際で控えていたラロを見た。ラロは心得たように頷くと、小部屋の扉を開ける。  そこには不機嫌そうなルシモスが立っていた。   「愚弟が大変申し訳ありません」   「聞いていたのか?」   「はぁ……これは殿下にも言うつもりはなかったんですが……弟が私の近くにいる風精霊たちに何か言っているようで、ある程度近くの……聞いたほうがいいと精霊に判断された会話が、勝手に聞こえるんです」   「何ッ!?聞いていないぞ」   「ですから、言うつもりはなかったんです。いつ発動するのかも自分では全く分かりませんし……文句はルストスに言ってください」    ルシモスはため息をつきながらエディの斜め後ろに控えた。   「弟が何を考えているのかは分かりませんが、アーニア様の人生を左右するようなことをして……誠に申し訳ありません。あれはその能力故に、傲慢なところがありまして……」   「ルシモス様。大丈夫ですわ。わたくしちょっとわくわくしておりますの」   「わ、わくわく……ですか?」   「はい。わたくし、フィシェル様とお友達になりたいですわ。年も同じと聞きましたし、きっと仲良くなれると思いますの!」    僕はにっこりと微笑むアーニアを見て、素直に可愛いと思った。そう言うと男性陣は驚愕してこちらを見ていたけれど、アーニアは照れたように僕のほうが可愛いと返してきたのだった。      アーニアとは暫くこうして食事を共にしながら、旅の間友人として話をすることになった。その際、貴族のことや作法のことなどを、色々と教えてくれるらしい。僕も緊張せずテーブルマナーの練習ができそうなので、有難かった。    ルストスが告げた、精霊の囁きによるアーニアの未来が、どの程度の時間までをさすのか分からなかった為、ルシモスはため息をつきながら魔法で合図を送っていた。ルシモスが風の魔法で作った小鳥が、ルストスを呼んでくれるのだという。  僕はその為サパタにもう少し滞在するのかと思ったが、ルストスには精霊が僕らの所在を告げるらしく、好きに移動して良いとの事だった。  ……閑吟の能力は、至純なんかよりも余程優秀だなぁ……    部屋に戻り、ラロに着替えと湯浴みの介助をしてもらって、僕はゆったりとした寝間着に着替え、ようやくひと息ついた。  ラロが退室し、エディが湯浴みをしている間、僕はアーニアに何か刺繍した物を渡そうと、パウロさんたちによく渡していたシンボルを何か刺すことにした。やはり最初は簡単ですぐに渡せそうなハンカチ辺りが良いだろう。その後でなにか思いつけば凝ったものを渡してもいい。  黙々と作業をしていると、いつの間にかエディがテーブルの向かい側に座って何かを読んでいて、僕は驚いて目を瞬かせた。   「あれ、エディ……戻っていたんですね」   「ああ。随分と集中していたな」   「あ……はい。少し……」    キリも良かったし、目も疲れてきていたので、僕は今日はここまでにしようと道具を片付け始めた。  立ち上がって裁縫箱にしまっていると、横からエディが抱き締めてきた。   「え、エディ……!?」   「フィル……」   「どうしたんですか……?」   「アーニアがそんなに気に入ったのか?」    僕は裁縫箱を閉じて、もぞもぞとエディの腕の中で振り返った。近くて恥ずかしかったけど、頑張って見上げる。   「は、初めて……友達になりたいって言われたから……」    そう言うとエディは少し目を見開いてから、僕をぎゅっと抱き締め直した。   「う、く、くるしいです」   「すまない。俺は心が狭いな」   「……そうなんですか?」   「アーニアに、フィルが取られるんじゃないかと思った」   「……とられる?」   「ああ。だが……そうか。初めての友人か……」    エディは僕を抱き上げて、そのままベッドに腰を下ろした。何だかいつもこうされている気がするけど……僕も慣れてきたのか、この体勢は今では妙に落ち着く。   「……フィル。今夜の分の練習をしよう」   「え?も、もう始まってるんじゃないんですか?」   「……まだこれからだ」    エディにベッドへ寝かされ、隣に腰掛けたエディが僕に覆い被さる。   「……今夜は、何を……」   「好きだ、フィシェル殿」   「えっ」    耳元で言われた言葉に、一瞬本気で動揺しかけた。けれど、名前を……フィシェル殿と呼ばれたことで、これが今日の練習なのだと思い知る。   「先程……アーニア嬢に可愛いと言った時、嫉妬した」    エディは少し身体を起こして、僕の手の甲に口付ける。  こ、こ、こんなの……耐えられない……   「あ、ぅ……」   「俺だけを見てほしい。フィシェル殿を……愛しているんだ」  僕は真っ赤になって顔を手で覆い隠し、ベッドに小さく丸まった。  これは練習だと自分にいくら言い聞かせても、やはり心臓が早鐘を打って痛む。  見兼ねたエディが慌てて呼び方を戻した。   「フィル、フィル。こっちを向いてくれ」   「む、むりです……っ」    僕が固まったまま動かないので、エディは苦笑して僕の後ろに寝転び、そのまま僕を抱き寄せた。そうされるとむしろ落ち着くのはどうしてだろう?触れ合いの方は慣れてきたということなのだろうか。  今日は言葉の方が余程僕の心臓を苛んだ。まだドキドキ言っている。   「エディ……僕は、この場合はなんて返したら良いんですか……?」   「……そうだな……とりあえず今は慣れることだ。何か返事ができそうには見えなかった」   「た、たしかに……そうですね。すみません……」    僕は自分の様子を思い浮かべて落胆した。役割とか演技とか、そういう次元に立てていないのだと痛感する。   「謝ることはないよ。練習だからな」   「エディは……すごいですね。僕は……全然それらしいことが出来ていなくて……」   「慌てなくてもいい。これから先は長いから、ゆっくり俺に慣れてくれれば」   「はい……ありがとう……ございます」   「……フィル?眠いか?」    少し閉じかけていた目をハッと開ける。エディの体温は高くて、一緒に寝転ぶとすぐに眠気を誘われてしまう。   「そう、ですね……」    エディが灯りを落としてベッドに戻ってくる。再び背中が暖かくなって、僕は安心して目を閉じることができた。    

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